徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 146話―結―」
 徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 146話―結―」
 (とくしまけんじんいじゅうとあかん 2009年2月15日放送用)
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●明治40年の「徳島団体」移住のあと、こんどは昭和初期に仁々志別にきていると、いうことですが。

徳島のどこから?ということは不明ですが、昭和3年にも徳島県人が、仁々志別川流域に移住しています。
時代によって徳島県人の移住は入植地がかわります。中心街=舌辛川と阿寒川との合流点に移住してきたことにはじまりますね。明治30年代初頭のことでした。
ついで40年になると、奥地の飽別川や徹別川と阿寒川の合流点に入植地が移っています。昭和初期になると支流の仁々志別川流域へと変化しています。

●前回は香川県、今度は高知県と德島県の移住の話でした。

 明治維新後、徳島から北海道への移住といえば、静内に入った稲田家家臣団(明治4年)にはじまり、上富良野に明治40年に団体移住してきた例もあります。
 そもそも江戸時代から、北海道と徳島はむすばれていました。四国での阿波藍の栽培に北海道産のニシン〆粕が、貴重な肥料源であったということです。

 輸送にあたった、高田屋嘉兵衛も実は阿波藩の淡路出身(淡路は現在でこそ兵庫県に属していますが)です。
 実は計画倒れにおわるのですが、明治25年7月、徳鳥県知事は県民20万人を北海道に移住させるという計画を作ったとされています。
 その数は、当時の県民70万人の、実に3分の1弱という数になりますから、実現したとすればにたいへんな計画です。それだけ基幹産業たる藍業の衰退で、県の産業経済の停滞と不振が実に深刻であったことを、物語っています。

●ワンポイント 前回は砂糖が打撃、今回は藍産業の不振が移住の引き金です。藍は染色。背景に江戸時代に木綿が庶民に広く普及し、保温・意匠、染色、加工の利便性から木綿の衣類は幅広く利用されます。本日紹介した「徳島県人移住と阿寒」。その背景には、木綿とむすぶ染料としてかかせない「阿波藍」に生じた価格変化も、引き金の一つとなっていました。