「本地垂迹」③
 平安時代が進むと、さらに両者の関係は密接になってゆく訳ですが、ここに「本地垂迹」なる概念が生まれて来ます。
本地垂迹の、そもそもの思想的ルーツは『法華経』にあると思われています。

 『法華経』は聖徳太子以来、日本人に最も良く読まれた経典の一つですが、『法華経』は解釈上、前半の「迹門」と後半の
「本門」に分けられてます。
「迹門」とは歴史上に実際に出現した釈迦牟尼仏についての部分であり、「本門」とは釈迦牟尼仏は遠い大昔、すでに仏となっており「久遠実成」、我々が唯一の仏だと思っていた釈迦は実は「真実」そのものであるところの「久遠実成」の釈迦牟尼仏が地上(現世)に受肉(垂迹)して出現したものだとしています。

 『法華経』は大乗仏教では初期の経典で、ここではまだ「法身」とか「化身」とかいう用語は使われてないようですが、「迹門」と「本門」とはそういう関係にあるようです。
先ほど、「受肉」という言葉がありましたが、キリスト教でいうところの「インカーネーション」、すなわち神の霊が受肉して「イエス=キリスト」となったとする思想と、真実の存在である「久遠実成」の釈迦牟尼仏が、現世の釈迦仏として垂迹したという説には強い類似性を感じます。

 それはともかく、仏教信仰が深く根を下ろすにつれ、仏教中心的な立場はもちろん、神道側も(自らの権威を高めるつもり
なのか如何)、神と仏は実は同体なのだという説が説かれるようになって行きます。

 つまり、日本人が「神」だと思い信じていたものは、仏や菩薩が救済のために相手の機(状況・資質)に応じて姿を変えて現れたものだとする(臨機応変)説。それを理論的に裏付けたのが、「本地垂迹」説です。
この場合、「神」は「権現」すなわち「権(か)りに現れたもの」だとされ、神自体の姿は本体ではないとされています。
「権現」に対する言葉は「本地」であり、仮ではなく本来の仏という意味で「本地仏」と言うそうです。

 『法華経』の「観世音菩薩普門品」には「観音菩薩が衆生済度のため三十三種に姿を変えて出現する」と説かれており、これも本地垂迹推進者?には都合の良かった説と思われます。

 ここに至り、八百万の神々は、たまたま(日本に合わせて)そういう姿をしていただけで、全て本体は仏なのだという唯仏説が完成されたようです。
まさに神道からすれば、軒を貸して母屋をとられた状況ですね。この思想は平安時代半ばには完成し、以後神道と仏教の基本的な関係を示す思想として、日本各地に浸透しつつ、明治維新まで一般的に行われたようで、これが神仏習合と言われてます。

 このように、在来の神と外来の神が完全な融合を遂げた国が他にあるのでしょうか?誰か知っていたら教えてください。

 明治維新になり、国家神道の立場から乱暴な神仏分離や廃仏毀釈が行われたことはご存じの通りですが、僕の考えはもう少し研究して、又いずれ別の日につぶやいてみたいと思います・・・・・・・。

編集 十六夜 : 『病みてなお心優しくと思えどもわれには遠し神も仏も』二十歳のときの稚拙な詩です。心も身体も弱かったです(微笑 ☆神仏 という言葉があるように そこに境界線をあまり感じないのが わたしたち日本人の特徴でしょうか。わたしも 色々学習したいですね ^^ izayoi
編集 komakusa : 詳しく、分かり易い解説:ありがとう。