2002年10月の記事


 
いやですからそれは、大阪港駅にいつも置いてある、C/P を読むと思うのです。
例えば「詩人の回転レシーブ」なんて、タイトルだけで 100% の優秀さが保障されているのです。一文字も読む前から、全て見えるではないですか。「それぞれの人生は、はじまってしまうものなんよ」という今回のタイトルは、その光の当て方を規定しているに過ぎません。と同時に、光が当たらず見えないところさえ、全て明らかにされているのです。これが詩人の力です。いや、一般化するのはやめましょう。「上田假奈代」の力の、一つの表われです。例えリンクが「暇奈代」にいつもなっていても、些かも揺るがない。「十七歳」の十三年後を読んでも、それは残念ながら聞き手の力の限界が露呈され、終わるのです。
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土曜日は、国立国際美術館で浜口陽三展に行き、残り少ない近鉄小劇場で STRAYDOG の「心は孤独なアトム」をみて、サントリーミュージアムのアンドレ・ケルテス写真展をみに行った。
大阪港の夕日、そして夜景、観覧車のライトアップ、遊覧船の光。
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メルマガ「こしかたの記、音楽」発行
野崎美波 Lamps Of Heaven です。
…でも、御本人から誘われると、ふらふら〜っと行ってしまいたくもなるのでした。
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サンタナが!
1位!! ローリング・ストーンズを抜いてるよ! って、あのサンタナだよな〜?! と不安に。トレイシー・チャップマンも元気そうだし。(by towerrecords)

というのはホントは飛んでしまってて、か、かきこみが!!! ひやあ!! と浮かれ浮かれてわけわかんないこと書きそうなので、明日あたり落ちついてからということで。

今日、これから寝付けるのだろうか。

で、今週は風邪でガタガタ。
3人で訪問してるのに、6人テーブルがあるのに、何故かわざわざ4人テーブルに座ろうとしたり。それも、6人テーブルに座ろうとしているつもりで。(…)
名刺ケースを忘れたり。たぶん生まれて初めて。
うう。まっすぐ歩けないのに、何で6度3分なんだ? 絶対狂ってる。この体温計。
ということは、以前7度8分だったけど仕事してたときって、本当はいったい、、
体温計くらいちゃんとしたのを買おうと心に決める。とりあえず寒くて頭痛くてもの考えられずまとまらず。(まあいつもとの説あり)
あした、はーど。車に轢かれないよう頑張ってまっすぐ歩きたい。
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島津創業記念資料館
田中さんを念頭に置きつつ。問合せの電話や、NHK の記者が2人。
京都にとって明治とは、受難の時代であると同時にまだ進取の気風に溢れていた頃であり、それは例えば疎水や水力発電や路面電車という形で表れているのだが、一島津家においても同様だった。
理化器械にはじまり、各種装置、X線、そしてガスクロや CT スキャナ等へとつながる歴史は日本初、あるいは世界初に彩られ、この資料館には創業期の器械とX線装置を中心に実物が展示されている。
しかしドイツ人らしき人物の名を冠した測定装是や実験器具の多いこと。何をどうするものかよくわからないもの多数。
源遠流長。
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トッド・ラングレンの live で、あの曲を唄いながら去っていったときいて、改めて畠山美由紀の A Dream Goes On Forever を聴く。

しかし、アメリカの露骨な嫌がらせには、毎度のこととはいえ、通り越して笑ってしまう。日本が核問題に敏感なことを利用して。足を引っぱって。あんな国に素直に敬意を払っていた昔を、闇に葬りたい。
予算絡みの時期になると、ボイジャーの写真(いったい何年前なんだ?)まで持ち出して「火星に生命の痕跡が!!」なんてやってる NASA の方が、まだかわいらしい。

しかし、はるかに多くの人達が拉致されている韓国での波紋がちっとも日本では報道されてないけど、もうちょっとまわりに目を配ろうよ。一時帰国にまつわる映像も、わからないではないけど。やれやれ。
それで、米(こめ)支援はどれくらいする話になったのだろう。

まるで最近になって東アジアでテロが頻発しているかのような報道、何とかならないのかなぁ。
全世界で前から起こっているし、インドネシアは世界最大のイスラム教徒を有する国家ってことさえニュースでは言わないけど、あんな島だらけの国、オサマ・ビン・ラディンとか以前に民族的にももともとややこしいってこと、触れずに報道して、よく平気でいられるよなぁ。
9.11後、フィリピンやらは特に、そしてマレーシアやらインドネシアやら、イスラム過激派組識への締め付けがアメリカ主導でおおっぴらで行われてきたことも、何にも報道せずに、バリ島は日本人がよく行く海外だからって、急に取り挙げるのは「公正」とははるかにかけ離れた行為ってこと、本当に気づかないほどマスコミは無能なのか。

というのが最近とても違和感を持っていること。
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視覚についての試論の試論
視覚において、同時に2つ(以上)の認識はできない。
だから、絵の不得手な人が描いた四本足の動物は、犬に見えたり馬に見えたり、犬だか馬だか猫だかわからない動物には見えても、同時に犬であり馬であり猫であるという見え方、認識はできない。視覚は「決め撃ち」なのである。
マグリットをはじめとするいわゆる騙し絵は、そういう認識のしくみによって、逆に成立している。
ピカソのようなキュビズムの画家たちは、そんな脳科学の最近の研究結果など知る由もなく、いわば「本能的に」そのことを知り、あるいは発見し、それとも無意識のうちに認識し、「多面的なものの考え方」ならぬ「多面的な物の見方」を文字通りの意味で絵画に、視覚的に認識できる形で、あらわしたのである。

すでに述べたとおり、「頭の中での」ものの認識においては様々な考え方が可能であるにもかかわらず、視覚の認識においては一通りしか(同時には)不可であることは、極めて刺激的である。
例えば、こういうことである。
太古の昔、人類の祖先は、「あれは狼かもしれないが、狸かもしれないが、熊かもしれないが、かばかもしれないが、…」とあわあわしている種族は滅び、きめうちで「狼!」と認識した種族が生き残り、今に至るのかもしれない。
あるいは、そもそも全ての認識はきめうちなのが普通で、突然変異的に多面的なものの考え方のできる能力を身につけた人類の祖先は、現在の「繁栄」の基礎を築いたのかもしれない。
だとすれば、他の生物における認識は?
他の生物における視覚に基づく認知は?

他の感覚、例えば聴覚や嗅覚などについても、同様の議論が可能である。

可能性や選択肢を持つ能力は、善なのか悪なのか。
ひょっとすると、マグリットをみることは、脳に過重な負担をかけ、破壊につながるのかもしれない。


議論の厳密さや用語の正確さに欠けるが、とりあえず。
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ポール・マッカートニーの
No More Lonely Nights がふと心に浮かび、一節唄ってみる。
あの曲が流行ってた頃と今では、全然、全く、その意味するところが違ってしまっていて。
あのメロディは、変わらず優しく包んでくれるのに。
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待っていた詩のボクシング
倉地久美夫氏とうみほたる氏は良いなぁ。
しかし寺内氏は困った人だ(笑)。
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京の街はまだ晩夏の日差し。でも風は初秋のかほり。

昨日の続き。
佐々木幹郎の味わいある笑顔。
坂本美雨、か、かあいい。

・・・だんだん変質しつつあるこの diary,頻度も上がってきてるし。

もとい。
全選手の全試合を見ることができるとは思っていず。
だんだん観る側も熱がこもってしまい。
倉地久美夫氏とうみほたる氏がやっぱり決勝戦だった。
その頃には倉地氏の CD を買ってみようかどうしよう、と迷いつつ、うみほたる氏の思った以上に fantastic なサイトに戸惑っていた。
ひまわり、あんまり売れてないのかなぁ。倉地久美夫氏/うみほたる氏オムニバス CD なんて絶対欲しいと思うのだけれど。

しかし、佐々木幹郎には舌を巻いた。詩人ってすごい。みかけは角淳一風の、ただの酔っ払いおやじなのに。
何故かテルミン、だし、featuring M 以来の坂本美雨は、、まあ特別に許すとして(我は何者か?)、でも、地上波で無事流せて良かった。

西川祐信と木村伊兵衛はまたいつか、別サイトで。
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宇多田ヒカルの、
「ホ、ホ、」「ホ〜タル来い!」
と唄いたくなる曲のタイトルは、未だによくわからない

という内容の断片を見つけた。6月29日付だった。
…今もまだよくわかってない。

そして、やっぱり今年の6月が最終更新になっていた SUPERCAR の HIGHVISION 、アップしようと手を加える。
…単に一文、順序を変えただけだが。風が心地良いので。

そう、Polaris は随分迷って、2回も試聴しに行って、結局やめたんだった。

その間に NEC の CM にこの今かかってる STROBOLIGHTS がとりあげられたりしたっけ。

手を加えた後で罪滅ぼしのように聴くのも。
でも、CD を聴きながら別の CD のことを書くことなんてしょっちゅうだし。
時々、CD walkman を聴きながら、CD ラジカセをかけて、TV は NHK の名曲アルバムで、全く別の CD についてつらつらと、ということも。
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CD walkman 入院
である。CCCD とは関係ないことを祈りたい。
既にパナソニックのポータブル CD プレーヤを買い直すべく各種検討に入っていたり…
かつてラジカセも、同じような経緯で SONY → Panasonic へ乗り換えたことを、事が起こってから思い出す。何にしても遅い。
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山下久美子って、いい感じになってきたよなぁ。
肩の力が軽く抜けて、でも元気で、キュート。
本、以前立ち読みしたけど、しなやかで強い。

その前にクラナドを聴いていた。
エンヤのお姉さんの歌声、表情の豊かさにひたる。

「安寿と厨子王」を読んで、改めて京の絵本版を振り返る。
筆力の powerful さは形態の変化を超える。

グールドの幼き姿を眺めながら、
The End of the World を聴きながら、
バイオリンの音色に耳を傾けながら、
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今日は新しいザウルス(←私にとって)を少しいじってみた。
mp3 をダウンロードして聴けることがわかり(わからずに買ってる私も私なのだが)、例の Jeni Fujita を公式サイトから聴く。…短かすぎてあんまりよくわからないが、思ったよりモータウンっぽい。他の曲も聴いてみないと。
しかし、再生すると、何故か猿が踊り出す画面。つい笑ってしまう。まんまと SHARP の術中に。くそー。しかしちゃんとカット割りまでしてあるよ〜。アップになったり。

やっと「あたいの涙」、書いてみた。久々にメルマガも発行。どうか買いたくなる CD や本が出ないようにと願う日々。先日は積んでた CD がとうとう崩れて、負傷するケースも出たし。そういえばメキシコの作家の絶版本も届いてしまったし。この秋もいろんなものに埋もれてゆく。
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洋楽の新譜情報を探して、最初は virgin-mega をあたっていたのだが(やっぱり UK は強いし)、どうもうまくたどれないので、結局 HMV の UK と、サブで Tower Record をアンテナへ。

最近ますます、予定調和的音楽(って何?!)を聴こうという気が起こらない。
いいかげん藤田陽子を書いて、Wyclef Jean を書いて、クラナドのデビューアルバム(例の1973年の)を書いて、ピアソラに ROVO にグールドに、…と気ばかりあせって何もすすまない。
本をためるのもきついが、CD を積み続けるのも精神上良くない。もう少し刹那的に生きたくなる。

……ダメ。また意味不明。
明日は頭をスッカラカンにして絵を観に行きたい。
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訂正 蓋然性→已然性
…こんな言葉、本当にあるのか?
また適当なことを、、
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The Little Bach Book
グールドをちゃんと聴くのって、いったい何年ぶりなんだろう。
…村上春樹、まだ読んでない。という以前に、amazon の買い物かごに入れっぱなしだ。
、、プロフィール、変えたほうが良い気もするが、、だいたい、Talking Heads を入れることは、私にとって正しいことなのだろうか。

日付が変わってから晩御飯を食べると、文章までもたれてくる。グールドのピアノは、とても清々しいのに。
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畠山美由紀さんのサイトの BBS では、ますます CCCD の話に。ここで私が CD walkman のことを持ち込むと、もっと激しくなってしまいそうなので自粛。

しかし、CCCD と書いてあったので購入を止めた(それも、過去に CCCD を聴いてエライ目に遭ったというわけでもなく)人が幾人もいることに少々驚き。きっと石橋をたたいてから渡るかたなのでしょう。微妙に羨ましい。

でもですね、やっぱり、確率論と蓋然性は、セットであり表裏一体なのです。時々同じことを書いていますが。
つまり、例えば、交通事故に遭う確率が 1% として、 1% という数字を見るか、その 1% の事故に遭った人(にとっては 100% の確率)のことを見るか、その両方を見るか、ということなのです。
(実ニ乱暴ナ議論ダ)

例えば、北朝鮮に拉致された人の家族をみるか、拉致された当事者の人生をみるか、日本の国益を考えたときに何を優先すべきとみるか、アジアの安定のために何を考えるべきか、世界をよりよくするためにどうすればよいか、自分が快適に、御機嫌にやっていくにはどうしたらよいのか、その他もろもろなことも含めて目を開けて、耳をすましてみるか、ということなのです。
(完全ニ歪曲!!)


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優しさの住む街は、何処にあるのだろう。
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