人はなぜ歌うか 六輔流・日本音楽史(永六輔、NHK人間講座)
数日前から考えていることがあって、きっかけは「説経 小栗判官」(近藤ようこ著)である。説経節、なるもののこと、「山椒太夫」は確か昨年日本画の絡みで読み返したし、「身毒丸」は結局観られなかったものの白石加代子の、ということで一度はチケットまで取ったのに、なんにもわかってなくて。
で、たまたま、「人はなぜ歌うか 六輔流・日本音楽史」(永六輔、NHK人間講座)の第2回の放送を観て、単純に NHK によく出ている司会者としての認識しかなかった永六輔が、本気で、真剣に、早口で捲し立てるかつての、そして今も息づく日本のうたの姿に、捉えられてしまった。
調べてみると、もし三味線が導入されていなければ、説経節のような語り物も、多様なまま今に引き継ぐことができたのかも、と思うし、明治期の文部省唱歌の制定がなければ、今の日本において、洋楽のロックも、日本のロックも、浄瑠璃も、民謡も、語り物も、筝曲も、声明も、そして歌舞伎も能楽もうたも祭りも、みんなみんな仲良く共存できたのかも、と思うのである。

確かに、小さい頃、琴や三味線の音色、歩いてたらどこからともなく聴こえてきてた。
今も、ピアノやエレクトーンのような西洋の楽器より、琴や三味線のような日本の楽器の方が普及率が高いそうだ。そういえば、家にも、ピアノはないが琴はあったりする。

陰陽師を今ごろ読み始めたのだが(時代の三歩後ろを行く私、、)、源博雅がいろいろしそうな気配だし、第一巻からしてすでに琵琶の玄象がでてくる。

100年後、いや、30年後、虫の音が雑音にしか聴こえない子供が出てきてからでは遅いのである。
永六輔は、とても前向きに、坂本九も、さだまさしも、谷村新司も、みんな邦楽の歌い方をしていて、新しい方でいうと、宇多田ヒカルにそれを感じると言っている。

以前、御神楽(ここでは「みかぐら」)を観たことがある。
そのときに感じた空気は、大陸のおおらかさと、しかし決してそれだけではない、研ぎ澄まされた、そして時に滑稽な、親密な、美しさだった。


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