「平泉の文化遺産①」
奥州藤原氏は、源義経と関わったことで滅ぼされ、その本拠地の平泉も一時はずいぶんと荒廃したそうです。

 奥州藤原氏の滅亡から500年後、松尾芭蕉が平泉を訪れました。
栄華を極めたであろう居館跡が田園になってしまった有様を見て詠んだ句が

  「 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 」

 そして、朽ち果てながらもかろうじて光を残す中尊寺の金色堂においては、

  「 五月雨の 降(ふり)残してや 光堂 」

の句を残しています。

 ところで、中尊寺金色堂に納められていた藤原四代の遺体(ミイラ化した遺体と首級)の学術調査が行われた際、副葬品の中に蓮(ハス)の種子が発見されました。

 その種子はおよそ800年の時を経て大輪の花を結び、「中尊寺蓮」として毎年この時期には清楚な花容をみせているそうです。