市中のニーズ賄い300年 東京深川・木場221015
市中のニーズ賄い300年 東京深川・木場221015

膨張する世界的大都市だった江戸。その市中のニーズを賄う受け入れ口。
 木材は深川・木場、漁獲物などの諸品は「鉄砲洲 てっぽうず」というポイントであったか。
 22年10月15日朝、「よみがえる新日本紀行」の「川並さん、東京深川・木場」を見ながら思い巡らしていた。

 「川並さん、東京深川・木場」が最初に放送されたのは1980年。
 大都市・東京の木材受け入れ地は「新木場」に移転する直前。
 木場が受けれていた国内産材木に対し、ラワン材など輸入外材への転換期にあった。

 移転は「受け入れ地」のみでもなく、また、「国内産材から輸入外材」への転換にとどまるものではなかった。
 江戸から続く木材積み取り職人として「木遣り きやり」を歌い力をあわせた「川並さん」にも変化を生んだ。
 職人芸は積み取り労働の主役から、筏流しが橋脚や岸壁に接触するのを防ぐ脇役への転換を迫られた。人力にかわりクレーンなる「機械荷役」が主力となったからだ。

 番組をみながら考えた。さて、続きは次回に。