父の無念死
 父の無念死。子もその出稼ぎ地に シベツ巳之助回向願



 天保9年5月2日、国泰寺六世住職の元に一つの書簡が届く。

 差出人は標津在住の巳之助。
 「親父於クナシリ島蝦夷乱の節、横死当五月八日五拾年付回向願来」。

 寛政元=1789年5月7日、クナシリ島でアイヌ民族が戦いを挑んだ。
 本州側の出稼ぎ者、本州側へ蝦夷地産物を輸送する乗組員に多数の犠牲者を出す。

 巳之助の書面にある。
 親父がクナシリ島でアイヌ民族が戦いを挑んだとき、父は犠牲となった。
 来る5月8日は50回忌の祥当にあたる。
 (今、自分は父同様、こんどは対岸のシベツ川河口で働くも)50回忌にあたり父の菩提を弔って。

 18世紀末。
 根室、国後、択捉は天下の大場所。多額の請負金額が設定され、富裕な経済投資対象地に位置づけられていた。
 そこに二世の自分も働く。その因縁を思い馳せつつ、父の没後49年を考える。

 働きのなかから回向料。添えられてあった。