手薄な地域の生活写真  漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域の一面220911
手薄な地域の生活写真  漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域の一面220911

このほど鳥取士族移住の105戸が移住して開村した地域。
 そこに長くお住いの方から、ご一家が学んだ昭和初期~1955年前後までの実物資料と写真4点を見せていただいた。
 昭和27年から32年。個人でカメラを持てるようになった時期かと思いめぐらすと、そこで撮影されている画像は実に、暮らしの<ぬくもり>があるのです。

 現在では大型小売店舗が進出して、賑わいを増す地の自然景観。
 新釧路川の川べり、現鳥取橋ふもとで躍動する少女たち。
 おそらく小学校の大運動会。父母や家族たちの笑顔がみちあふれる。

 写真といえば婚姻や葬儀で一族が集まったときの集合写真。
 威容を誇る工場や社屋、またその内部の操業風景。そうした産業・企業の広報写真に慣らされてきた者にとっては、真に<新鮮>ともいえる四葉の写真でした、ですよ。
 そのこと。つまり「このマチには、女性・子の生活写真が少ない」。それに気が付いたのは、平成の元号が始まった時期であった。

 小樽・函館の写真集には「女性・子どもの生活写真が豊富」。各市発行の写真集を読み比べながら実感した、のだ。
 2003年3月。『釧路炭田、その軌跡』を世に問うとき、「女性・子どもの生活写真」に思い入れてみた。
 今回はうち二葉を掲載してみることに。

 急逝された写真家・片村一氏が生前、撮影された写真群の存在をしっていた。幸子夫人のご理解もいただいて収録を試みた。
 漁業、石炭、製紙への投資で拡大した地域。資源を外部投資で採取し、搬出することで大きくなったマチ。
 その釧路市で、市民が自身でカメラを手にしながら、家族の表情や姿態を画像にする機会。それは「一億総中流」の世を目前にする時まで、難しいことであったのかも。