「節分」
 明日は節分ですね。
もともと古い暦では節分は年越しにあたり、豆まきは、新年を迎える厄払いの行事として豆を蒔いたことに由来してるそうです。
鬼の目、つまり「魔目(まめ)」めがけて豆を投げれば「魔滅(まめ)」につながるといういわれもあるようです。

 地域によっては節分に鰯(いわし)の頭を焼いて柊(ひいらぎ)の枝に挿し戸口にかかげる慣わしも残っています。鬼は鰯の臭いを嫌がり、やって来ても柊の刺に目を突かれたりして中に入って来れないと考えられていたようです。
鰯のようなつまらないものでも、信じる心さえあれば大変にありがたく思えてくるという意味の「鰯の頭も信心から」という言葉は、節分の行事に由来してるようです。

 豆まきの豆は福豆と呼ばれ、無病息災の御利益があると考えられています。ただ、自分の年齢の数だけ豆を食べるのは大変という方は、福茶といって、茶碗に豆をいれて熱いお茶を注ぎそれを飲めば、豆を食べたのと同じ御利益があるそうです。(^^) 

 コンビニなどの販売促進で関西圏中心だった”恵方巻”が全国区になりつつありますが、「砂おろし」といって節分にコンニャクを食べる風習があったり、大晦日と同じ意味で蕎麦を食べる地域があるなど、節目の行事として日本全国に様々な風習が残ってますね。

 ちなみに、鬼を祀っている寺社や「鬼」の付く姓のご家庭では「鬼は内」、あるいは「福は内」のみの掛け声が多いようです。
又、商家でも「鬼は内」と言うところがあります。鬼は大荷に通じるとして、大きな荷物が内(店)に入らないと商売繁盛につながらないためだそうです。

 豆は、一粒が多くの実をなす一粒万倍。一粒万倍とは、良きにつけ悪しきにつけ、後々たくさんの数に増えてわが身にかかってくるという意味でもありますので心したいものです。

 そして、節分を過ぎますと暦の上でも春(立春)がやってきます。

「なにとなく 心さやぎていねられず
   あしたは春の はじめと思へば」     良寛