忖度してモノわかりの良さ示すこと? 「オヤジジャーナリズム」
 新聞を称して、「おじさん作っておじさんが読む」。だから、若者は新聞バナレをする、と。



 「オヤジジャーナリズム」って、これだ。
 なにやら定義らしき事柄を、「プチ鹿島」という人が『文春オンライン』で記載している。 
 「夕刊紙、タブロイド紙、一般紙の政治面を定義する用語」と示し、「おじさん作っておじさんが読む」。

 ネットの記載を読んでみると、どうやら次のような点にあるようだ。 
新聞社で取材する記者は若いが、それを年寄デスクが仕切り、結果として「読者である<おじさん好み>の、手加減記事となる」。
 どうも、そういうことではないのだろうか。

 たとえば、4日実施の東京都議会議員選挙。
 選挙結果を伝える各紙の見出しは、『勝者なき 首都決戦』(日経)、『勝者なき選挙戦』(朝日)、『揺れる民意 勝者不在』(東京)。

 もう一つの論調は、こちら。 
『都民フ、議席減も「善戦」』(日経)、『公明、全員当選に手応え』(産経)、『立憲・共産 共闘手応え』(毎日)。

 そこで「プチ鹿島」氏は説く。
 「一党だけなかなかポジティブな見出しがみつからない政党がありました」。
 そう記載して、
『国政で批判 自民伸びず』(読売)、『自民想定外の失速』(毎日)、『接種混乱・政治とカネ・五輪…政権不信』(朝日)……。 
かく、並列する。

 どうやら、言いたいこと。
 「今回の都議選は「自民党だけが思いのほか負けた」と読めるのだが、違うのだろうか?」
 「これを『勝者不在』と文学的に言ってやった感を漂わせ、うっとりしてる感じの報道って何でしょうか」。

 「そりゃNHKは菅さんに強く言えないでしょうが新聞はそのまま書いてもよかったのでは」。

 つまるところは最後だ。 「新聞はそのまま書いてもよかったのでは」。
そこを明確にできない所が、論点。
 1)明確にできないから「オヤジジャーナリズム」。
 2)明確にできれば、若者も新聞を読むかもしれぬが、壮年、高齢者が「新聞離れをするか」。

 忖度してモノわかりの良さ示すこと?.
ポイントは4)政権にか、5)広告主にか、3)読者にか。

 「オヤジジャーナリズム」 
 新聞はそのまま書いてもよかったのでは 定義「オヤジジャーナリズム」210706。
 「文春オンライン」が都議選で自民党敗北をいわないメディアを酷評。