ひそかに(何で「砒素かに」なんだ)過去の名作を読もうキャンペーン中なのだが、夏目漱石の次がカート・ヴォネガットで良いのか? →好いのです。メルマガ、「〜、書物」、読者をどこまで減らせるか(別名どこまで付いてきてしまうのか)実験中で。というより、もうそのままでいこうと思って。他のメルマガも。このサイトも。あのサイトも。

この時間帯の Kiss FM、好いやん。どうして土・日は…なのか。

でもですね、クラナドのデビューアルバムのように日本で3人くらいしか持ってなさそうなのを聴いて、何か書いてるのってたぶん私だけなんですよ。(微妙に自慢?…になるのかどうかもよくわからず)
で、聴くと、妹であるエンヤがどうしてああいう方向へ進んだか、あるいは進まざるをえなかったか、わかったような気になるわけです。
それは哀しい。きっと哀しい。独りよがりな勘違いならいいのに、と思う。
姉の方が、ずっと、情感溢れる colorful な声なんだから。

商業的ないわゆる「成功」と、本質的なところの違いについて考える機会が最近多くて。

で、全然「ひそかに」じゃなくなってしまう。


ところで、こんな日本語、わかっていただけている人、この世にいるのだろうか。