「共生の世界」
 コインに裏と表がある様に、ある一つの事実でも、その見方によっては、全く違って捉えることが出来ます。
 
 次のような話がありますので、ちょっとご紹介させて頂きます。

 くもの巣に蝶がかかっており、幼稚園の先生はその蝶を逃がしてやりました。見ていた園児の一人が食ってかかってきて、

「先生!そんなことをしたら、くもがかわいそうじゃないか?!」

 先生は一瞬、「いやなことを言う子だ」と思いましたが、よくよく考えてみたら、その子の言うことにも一理ある。せっかくの餌を逃がされて、くもは腹をすかせたに違いない。だとすれば、自分は蝶を助けて、くもを虐めたことになる。

 上記のような問題が、実際に先生方の研修会で議論されているそうです。

 この問題は、我々の「世界認識」の問題ということでしょうか、西洋近代の考え方は、「生存競争の世界」といった見方になるようです。
すなわち、人間も他の生物も、すべては自己の利益だけを考えて生きているという見方です。
その見方はまさに「弱肉強食」です。強いくもは弱い蝶を捕食して生きる。弱い蝶は犠牲者だといった見方です。

 ところが、仏教では一寸見方が違ってきます。仏教はこの世界を「共生の世界」と見ます。
あらゆる生き物が互いに助け合い、共に生きようとしている世界だと認識します。
もちろん、そこには捕食の関係があり、くもが蝶を捕食し、ライオンがシマウマを捕食する、
それはその通りですが、それは「弱肉強食」ではなく、仏教においてのそれは、蝶がくもに、シマウマがライオンに自分の命を布施していると見ます。

 じつは、捕食者のライオンがいないと、シマウマは増えすぎて、いずれ食糧不足になり全滅する。
だから、シマウマはライオンに助けられて生きている。
仏教ではそのように認識し、蝶はくもに命を布施しているのであって、園児の見方の方が正しいという見方です。

 難しい話になりましたが、同じ事象でも違った角度から眺めると、いろいろな見方、考え方が出来るよい例のように思います。

編集 yattyan : 十六夜さん、一寸会話離れてましたね。元気で介護、仕事、創作に励んでるのでしょうね。何時も人生全般に的を得たコメントを有難う!(^^)
編集 十六夜 : 命について考えるとき必ず行き当たる問題ですね。わたくしたち人間も 生きるためにはあらゆる生き物を殺生しているわけで。。 けれど その事実をふまえつつ「命の大切さ」を知ることが尊いことなのだと思います。 ひさしぶりにじっくり読ませて頂きました。