私の父は晩婚で祖父のような感じのする父で
身体が丈夫で風邪で寝込んだ姿を見たことがない

私は兄弟の多い父方の叔母達に可愛がって貰った想い出が有り
父の兄弟の殆どが90代まで長生きをした

生活も大変だったのか地主の父をもつ母方のお世話になり、
氏だけは父方の氏を名乗った。

こつこつ商売を続け、私の子供の頃の記憶では
旅行に行ったのは商工会の旅行に一度だけかも知れない。

父は子沢山の弟にスーパーに有る物を持って行っては食べさせ、
その弟が小学校長を続け裕福になる頃、苦しい生活が始まった。

土地の売買等に手をだし増々負債は増えスーパーを閉店し、
友達の会社専務に依頼して50代半ばを過ぎて会社員となる。

その会社は事務所だけでも50人は社員が居たが、
私の高校の先輩も3人位は同じ所内で働いていた。

景気の良い時代で仕事が間に合わず猫の手も借りたかった時、
定年近い父でも仕事を与えてくれた。

60代になっても車を買えなくて自転車で通っていた父、
笑顔で帰宅し病弱な母に優しくしてくれた。

負債を返し終えても父は70代まで勤務を続け、
私は別の会社で25年間正社員として休む暇なく働いていた。

しかし、私の月給や賞与は父が借りに来る生活が長年続き、
そんな両親が嫌いになる事が何度も有った。

でも、幼い頃高熱が続き私を背負って病院に連れて行ってくれたのは父、
庭にぶどう棚、ザクロ、椿、柚子、菊、梅,桐、

色々な樹木やお花を植えてくれ、全部は思い出せない。
お友達と緑の庭でお花の風景を描いた事も有った。

生まれてから小学生迄は幸せだったのだから、
人は良い時ばかりはなく悪い事ばかりも続かない。

父は物静かで人を使う事も苦手で商人には合っていなかった。
会社員になっていたらと思えどもう遅い。

憎んでいた父が亡くなる数か月前、「お前は幸せに暮らしているのか。」
私の心配をしてくれた時、嬉しさで胸が熱くなり涙がいっぱい溢れた。

もう一度だけお父さんに会いたい、会ったらお礼を言いたい。
私、やっぱりお父さんが好きですと。

編集 sakura1205 : そうですか。わざわざ有難うございます。
編集 翔盟 : 息子への催促の話。 親の催促は信号のようなものです^^
編集 sakura1205 : 翔盟さん、こんにちは沖縄も冷たい風がふいています。私は若い者ではないです。60代半ばの亭主がいるのですから。そうですか。
編集 翔盟 : さくらさんも、もう一度会いたいと後悔?親は子に後悔をさせたくないです。その催促ですよ^^
編集 翔盟 : 若い者は、いつか、いつか、そう思って時が過ぎるです。 そうして後悔してゆくのですよ^^
編集 sakura1205 : ハルさん、プチお久―。父は遊びに行く事も知らずに旅行も知らず、気の毒な人生でした。性格が内気ですから。毎月1日は神社にお参りに遠くまで自転車で行っていました。有難うございます。
編集 sakura1205 : 翔盟さん、こんにちは。息子さんに「母親に孝行して喜ばせてあげなさい」と催促したのですか。気持ちが有れば息子さんから孝行すると思います。有難うございます
編集 ハル : りっぱなお父さんです。お金が無くなってくると 自分の思いと違う事をしてしまう事が多いと思います。お金は魔物です。sakuraさんもよく頑張りましたね。いい人が得をする世の中になってほしいです。
編集 翔盟 : 力のある者は弱者にチャンスを与え、堂々と胸を張ってチャンスに応える☆これを繰り返す。力を失くした者に知らぬ存ぜぬは恩知らずで人で無しと息子に教えた事がありました。「母親に孝行して喜ばせてあげなさい」と催促しましたよ^^
編集 sakura1205 : 魚心さん、お早うございます。確かにこの世に産んでもらって良かったです。有難うございます。
編集 魚心 : 私はどんな親でも自分をこの世に出してくれた事に感謝しています。