「今日は何の日」
「忠臣蔵の日」

1702年(元禄15年)12月14日は赤穂浪士による吉良邸打ち入りの日です。
江戸本所松坂町にあった吉良邸の一部は現在松坂公園となり、毎年この日は元禄市で賑わい、午前中は義士祭、午後は吉良祭が行われるそうです。

赤穂浪士や交響曲第9番ニ短調作品125(第九)が話題になって来ると、否が応でも暮れが押し迫ってくる感じがいたします。

 映画、浄瑠璃や歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」に、大石内蔵助が「一打ち、二打ち、三流れ」の山鹿流陣太鼓を叩く名場面があります。
大石内蔵助も門弟のひとりだったとされる山鹿流軍学の始祖・山鹿素行(やまがそこう)は、陸奥国会津の出で、朱子学を批判したことで江戸を追われ、流罪先の赤穂藩で厚遇をもって召し抱えられます。

 時が過ぎ、長州藩に生まれた杉虎之助は、幼くして山鹿流兵学師範の吉田家の養子となり、やはり叔父で山鹿流の兵学者であった玉木文之進から過酷な教育を受けます。
この杉虎之助が、後に明治維新の精神的な支柱となった吉田松陰です。

 ところで、山鹿素行の言葉に「常の勝敗は現在なり」というのがあります。
勝敗を決するものは常日頃の中にあるというこの言葉、勝負の世界に生きる人に限らず心したいものです。
こういったこと考え合わせると、歴史の巡りというのは皮肉と言いますか、不可思議なものを感じます。