「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」
秋は、収穫の時期で食べ物が飽きるほどあることから、「飽き」が語源の一つとなっているそうです。
余ったものを交換し融通し合うようになったことから「あきない」という言葉が派生したという説もあります。

 また、秋は「とし・とき」とも読み、歳月や時間の経過を表すこともあります。
「一日千秋の思い」は「一日が非常に長く感じられること」を表し、「春秋」と言えば「年月」あるいは「年齢」を表します。

 秋を読んだ歌には、皆様ご存知の「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」というのがありますが、ささいな現象からその後の大勢を推し量るたとえとして用いられています。、もともとは豊臣の世の衰退を言い表しています。

 秀吉の辞世の句として伝わる「露と落ち露と消えにし我身かな 浪速のことも夢のまた夢」に使われる露もまた秋を表し、命の儚さをたとえています。

 ただ、同じ露を詠いながら、栄華を極めた秀吉の句よりも、小林一茶の句の方が琴線に触れます。

「露の世は露の世ながらさりながら」(一茶)