「普通であることを祈った」 福島モノローグ210703
「普通であることを祈った」 福島モノローグ210703



 福島県富岡町。震災後10年。立ち入り制限区域には往時の一割のヒトしか、戻っていない、と。
 そこで、一人暮らし、飼い放たれた牛馬犬猫と暮らす、一人の男性。

 22021年正月日の出。
 震災以来、「おせち」「初詣」もない正月の10年。
 地域の浜の展望台に、初日に立ち会う。しばし、合掌。祈る。
 「(なにをいのりましたか?)普通であることを祈った」。

 開校後135年の小学校。入口には「解体工事中」の幟・
 「これでまた一つ。記憶が消えてゆく」。そう、ポツリ。

 もとはといえば、国は牛馬に殺処分の指示。
 「(何日も水、エサがあたっていない母子牛)子が乳を求めて近寄るが、母は知っているから蹴とばす」。
 「数日して行ってみたら、二頭とも死んでいた」。

 野菜を植えた。出来は悪い。
 「あと2年くらいしたら、野菜を植えてみる」「(帰村者が)なにをやってたんだ」と聞いてきたら。
 「野菜つくってた、さ」「それが、挨拶だ」。

 訪ねていくと、犬の新生犬が一尾。
 「一頭しかいないから、母犬は神経質になっているようだ」。「子をほっとくと、カラスにとられるぞ」。

 帰還者一割。その言葉が、いかにも重く、厳しい。
 「福島復興五輪」。うかれていて、良いのであろうか。

 (番組案内)「福島モノローグ」 [Eテレ] 4月14日(水) 午後10:00 ~ 10:55
 2011年3月の東京電力福島第一原発の事故後、
 全町民が避難した故郷の町に1人とどまり、取り残された動物たちの世話を続けてきた松村直登(まつむら・なおと)。
 震災から10年、町民がほとんど戻らぬまま「復興」の名のもと、再び激しく変貌していく町で、松村はいかに失われたかけがえない日常を取り戻そうとするのか。
 松村のモノローグを通じ、福島の地に差す再生の光を探る。