うずりんの季節
勿忘草の白い花、風に吹かれて零れる道を、
この町の春を彩る花も何時まで持つのかと。

花の命は何故短いのか儚さを知る。
誰にも言わないけれど私も来年はどうなるのか。

運を天に任せて生きて行くしかない。
頑張る気力体力が続けば良いのだが、

弱気になったら花のように散るしかない。
今を大切に充実した今にと思いつゝ世の中つれない。

人は誰にも言えない事が一つや二つ
有ると思う。

集合住宅の狭い庭のツツジも枯れ、
沖縄の春は、うずりんの季節。(初夏)

真っ赤なデイゴの花がたわわに咲き始めた。
デイゴの花が咲けば咲くほど台風が多いと言う。

ハイビスカスだけは何時だって咲いて、
私は此の花に毎日励まされ、
頑張って暮らしている。
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南国の雨
 南の島に降る雨はぽつぽつぽつりと
静かに音もなく降る日が多い。

如月も終わり,弥生を迎えた。
ほらっ桜の蕾の溜息が聞こえるでしょう。

ハイビスカスの木の枝に雨粒がキラキラ光り、
輝く宝石のように美しい。

母の命日がきても沖縄にいては仏壇もない。
お寺も決めていないし何処に有るのか分からない。

此処で成仏するように祈るしかないのだろうか。
60才前後で亡くなり可哀そうな母だった。

身体が弱かったから糖尿病に風邪を拗らせ、
病に負けてしまい天国へ逝ってしまった。

長い冬が消えていく。嬉しい。
豪華絢爛に咲いた河津桜、その下の川には
菜の花がいっぱい咲き乱れ、とっても綺麗。

河津桜はちらほら散り始めているかしら。
長く咲いてくれて有難う。

香り届かぬ梅の花もそろそろ散るころ。
伴侶と趣味や食物の好みが違う為、喧嘩ばかりの日々。

静岡に帰らずずっと沖縄に住んで居たい。
でも毛虫やトカゲが入ってくれば怖くて

彼に捕まえて貰い、外に逃がして貰う。
こんな事で一人暮らしができるのだろうか。

月日は速く既に二十四節季の啓蟄に入った。
帰郷も二か月足らず、あっという間に

花の五月が駆け足でやってくる。
それまでに身体を鍛えておこう。

午前0時に眠り午前5時に起床。
睡眠時間5時間昼寝なし。

狭い庭には赤いツツジがいっぱい咲いて
私を見て!と言っている。
バナナの葉 いつも微かに 揺れている ここは普天間
空なんてない。sakura
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野道うらうら
今日も何時ものように外出する時、
長い坂道を眺めながら徐々に上がって行く。

この坂を登らなければ何処にも行けない
あゝ溜息をついた。

平で楽な道ばかり歩いていたら
汗をかいて上がった後のやり遂げた気持ちが
分からない。

小さな山の頂上に登りつめた達成感がない。
あの坂道は三回曲がりながら大通りに出る。

大通りには様々なお店が立ち並ぶ。
同じ町名なのに何故これ程、時間が止まったように
静かな丘に有る住宅と交通量が多い街並み。

デジタル時計が目に入る。4時46分の文字が
じっと動かずに光っていた。

時間は流れている筈なのに
デジタル時計は動かない。

楽しい時だけ別の角度に
瞬間移動をしていただけ。

色々な時計が生まれた日から
私は刻まれ続けてきた。

午前0時になったら明日は来るのでしょうか。
午前0時を越したら未来は来るのでしょうか。

買物帰りに南寄りの暖かい風が吹いた。
風が埃に塗れた私の顔を綺麗に拭いてくれた。

ふと眼を上げた時、時計の数字が変わった。
身体の何処にも感じない
昼と夜の境目で。

沖縄は今、緋寒桜が愛らしく咲いて、
私の心を和ませてくれ、思わず微笑んだ。

如月の 野道うらうら 陽に映えて 黄の菜の花は 春告げており。sakura作
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冬の花
冬桜 むずがゆき程 花開く

庭石に 寄り添い咲きし スミレかな

風巻きて 裳裾にからむ 枯れ葉かな

白百合(海底百合)よ こんな所に 何故咲くの

逃れたき 忘れたき月 冬牡丹
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何もなくても幸せ
お正月の初詣にいつもの護国神社へお参りして
午前4時頃帰宅しテレビを付けた時、津波にげて!

臆病者の私は鳴りやまぬ地震速報を聞く度に
自然災害の恐ろしさを感じながらドキドキしていた。

危機感のない主人はテレビ等見ずにユーチューブの
動画作りやマイクでお話をして地震報道には
耳を傾ける様子もなかった。

能登半島地震に遭われた方が今日初めてお水を飲んだ!
気の毒で私は目頭が熱くなり涙がぽろっと頬を流れた。

其の日は熟睡せずに翌日快晴の朝を迎えた。
私は坂道を散歩しながら坂の途中で足を止め、

小高く長い石段から下へ降りるのは楽だが
登りは汗をかき足を止め、ふと父に似た雲を見た。

今月は大好きな父の命日が近づいている事に気づいた。
あの日は冬の寒い朝だった。

けたたましい電話の音に起こされ、父が息を引き取った
と言う知らせ、覚悟はしていたがうろたえた。


引越しは嫌だと古い家に起きたり寝たりしていた父。
一緒に暮らしたかったが離れていたので

介護できなかった親不幸な自分を攻め、
顔の皺が物語るように父の顔は哀れだった。

私は父に経済的援助はしただけで
一緒に暮らせなかった事に「ごめんなさい。」
父の胸に涙を零しながら謝る。

父に育てられ、父が居たから生きて来られた。
私は一緒懸命働き、一か月おきに僅かな生活費を送る。

涙を流して喜んだ父。
「いいのよ、お父さんが好きだから。」

二人共苦しい思い出がいっぱいだけれど、
子供時代に幸せもいっぱい貰った。

私が高熱を出した時も近所の掛かりつけの
医院に背負って連れて行ってくれた。

三才くらいの私は親の暖かさが嬉しくて
「ありがとう。お父さん。」心の中で呟いた。

ずっと両親に感謝しているので一日一回必ず手を
合わせて供養し、私を守ってくれますようにと願う。

何の代わり映えのない新年が幸せすぎると
何時も自分の心に言い聞かせて一日が暮れていく。
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