2016年12月の記事


お母さんのおにぎり




小学生の時、母の作った遠足の時のおにぎりは美味しい。
心浮かれた気持ちに気を付けなさいと、三角結び。

梅、鰹節、昆布と決まっていた。
他に何もなくても恥ずかしくなかった。

運動会には、赤い大梅が入った丸結び。
梅、鰹節、昆布おまけに
卵焼きと甘夏蜜柑が2個入っていた。

母の目を盗んで裏の家の義ちゃんの傍に走って行く。
義っちゃんに半分以上、分けてあげたと思う。

義っちゃんと私はリレーの選手だった。
義っちゃんは一位、私は8人中6位に終わったと思う。

何か学校行事が有る度におにぎりを作った母。
あの頃、母は両手でおにぎりを握るように、
母の心も私に握ってくれたのかも知れない。

中学二年の冬、バイトに行く時に
握ってくれたおにぎりは涙の味がした。

力のない親でごめんねと言ったように
眼から涙をこぼしたような味だった。

もう一度あのおにぎりを食べたいけれど
60才を過ぎると亡くなり、母との別れは速かった。

母に抱かれた想い出は少ない。
生意気な事を言う私を母は好きではなく、
可愛い言葉使いをする姉を好きだったと思う。

そんな遠い昔のことをふと思い出しながら、
街の夜景を見ていた。

冬至も終わりクリスマスが近づいても、
主人には全く関心がなく、いつも誰かと話している。

お前は俺がいなければ困るし、
居ても困るのだろう?

この川柳のような言葉には驚き何も言えない。
明日も外出したり家事も有り年末で忙しい。
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山茶花の咲く頃
雪いよいよ降り重ねる折からなれば也と、
「暦便覧」では説明している。

天地の気が塞がって冬となり、
熊が冬眠に入り、
鮭が群がり川を上る。

濃ピンクの山茶花がいっぱい咲いたかしら。
静岡の家を見に行こうと主人に問えば行かないと言う。

何故、今年は見にいかないのか、私には解らない。
8日深夜、彼は気分が悪いと早寝をした。

深夜2時、彼は歩けない程の強い眩暈と吐き気で
30分位で症状が軽くなり直ぐに眠ったと思う。

私は午前4時頃、再び眠ったが、
彼の初めての眩暈に心配が過った。

翌朝、彼はゆっくり起床し茶粥を作ると普通に食し、
その日だけは珍しく家に居た。

朝食後はマラソンをするほど元気なのに、
酷い眩暈で歩けないのはメニエール病かも知れない。

眠っていても翌朝まで軽い眩暈は続いていたと言う。
今は何時もどうりにワンマンぶりを発揮している。

医者嫌いで、行くように勧めても怒るだけで、
身長が高いので余計に痩せて見える。

散れども散れども咲く小さなハイビスカスを、
同じ色の山茶花だと思いながら手入れをする。

朝、ハイビスカスを見ながら目覚めれば
心が安らぎ、花びらが多く咲けば嬉しい。

一日で散ってしまうハイビスカスより、
晩秋から冬の間咲き続ける山茶花の方が好き。

花の香りの少ない沖縄の花より山茶花は香りがいい。
山茶花は近づかぬように見ていればいいと思う。
そしてこぼれるように散っていく。

山茶花の 垣根の紅に 日の差して 初恋おもひ 遠き昔に
sakura
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師走の風
南国も今週から風が冷たくなり、
行き交う人の洋服も晩秋に着るものに変わった。

住まいを出る時、隣の部屋の男性に初めて出会った。
タバコを吸ってとてもきつい眼をしていたが、

「こんにちは。」笑顔で挨拶をすると頭を下げて
私と顔が合い、この場を何とかしなければと焦った。

満面の笑みを浮かべて「出かけますね。」
余計なひと言を言い、出かけた。

朝6時起床し朝食の支度を済ませ、その後片づけ、
洗濯機が回っている間、しりとり回りを途中で辞める。

洗濯物、お布団を干しながらお掃除をし、
細々とした事を済ませ、昼の買物に行く。

昼食の支度をし主人が外出すれば、片づけをし、
私も外出をする。帰りに夕食の買物をする。

夕食も同じ事の繰り返し。
こんな平凡な生活のなかに幸せが有ると気付く。

濃ピンクの小さめのハイビスカスが毎日のように咲き、
一日で散っても、後から後から蕾が出て花が咲く。

20代の頃は師走の北風が吹こうと
全く寒い等と思ったことも無い。

会社で残業のない日はその足で料亭のバイトに行き、
午後11時に帰宅する時も寒さ等感じなかった。

親に料亭を建てて貰った親友との間が、
女将と仲居さんの関係になり我が惨めさを知る。

財産家と貧困の違いが人間まで変えてしまい、
いつか彼女に負けない人間になると心に誓った。

しかし、働けど働けど親友には叶わず、数年後、
彼女は7千坪もある会社社長の奥様になった。
これが玉の輿と言うのかしら。

今はどちらが幸せか判らない。
幸せは自分の心が決めるものだから。

冬風の 立ちそめにしか 湯上りの 肌に冷たき 月の光よ。
sakura
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