徳島県人移住と阿寒 徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 ―2― )
 徳島県人移住と阿寒 徳島県人移住と阿寒 FMくしろ「釧路歴史探訪 ―2― )
  (とくしまけんじんいじゅうとあかん 2009年2月15日放送用)
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●初期の開拓の様子ですが、どのように伝えられていますか。
明治30年にそろって土地の払い下げを求めた高知の方は翌31年、徳島の方は
32年に阿寒へやってきます。
『阿寒町史』には、徳島から24歳のときにおいでになった方の回想記がのこされています。アイヌの方に「シャモは度胸がい」と、冷やかされた話です。
小屋をつくるために兄弟二人でヨシを刈っていたら、突然、アイヌのヒトが鉄砲をもって登っていったということで。その、理由が「作業をしていたそのすぐそば
に大熊がいた」というわけです。現在の阿寒中学校付近での出来事です。
 
●徳島からの移住は、その後もつづきますか?。
明治30年初頭に移住された方は、香川県との境に近い位置からから現在の阿寒町中心街にはいります。三好郡は香川との県境の北部、吉野川にそった徳島自動車道沿いに位置する
40年ころになると、徹別(てしぺつ)川や飽別(あくぺつ)川との合流点、つまり49線とか56線という北部地区への移住です。那賀郡は那賀川流域で県の中央部。
こちらは小川茂平という方が率いてきた移住です。小川という方は、県南東部から明治21年に、十勝の池田に来た方です。一度、故郷にもどり、明治40年に34戸をまとめて、団体移住で入植します。《徳島団体》と呼んでいます。
時代がくだりますから、阿寒でも奥地の方に開拓地をもとめることになります。
こちらの移住では、一面、《ナラ林》という話が残っています。一帯はナラの原始林。木材が太い大木《たいぼく》ばかりで、家を建て、燃料を確保するのに、《やっと細い木をさがしあて、利用する》というわけです。
ただ、「地理的条件がよくなかったため、徳島団体は四散」と、いうことです。