「平氏と源氏」
 今年の大河ドラマでは平氏と源氏の関わり合いなども描かれていますが、もともとは平氏も源氏も天皇を祖とする氏族です。

 「平氏」は、桓武天皇の孫らが「平朝臣」を賜ってできた姓で(桓武平氏)、桓武天皇が建設した「平安京」に由来した名だとされています。

 一方の「源氏」は、嵯峨天皇の子らに、皇室と祖を同じくするという名誉の意味をこめて「源朝臣」という姓を賜ったのが始まりとされます。
後に清和天皇の皇子を祖とする清和源氏が、源頼朝に代表される武門の家柄として栄え、多数の武家が清和源氏の子孫を称しました。

 平氏や源氏の他に藤原氏と橘氏の四つの貴種名族をまとてめて「源平藤橘」と言い、武家は必ずいずれかの「氏」を名乗っていましたが、しだいに地方の豪族も勝手にこれら四氏の子孫と称する風潮がはびこります。
弊害もあってかその後、領地などの地名に基づいた名字(苗字)が発生し、その中でも広大な領地を所有する者は大名と呼ばれるようになってゆきます。

 さて、苗字や、氏、姓など厳密に言えばそれぞれ違ったものであり、いろいろ興味は尽きないのですが、例えば、源平藤橘の一つ、藤原氏から派生した苗字は400氏以上にもなると言われています。

 朝廷に近い藤原氏は、近衛・鷹司など公家の屋号、あるいは邸宅のあった地名を名乗り一条・九条など、政権中枢部にいたため敢えて「藤原」を強調しなかったのに対し、地方に流れた藤原氏は、出自を知らしめるために「藤」の一字を残したようです。

 例えば、地名に由来するものとして近江の近藤、伊勢の伊藤、加賀の加藤、遠江の遠藤など。官職名に由来するものとして左衛門尉の佐藤、斎宮頭の斎藤、木工助の工藤、主馬頭の首藤、内舎人の内藤などがありました。
また、安倍と藤原で安藤、大江と藤原で江藤など他姓との結合によるもの、藤井や藤田など頭に「藤」を冠した名字も多数あり、さらに藤を富士、不二などに改めた例もあります。

 平氏や源氏由来のものも数あり、例えば北条氏や大庭氏、三浦氏、土肥氏などは桓武平氏から、新田氏や足利氏、佐竹氏、武田氏などが清和源氏からの派生とされています。

 ちなみに1875年の今日2月13日は、明治政府の太政官布告「平民苗必称義務令」によって、国民すべてが苗字を名乗ることを義務付けられた日です時には出自を創作し、粉飾が横行していたことや、その発生の多様性から、苗字を辿って得られるルーツは正確ではないかもしれませんが、興味をそそる話題ではあります。