2003年02月の記事


モールス信号を自動発信するの巻。
さっき、パソコンがモールス信号を発しはじめて、吃驚した。
端末の机の上も、メールボックスも、図面データにいじめられて、容量ぎりぎり。整理しようにも、要る図面ばかりだし。そもそもそんな暇ないし。

とりあえず机(現実の)の上を少しだけ片付けて、図面を届けて、やっと家路に。。

たまにはですね、仕事するんです。
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こしかたの記:渡船場のつぶやき、今晩発行しました(今回はメルマガ限定!)
何で口笛が PUFFY?

t.A.T.u.情報。
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000091294

あまりにも久しぶりに風邪を引いてない状態なので、頭の廻り具合(クルクルまわって空回り)と、体の動き具合(とりあえずちゃんと動くがすぐ疲れる。体力なし。如何に消耗してきたか…)が全く噛み合わない。リハビリが必要。

で、〜:渡船場のつぶやき、発行しました。(熱で飛んでしまってました…)
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復活。たぶん。
頭も廻る廻る。時代も廻る。

小学生の頃、遠足で高揚しつつ疲れて帰ってきた日の翌日、起きたときのように、スッキリ。

やっと光明が。

…大袈裟な。

みんなで二種類のインフルエンザに罹り、みんなで頭がボオッとして記憶力と思考力が大幅に減退する日々も、そろそろ終わりか。
とりあえず早く寝ます。
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Radiohead の新作は6月9日発売
とのこと。
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もう風邪薬の飲み過ぎで、脳細胞も踊りだしてるんじゃないかと思うほど。

とりあえずさっきまで、Swallowtail Butterfly (Yen Town Band) は頭の中を舞っていたが。

ドとレの間の無限の音階と、正弦波〜の無限の音色のことを、三味線の調べを浮かべつつ、思う。

そろそろ一日が40時間くらい欲しくなる季節。
8年振りの雪解けの兆しは、どうしてよりによって、誰もやりたがらない、本当にできるのかどうかも怪しい、全く予想もしていなかった形で訪れるのか。
まあいいんだけど。できないことなんてないし。どうせワケノワカラヌ仕事はいつも私だし。
でも、今度ははしごを外されないようにしないと。一応カッコはついたけど廻りは死屍累々…って、残された者にとってはとてもきつくて、何より哀しいから。


昨日も永六輔の視線はさすがの一言。


普段をどんぶり鉢とすれば、湯呑みか、時にお猪口くらいになってしまう頭のキャパで、、3月は迎えられるのか。
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これだけ目につくと、さすがにいくつか読んでしまう、椎名林檎のインタビュー。
でも、キーボード・マガジンだったか何だったか、クリエイターサイドの雑誌の記事が、さらに電腦化されている音作りの現場の話と共に、興味を引く。使っている機材、作り込み、各種楽器、…、創る側として実に具体的に語る彼女らの言葉と写真は、本人の言葉を半端に繋いで結局インタビュアーの思い込みになってしまう数多の記事とは、明らかに一線を画する。有意識的でないと、ものなんてつくれないこと、それは、引き摺った感傷なんかじゃなくて、もっと cool な、醒めているともみえる視線が必要なこと、ふと坂本龍一のサウンド・ストリートなんかが思い浮かんだりしつつ、思う。
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加納朋子(別サイト)アップ
朝がつらい。ここ数日、寝汗とヘンな夢で半端な時刻に目覚めてしまい、干からびててだるい。晩あたりになってくると、寒気を絶えず感じる以外はだいぶまともになってくるのだが。

ストーンズ・トリビュートの、というかなぞの faith-group all star cast +α の live のチケットをとる。やっと生で畠山美由紀の声と、うまくいえば青柳拓次のギターが聴けそう。CD、どうも CCCD になりそうな気がするので尚のこと。
で、直後に、他の live とバッティングしていることに気づく。あぁ。神の嫌がらせか。いろんなことが擦れ違い、しかもそれに馴れてきつつある、、

川内倫子、晩 9:00 までやってるってことは平日でも行こうと思えば行けることに突如、気づき(←いかに頭の回転が止まっているか改めて自力認識)、今日も寝ることに。

ふと、Since Yesterday の Strawberry Switchblade 版と Tommy february6 版とを交互に聴く。やっぱり Strawberry Switchblade。リズムのリピートは、そして僕は途方にくれるみたいに絶えず音色を変えていかないと、単調になってしまうのです。それと謎のリバーブのカット。ホーン・セクション。スネアの連打。ユーロですね〜。しかしグラスゴー出身だったとは。UK なのにちょっと違うのはそのせいか。ちなみにベル&セバスチャンも、ということを知る。

日々、な〜んも頭に入らず、見ても聞いても読んでも右から左。ほんとにジャッキー・チェンじゃないけど Who am I?! てな感じ。果てしなく投げやり。捕まった人のなげやり倶楽部とか思い出したり。

ワケノワカラヌ風邪日記、続くのです。自分でもとても嫌。明るい話題なんもなし。

今日は、あったかかったのかなー。晴れてたみたいだし。
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加納朋子の掌の中の小鳥の容子
今日は、起きたら起きられず。風邪薬を代えると風邪が復活とは。熱だけでなく喉まで。昨日は京阪の特急で計一時間半ほど寝た上に、夜に12時間以上!寝てしまい、腹が減ってますますフラフラ。今、全く信用ならんものの筆頭が自分の体調である。わけわからん。直る日はくるのか。

今月、過去20年くらいで最大の睡眠時間をとっている気が。

さすがに夕方あたりからゴソゴソ。
加納朋子の掌の中の小鳥、書きかけだったのでとりあえず。一話目での容子のこと、どうしても気になるので検索するが、触れているのはわずかに2つのサイトだけ。しかも一つは2ちゃんねる。それも容子のその後、とても気になるのだけど触れている作品は? との問いかけに返事なし。もう一つのサイトは、どうも読み方がずれてるし。

いや、切り捨てないとバランスがおかしくなるってことはわかるのです。どういう形で展開させたとしても、普通の作品の後日譚に遥か及ばない出来になってしまうってことも。
でも、だからって、過去のものとしてしまうことは、私には決してできないし、それは平行して今も生きているから。

みんなそんなこと気にもならないのかー「爽やかな」ミステリーなんてよく書けるなー読み手も書き手も冷たいんだなぁ…とか思って。

ふぅ。
京都と奈良に用事があるのに、困った。親しらずのあたりまで痛いってことは更に熱が上がってるってこと?
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今週はついに、一日も休まず会社に行けたー。空腹の風邪薬のせいかめちゃめちゃハイである。
発端は、斜め向かいの、風邪なんかで休んでるところを何年もみかけたことのない先輩が、咳と洟でボロボロになったことに始まる。おかげでうちの島は、絶えず誰かが休んでいる、決して全員が揃うことのない部署になってしまった。。
その先輩、未だにボロボロで、特に今週は2回くらいしか会っていない。。

今日は、一日*回(自粛)服用のせいで風邪薬がさすがに切れてきたので、より強力そうな、熱にもちゃんと効く(ことになっている)のに代えて、早速飲んだらこんな感じーである。だいぶおかしい。

やっとタトゥと t.A.T.u. と実際の曲とが結びついた。HMV のおかげ。Trevor Horn、久しぶり。ノリノリの、ちゃんと今の音になってて、嬉しい。しかし元の、ロシア語 version を聴くと、、Trevor Horn じゃなくていいような気が、、既に、手を加える必要のないレベルで出来上がってるんですけど、、英語の発音でも教えたのか?

説経 小栗判官、書いてなかったけどこちらのサイト↓での紹介のおかげで読んだのです。
http://plaza11.mbn.or.jp/~Yu/index.html
感謝の気持と共に。しかし無断リンクは良くないです。たぶん。ご迷惑をおかけしてはいけませぬ。

で、昨日の藝術夜会の詳細、美術系の ML での、主催者側の方からの投稿の無断引用(抜粋)なのです。あまり良くない。。てっきり講演+朗読実演と思いきや。遅れたら入れなさそうで。間に合うのか?

こうして、いろんな人に、いろんな形で、支えられているのだと思う。きっと大部分は自分で気づかず。時には相手もそのことに気づかず。
せめて思い付いたときくらいは。

でも問題は、廻りを、いろんな形で傷つけていやしないか、そのことにうまく自分で気づけず、それも熱のせいで普段以上にひどくなっている気がする、ということなんだよなぁ。
ふぅ。
このあたりが限界。きのうよりはましか?
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厭な悪寒。に続き、頭痛。月・火の、もう直ったとしか思えない調子の良さは、いったいどこへ。

http://www.faith-group.co.jp/stones/
あえて kama aina こと青柳拓次のギター。

http://www.kanayo-net.com/event/index.html
藝術夜会、行きます。↑に載ってない詳細を少し転載。問題は、時刻がキワキワということ。
「日々とコトバとエロスと声」(寝っ転が詩)
大阪城や梅田ビル街の夜景が美しい20階会議室を消灯し、暗闇のなかで、「寝っ転が詩(ねっころがし)」という企画を行います。
室内に敷き詰めた黒布の上に靴を脱いで上ってもらい、寝っ転がりながら、上田假奈代の自作詩を聞きます。
彼女の声を耳にしながら、リラックスしていただく趣向です。
ウッドベースの生演奏も披露され、新しい現代詩の魅力を感じていただければ。

人はなぜ歌うか 六輔流・日本音楽史(永六輔、NHK人間講座)、今週は三味線だった。三味線と三線、歌舞伎とビル・ラズウェルとについて考察してみたいけど日本語が組み立てられる状態にない。

川内倫子、きちんとまとめたいのだけれど以下同文。写真展、既にはじまってしまったし。

上田假奈代、生で体験したことが実はないので、本当に私の趣味に合っているのかよくわかっていない。でも、C/P を読む限りはすごいので。そして、写真家が撮って書いた十七歳。

ザウルス整理週間。坂口安吾の戦争と一人の女、続戦争と一人の女を読む。30cm 四方しか見えないくらいの頭でまとまる筈もなく。
まだ岡本綺堂の番町皿屋敷が残っていたり。

実は、詩のボクシング姫路大会予選、直前まで迷って、体調優先で行けなくて。本大会こそは、と思っているが3月だけはどうなるかわからない月なので。だからこそ予選はぜひみておこうと思ったのだが。

もう手は怪我するし。
とても low. でまた廻りに迷惑をかけている気が。
風邪薬を一日*回(自粛)飲むと、丸二日で喉と鼻がほぼ全快したのにはおお! と思ったのだが、肝腎の脳味噌が。

U2 のボノがアバについて語るのをみたら、いつの間にかノーベル平和賞ノミネート。

で、Alicia Keys の日記、テーマは friendship って、、
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私、「はてなアンテナ使い」です、いろいろ更新しました(別サイト)、メルマガ(〜、絵画)発行します
時々書いていることですが、はてなアンテナの利用を推奨します。

簡単にいえば、お気に入り登録を絶えず更新日時順に並べかえてくれるもの、である。

もともとは自分のサイト(特に BBS)を入れていた。
何か月かに一回しか書き込まれることがない(というよりあえてそうなりそうにわかりにくいままにしている)、とはいえ書込みがあったときに、やっぱり一両日中には何らかのレスをしないと失礼な気がして、でかつては律義に毎日のように覗いていたのだが、はてなアンテナを知って、それから解放された。

今は、多くのサイトをそちら経由でみている。

ただ、難点があるとすれば、更新されたときにとてもタイミングよく訪問できてしまうので、それを利用してそれこそ BBS などの書込をつづけたりすると、逆に不審に思われたりはしないだろうか、ということである。

だから、はてなアンテナ使いであることを、はっきり「はてなアンテナーです」と表明すべきではないかなぁ、と最近思っている。

しかし、ご存じじゃない方もたくさんおられるだろうし、自分のサイトを、公開されてないとはいえ勝手に一種のリンク集へ登録されるのは嫌、という気持もわかったりするし(ちなみに公開アンテナにもできるのだが私はしてない)、そもそも「はてなアンテナーです」って毎回言うのもなんかおかしいし、ということでどうしたものか、と考えている。

まぁとりあえずここではっきり明記しておこうかと。

相変わらず風邪なので(明日は仕事したい)これにて。
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人はなぜ歌うか 六輔流・日本音楽史(永六輔、NHK人間講座)
数日前から考えていることがあって、きっかけは「説経 小栗判官」(近藤ようこ著)である。説経節、なるもののこと、「山椒太夫」は確か昨年日本画の絡みで読み返したし、「身毒丸」は結局観られなかったものの白石加代子の、ということで一度はチケットまで取ったのに、なんにもわかってなくて。
で、たまたま、「人はなぜ歌うか 六輔流・日本音楽史」(永六輔、NHK人間講座)の第2回の放送を観て、単純に NHK によく出ている司会者としての認識しかなかった永六輔が、本気で、真剣に、早口で捲し立てるかつての、そして今も息づく日本のうたの姿に、捉えられてしまった。
調べてみると、もし三味線が導入されていなければ、説経節のような語り物も、多様なまま今に引き継ぐことができたのかも、と思うし、明治期の文部省唱歌の制定がなければ、今の日本において、洋楽のロックも、日本のロックも、浄瑠璃も、民謡も、語り物も、筝曲も、声明も、そして歌舞伎も能楽もうたも祭りも、みんなみんな仲良く共存できたのかも、と思うのである。

確かに、小さい頃、琴や三味線の音色、歩いてたらどこからともなく聴こえてきてた。
今も、ピアノやエレクトーンのような西洋の楽器より、琴や三味線のような日本の楽器の方が普及率が高いそうだ。そういえば、家にも、ピアノはないが琴はあったりする。

陰陽師を今ごろ読み始めたのだが(時代の三歩後ろを行く私、、)、源博雅がいろいろしそうな気配だし、第一巻からしてすでに琵琶の玄象がでてくる。

100年後、いや、30年後、虫の音が雑音にしか聴こえない子供が出てきてからでは遅いのである。
永六輔は、とても前向きに、坂本九も、さだまさしも、谷村新司も、みんな邦楽の歌い方をしていて、新しい方でいうと、宇多田ヒカルにそれを感じると言っている。

以前、御神楽(ここでは「みかぐら」)を観たことがある。
そのときに感じた空気は、大陸のおおらかさと、しかし決してそれだけではない、研ぎ澄まされた、そして時に滑稽な、親密な、美しさだった。


http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200302/mon.html

http://kamakura.cool.ne.jp/bbs/windswept?num=371ope=selid=
http://kamakura.cool.ne.jp/bbs/windswept?num=311ope=selid=
http://kamakura.cool.ne.jp/bbs/windswept?num=209ope=selid=
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ああもう体調が悪いと Adrian Sherwood さえもたれる。
何なんだこの謎のアフリカンなリズムは、と思ったら African Head Charge ってまあ。
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もうダメ。
風邪は数時間ごとに振り返し、500km 先から来た上司は、私にとって8年くらい懸案の相手にドタキャンされ、やってることと謝っていることの割合が半々に近い。これ即ちその他すべてやること為すこと順番に謝っている。
素直に寝てりゃいいのだけれど、そうもいかず、意識を失うほどちゃんと寝ても(って意識を失わずに寝るってどんな状態なんだー)、訳のわからん、しかも仕事やら何やらのろくでもない夢ばかり。
でまた廻りに迷惑を。

本当にいろいろごめんなさいおとなしく寝ますうっとおしい夢にも負けないように何とか頑張って。
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廃墟探検家の栗原亨が獅子座のB型ときくと(略)。
ええそうです私は「廃墟の歩き方」や廃墟の写真集何度も手にとって眺めてます買ってないけど。

↑という文が出てきた。
でもそれをいい始めると、木造の小学校の写真集も眺めていたし、美術手帖だって SWITCH だって何だって。

…全くわからぬ文章に、、

〜、書物、出しました。たぶん他にもちょこちょこ発行してます。
陰陽師の一巻をやっと読みました。
白洲正子の世界、行きました。
昨日から風邪が振り返し、大変です。
今回のは、鼻に来るだけじゃなくて、体がだるだるなだけじゃなくて、思考力のキャパが最大一割程度まで落ちてしまうのが、何より辛い。というより仕事がいっぱいいっぱい。
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「身に迫る」という表現はないこと(あるいは「真に迫る」という表現はあること)は了承済です。
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Zoetrope: All-Story といえばあの「地獄の黙示録」の(「ゴッドファーザー」の、とはあえていわない)コッポラが、映画用の優れた脚本を生み出すためにつくりあげた組識、を超えてすでに文芸誌の一角としての地位を確立した存在であるが、
http://www.all-story.com/
2003年春号のゲスト・デザイナーは、あの元トーキング・ヘッズの David Byrne!! である。これにて前号のロウリー・アンダーソンとの謎は解決。
しかし彼が写真をやってたなんて知らなかった。
どうしても Little Creatures のときのヘンな絵と、何遍聴いてもラベルのボレロを思い起こす Road to Nowhere が浮かんでしまうのである。

で、作品のほうは、あの Mario Vargas Llosa(バルガス・リョサ又はジョサ)が!!! 久し振りに名をみかけた。
国際ペンクラブの会長をされてたり、かと思うとあのフジモリ大統領が当選したときの、最有力といわれていた候補であった彼、その真意は? なんてインタビュー記事、ユリイカに載ってたのも随分昔の話である。
で、例によって有名な作家の小説は web では読めない、買わなきゃ読めない Zoetrope、もちろん今回は Mario Vargas Llosa がそうである。

いまだに覚えている。
立候補を表明してから、彼の親しい友人が誘拐され、インタビュー時点で半年間、帰ってきてないと語っていたことを。
選挙活動の応援として妻と子供が乗る予定だったヘリ、爆破されたが搭乗予定時刻に5分遅れたおかげで無事だったこと。

同じ文学であっても、同じ文学になるはずがないのである。
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加納朋子、掌の中の小鳥を読んだ。読むべきタイミングに、読むべきものはある。
で、カート・ヴォネガット 夏目漱石 加納朋子をつないでちゃかちゃか検索。
の中ではカート・ヴォネガット 夏目漱石の検索が秀逸。
村上春樹の羊に、フィリパ・ピアス!、筒井康隆、ガルシア・マルケスの百年の孤独、夏への扉/ハインライン、戦後短篇小説再発見、ロラン・バルトにプイグ、ジョン・アーヴィング……。
なるほど。
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「アートな」という形容をこの世から抹殺したい。だって「アートな」〇〇だった試しがないし。だいたい「アート」って何? 私が少しだけわかるのは ART だけである。


ああもうすぐ鼻が詰まる。(ちょっときたない話だけど)さっき鼻をかんだら、倒れそうなほどの立ちくらみ。こんなときに限って頭の中で勝手にアルコール製造しやがって。意味なくハイ。

ここ8年くらい突き刺さってる縦骨の解決のために 500km 先から人が来ているが、ちゃんと解くには30年くらいかかるんだと思う。解きはじめるだけであと5~6年かかりそうだ。私にとってそちらの面では一番大きな矢であること、5~6年前からわかっていたけど、これまでのところ、結果的には何も変わらなかった。
正直、30年ももたないよ。5年も無理。何ヶ月も駄目だと思う。
矢鴨っていいよなぁ。抜いてもらえて。
よく毎日、厚かましくも、生きてられるよなぁ、私。
とまた誰にも通じない話。


きっといろんなところで、いろんな人を、いろんなことを、無神経にも、傷つけているんだと思う。
My favorites は、例えば鎌倉にあったり、パリにあったり、滋賀にあったり、そして大阪にあったりするのだけれど、ただただ、そこにそうして存在することに、感謝しています。

ありがとう。
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ひそかに(何で「砒素かに」なんだ)過去の名作を読もうキャンペーン中なのだが、夏目漱石の次がカート・ヴォネガットで良いのか? →好いのです。メルマガ、「〜、書物」、読者をどこまで減らせるか(別名どこまで付いてきてしまうのか)実験中で。というより、もうそのままでいこうと思って。他のメルマガも。このサイトも。あのサイトも。

この時間帯の Kiss FM、好いやん。どうして土・日は…なのか。

でもですね、クラナドのデビューアルバムのように日本で3人くらいしか持ってなさそうなのを聴いて、何か書いてるのってたぶん私だけなんですよ。(微妙に自慢?…になるのかどうかもよくわからず)
で、聴くと、妹であるエンヤがどうしてああいう方向へ進んだか、あるいは進まざるをえなかったか、わかったような気になるわけです。
それは哀しい。きっと哀しい。独りよがりな勘違いならいいのに、と思う。
姉の方が、ずっと、情感溢れる colorful な声なんだから。

商業的ないわゆる「成功」と、本質的なところの違いについて考える機会が最近多くて。

で、全然「ひそかに」じゃなくなってしまう。


ところで、こんな日本語、わかっていただけている人、この世にいるのだろうか。
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こしかたの記、別サイト、いくつか更新してます
風邪でボロボロ。息くらいさせてくれー、とウィルスにお願いしたくなる一日。
で、おとなしく寝…てられるわけがなく、一体いつから読み始めたのか思い出せないタイタンの妖女を一気読み。果てしない絶望と愛情のスラップスティック・ロード・ムービー。カート・ヴォネガット、下手すると人生変わってしまうやん。
とカラ元気も限界。ほんとはもういくつかの意味においてヘトヘトなんです。
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ちょっとスゴすぎ。
http://www.faith-group.co.jp/stones/


しかし、毎度のことながら、はてなアンテナさまさまである。
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tokyo.sora、スチール、川内倫子ではないか!! CD、音を聴かなくてもハッとさせるジャケットで、クレジットがなかったから単純に映画のフィルムから起こしたんだろうと思ってて、しかしこういう雰囲気を撮れる撮影監督もいるんだー、と思ってた私はボケボケか? (ボケボケだ!!)
改めてみて、内ジャケットの2枚は100%川内倫子である。表紙は映画から。裏表紙の6枚は、小さくてよくわからないけれど、少なくとも2枚は彼女だ。

…大切なこと、いつも、後から気づく。後からしか気づけない。
その場で気付ける聡明さか、いっそのこと、永遠に気が付けない愚鈍さがあれば。
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一日早いまるかぶり。ご利益は、あるのだろうか、、
でもちゃんと南南東、向いたし。


とある日。
「美術でたどる日本の歴史」(並木誠士著、ナツメ社)を買った。
いや、装丁や色刷りの具合は別にして(カバーは即、捨てた)、私のための本かと思って。
何といってもうたい文句が「絵と文章でわかりやすい!」である。
まるで中途半端な学習参考書みたいだ。
しかし内容は、遮光器型土偶(こんなことば、知らなかったよー)から、若冲(!)、古賀春江(お!)、水木しげるロード(!!)から千と千尋(!)に村上隆、森村泰昌(!?)にまで及んでゆく、というエライ本である。ちゃんと読んだら勉強になりそう。

たまたま BYTEN を手にとる。ハートに溢れてる表紙。
大きな leaf を繰ると、畠山美由紀が、野原で空を見上げている。
、横顔。
丁寧なインタビュー。
少ない音数と、今、ジャンルに対する想いがまっすぐ伝わる。

で、spotting 17。川内倫子である。
ひょっとしてそうじゃないかと思っていたが、やはりそう。
何かといえば、ラッシュ(ベタ焼き)に全く無駄がない。バシャバシャ撮るのとは全く異質な世界。
本当に写真と、そして自分自身を信頼してるんだ。
字はキチャナイ(笑)けど。空気がちゃんと生きてる。
ひまわりの、夏の終わり。暑さにひからびかけの姿、心揺れる。


ここからは今、書く文章。
このところ、もうすぐ京都で川内倫子の個展が開かれる(2/18~3/3、ホワイトキューブKYOTO)ことを知り気もそぞろ。さらに、映画『blue』を撮った写真集も2月上旬というからもう出そう。
個展は花火かららしいが、うたかたも実は買ってない(!)ながら、先のspotting 17はずーっとカバンの中でほんわか優しい気分に、…あまりなってないけど思い出す度状態。
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