「仲秋の名月」
 今度の日曜日(9月14日)は旧暦八月十五日の「十五夜」です。
天気予報が気になるところです。

 満月は15日の晩ですが、晴れれば14日の月が「仲秋の名月」です。
昔の人は、たとえ雨で見えない十五夜であっても、「無月」または「雨名月」といって、「これもまた風流なり」と言ったそうです。

 満月は数あれど「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」と舌を噛みそうな歌にあるように、月見といえばこの月を指し、昔の人にとっては花見とともに最大の楽しみ事だったようです。
又、この時期は収穫の時期であるため、その年の収穫物を月に供える風習があり、現代でもお団子などを供える姿に残ってますね。

 明日の晩は「待宵(まつよい)」といって明後日の名月を待ちわびます。
15日の晩の月は「十六夜」と書いて「いざよい」。
月の出は一日過ぎると約40分も遅くなるため、「いざよう」ようにためらいながらなかなか姿を現さない月という意味です。

 月の出がしだいに遅くなるにつれ、待ちわびる仕草も変化し、それとともに月の呼び名も変わります。
立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)・・・。

 満ちてゆく月に対してよりも、欠けてゆく月に特別な想いが残ります。
遠く離れた人もこの同じ月を見ているだろうかという憶いは多くの歌や詩を生みました。

 また「仲秋の名月」と同じように、旧暦九月十三日の月(十三夜)を「後(のち)の月」といって古(いにしえ)の人は好みました。
十五夜か十三夜のどちらか一方の月しか見ないことを「片見月」といって忌み嫌ったほどです。
「後の月」は「無双の月」とも呼ばれ、満ちてしまう前の状態を愛でる心はいかにも日本的な情緒です。

 「花鳥風月」「雪月花」と呼び、古の人がそのままの自然の姿を愛でたように、現代に生きる私たちもその心を大切にしていきたいものです。