「本地垂迹」①
今日は「物の本」より読みかじった「本地垂迹」説(神と仏の関係を明らかにする)に就いてつぶやいてみます。

 本地垂迹(ほんちすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えです。

「権」とは「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示し、「垂迹」とは神仏が現れる事を言うそうです。

鎌倉時代になると、逆に仏が神の権化であると考える神本仏迹説も現れた。

 歴史的に見た日本仏教の最大級の特長の一つに、在来信仰との融和があります。
つまり、日本に古くからあった「神道」と、これといった大きな対立もなく融合することができたのです。。

例えばインドでは、仏教は土着系?の宗教であるヒンドゥー教と融合した結果、逆にヒンドゥー教に吸収され、見た目には消滅してしまった。(正統な仏教といえるものはイスラム教に破壊されてしまった。)

 中国では、一通り伝来した仏教が、中国文明という巨大なふるいにかけられ、禅と浄土教という2つの即効性のある教えが、中国人の好みに合う?ものとして残り、あとは淘汰されてしまった。
但し、「元や清」などの制服王朝においてはチベット仏教が信仰されていたが、これはまた意味が異なる。
そして「道教や儒教」と融合することはなかったようです。(一部影響は受けているが)。

 日本には飛鳥時代以来、中国経由で仏教が伝えられ、廃れたものもあるが今なお続いているものが多い。
そして、それらは神道と共存というより、融合して明治維新まで続いて来たのです。
これが、いわゆる「神仏習合」「神仏混淆」ですね。
これは外国にも例があるのかどうかは知らないけれど、おそらく世界的に見ると宗教としては大変珍しい現象ではないかと思っています。      

<・・・・次回へ続く>

編集 OTERA座の怪人 : はじめまして。仏教が土着の宗教を取り入込むのは仏教世界に共通のことですが、日本はその意味づけの発達の度合いが特異的といえるかも知れません。
編集 十六夜 : 家の近くにも、元三大師の隣に神社があり、小さい頃から何の疑問なく、お正月などどちらへもお詣りしていました ^^ 次回 楽しみにしています♪ izayoi