美男僧美声から承元法難 天台声明の中枢大原・来迎院に詣で 2012年11月24日
美男僧美声から承元法難 天台声明の中枢大原・来迎院に詣で 2012年11月24日

 「美男僧侶の奏でる美しい声明が人々に安寧をもたらす」
 法然の弟子に住蓮(じゅうれん)、安楽(あんらく)という二人の僧がいた。ともに美声の持ち主で声明に長け、おまけに美男子であったようだ。

 そこでおさまると、良かったのであるが。
 声良し、顔良しの二人はあまた存在する法然の弟子の中でも絶大な人気を誇り、「六時礼賛(ろくじらいさん)」を唱え、専修念仏の布教に貢献した。
 二人は美声を自在に操り、抑揚をつけ、時に哀切に満ちた声で声明を唱えた。それは大変珍しく、聴聞の人々を大いに喜ばせ、ファンは増える一方。
 折しも末法思想が流行し、打ち続く戦乱と不安定な社会情勢におびえながら暮らす人々は、二人の奏でる声明に阿弥陀仏の救いを見た、とされる。

 時の後鳥羽上皇の許しもなく、宮中に奉仕する鈴虫17歳、松虫19歳が、出家して尼になる。
 怒りの上皇は二人の青年僧を斬首 事件は専修念仏停止に発展するのだと、されている。
 世に「承元 じょうげん の法難」とされる。

 「承元の法難」とは、1207年(承元元年)に専修念仏を唱えた法然とその門弟が、後鳥羽上皇の命により処罰・流罪となった浄土宗弾圧事件
 法然の高弟4名が死罪となり、法然と親鸞はそれぞれ遠流に処せられる。
 法然は土佐国へ、親鸞は越後国に。日本仏教史上重要な宗教弾圧として位置づけられる。