「悲観主義・楽観主義」
 聖徳太子の頃に遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、書道の神様と崇められる小野道風(おののとうふう)。
名古屋の熱田神宮の東門には小野道風の筆による「春敲門(しゅんこうもん)※」の額が掲げられています。      ※春敲とは、春がやって来てたたくという意味。

 春は東から吹く柔らかい風に乗って訪れると言いますが、そんなことをふと思い出しました。

 ところで、「悲観主義者は、機会の中に難しさを探す。楽観主義者は、難しさの中に機会を見いだす」との言葉がありますが、物事をどのように捉えるかはその人によって異なります。
そして、そのことが結果を大きく左右するようです。

 よく引用される次のような話があります。ある靴メーカーが未開の島に営業マン二人を派遣したところ、一人は「この島では靴を履く者がいないので見込みはない。靴は売れないだろう」と報告し、もう一方は「この島は誰も靴を履いていない!(たくさん売れそうだから)今すぐ大量に靴を送れ!」と連絡したそうです。

 「悲観論は気分。楽観論は意思の力」とも言い、物事に悲観的になることは容易く、それを理由に努力を放棄するのであればそれはそれで楽な選択ではありますが、悲観的な気分での行動が良い結果につながるのは稀なことです。
上記の例では一つの事柄に対し全く異なる捉え方をしているのですが、とっかかりのこの差はその後の展開に大きな差を生じさせます。

 ちなみに冒頭でご紹介しました道風には次のような逸話があります。

 道風は自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書の道をやめてしまおうかと真剣に悩んでいる頃のある雨の日、蛙(かえる)が柳に飛びつこうと、何度も何度も挑戦しているのを見かけます。
初めは不可能なことと蛙をバカにしていましたが、いつしか蛙を応援している道風。
その時、偶然に風が起こって柳がしなり、蛙は見事に柳に飛び移ります。
これを見た道風は蛙をバカにした自分を恥じます。
一生懸命努力をして偶然を自分のものとした蛙ほどの努力を自分はしていないことに気づき、その後の血を滲むほどの努力をするきっかけになったといわれます。

 花札で人物が登場する唯一の絵柄「雨(に小野道風)」はこの場面を描いたものです。