メナシ 東方社会の中核地20200601
 メナシ 東方社会の中核地20200601 この日から6月。



 「メナシ」の領域設定。
 「幕末のころ根室海峡を隔てて東に国後島を望む一帯の土地で、標津の辺までの地方をいった」と、山田秀三氏の説。
 その属性を、「豪強を以て聞こえた東蝦夷の一拠点」にありと、承けておいた。

 元和年間、松前城下に一群
 「メナシ地方のアイヌ民族が、100隻近い舟に鷲の羽やラッコの毛皮などを積み、松前に」から、海獣・猛禽類の資源豊富地。

 1789年旧暦5月、
 今なら6月中旬に野付水道に流入の河川河口で、アイヌ民族が本州側稼ぎ者、輸送船舶従事者を殺戮、しかし37名が処刑される犠牲を払う。
 それまでの、コシャマインの戦い=15世紀、シャクシャインの戦い=17世紀がアイヌ民族間の戦いであるも、今次は本州側に攻撃の手段。
 サケ・マス資源の一大産地にして、犠牲者の内訳から陸奥国下北郡との稼ぎ地及び米市場形成を、読む。

 有力な高額請負漁場。
 今回は触れずも、場所請負制度下では高額落札の漁場群。その根室・国後。
 1857年、ニシペツ事件なる訴訟が発生。当時の斯界きってのサケ漁展開地。川の河口と上流域に依拠するアイヌ民族間で利害が対立。
 河口で張り網。遡上河川漁が海洋で捕獲されて遡上量が激減した段階。そこに釧路川河口を生活圏とするアイヌ民族がかかわる点に、東方社会の波及範囲を示唆する。