2026 07/08 09:37
Category : 催事
沖手繰‐川崎船-旭町日枝神社(1) 自然と人類の線引き‐3-
「手繰 てぐり」はトロール船漁業の先駆的漁法。沖合で腕力に頼り、深海から海面へ網をタグリヨセル。
、帆に風をうける帆走力で漁船を操る川崎船は1)遠距離漁場と岸辺との時間を短縮、2)沖合で腕力にかわって漁網を牽引、3)船体も大型化し乗員を増やし、漁獲輸送量を拡大する、一大変化。
岡手繰は南部型漁船、すなわち三枚ハギの胴海船で二人乗り、帆走力もなく沖合の漁場に出ることのない漁業。
対して沖手繰は、越後新潟から川崎船を導入した。川崎船は帆走力があり、多少遠い漁場にも出ることができる。
明治38年、その沖手繰りが意味を持つ統計。それが鰊=54%+昆布=25.5%に続き、「第三位 底魚15.4%」という内訳け。
越後新潟から持ち込まれた川崎船は、「帆打瀬 ほうたせ」と言って風を帆に受けた力で漁網を牽引することができ、それも水深の深いところでも網をひくことができる利点。
船が大型化して乗組員も多くなり、帆走距離も伸び、牽引力も高まり、漁獲物の積載量も増加。
そのうえ、川崎船をつくる造船所が新潟から釧路に進出し、地域の海洋環境に合わせた「改良型川崎船」が可能となった。
造船所は明治40年に平岩初太郎翁が新潟県・松ヶ浜から移った、平岩家は来船の何人目かの船大工ながら、三代にわたり旭町で活躍。
ここに本格的な川崎船が、沖手繰発展の有力な支えとなった。
通年で同じ海域に生息する「底魚 そこさかな」を漁獲する沖手繰りこそ、釧路漁業の中心となる。
(布施正著「水産業」 『新釧路市史 第二巻』 釧路市 1973年 236~238p)
※関連 https://ameblo.jp/pacific0035/entry-12928884723.html
(釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』 250909配信)
「手繰 てぐり」はトロール船漁業の先駆的漁法。沖合で腕力に頼り、深海から海面へ網をタグリヨセル。
、帆に風をうける帆走力で漁船を操る川崎船は1)遠距離漁場と岸辺との時間を短縮、2)沖合で腕力にかわって漁網を牽引、3)船体も大型化し乗員を増やし、漁獲輸送量を拡大する、一大変化。
岡手繰は南部型漁船、すなわち三枚ハギの胴海船で二人乗り、帆走力もなく沖合の漁場に出ることのない漁業。
対して沖手繰は、越後新潟から川崎船を導入した。川崎船は帆走力があり、多少遠い漁場にも出ることができる。
明治38年、その沖手繰りが意味を持つ統計。それが鰊=54%+昆布=25.5%に続き、「第三位 底魚15.4%」という内訳け。
越後新潟から持ち込まれた川崎船は、「帆打瀬 ほうたせ」と言って風を帆に受けた力で漁網を牽引することができ、それも水深の深いところでも網をひくことができる利点。
船が大型化して乗組員も多くなり、帆走距離も伸び、牽引力も高まり、漁獲物の積載量も増加。
そのうえ、川崎船をつくる造船所が新潟から釧路に進出し、地域の海洋環境に合わせた「改良型川崎船」が可能となった。
造船所は明治40年に平岩初太郎翁が新潟県・松ヶ浜から移った、平岩家は来船の何人目かの船大工ながら、三代にわたり旭町で活躍。
ここに本格的な川崎船が、沖手繰発展の有力な支えとなった。
通年で同じ海域に生息する「底魚 そこさかな」を漁獲する沖手繰りこそ、釧路漁業の中心となる。
(布施正著「水産業」 『新釧路市史 第二巻』 釧路市 1973年 236~238p)
※関連 https://ameblo.jp/pacific0035/entry-12928884723.html
(釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』 250909配信)