2009年06月の記事


「午後のひと時」
<<インド>>--ヴァラナシ--


男性たちが、午後のひと時を思い思いに過ごしている。

欧米なら、オープンカフェでのティファニースタイルのお茶という所だろうが、粗末なテーブルと椅子に座り込んで、チャイも取らずに居座って、雑談をしているといった感じが強い。

若い男性たちがたむろしている店先は、何か発売直後のアイドル女性でも載っている、男性向け雑誌などを売っている本屋なのだろうか。

どう見ても、インドでは女性が主役で、目的を持って行動している女性に対し、男性はぶらぶらと目的も無くたむろしている場面が多いようである。

かかあ天下で、世の中丸く収まっている感じは、トルコと良く似ているなと思ったものである。
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「喧騒の街②」
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車道を縫って移動する歩行者の群れ。

人も車もごちゃ混ぜで、信号の無い車道を横断するのは、かなりの勇気が要る。

しかし地元の人々は慣れたもので、一向に車などを気にせずに、巧みにすり抜けていく。

それにしても毎度この光景を見て思うことは、男性たちのダサい姿に比べて、女性たちの服装の鮮やかな事である。

自分の好みの色のサリーを、好みの着こなしで颯爽と街を闊歩する姿は、少なくともファッション的には男性より、数段上である。

此処まで女性が国の衣装であるサリーを、徹底して着る国も珍しいのではないかと、痛感したものである。

右上の広告のように、世界共通の女性ファッションもかなり宣伝されているが、矢張りインド女性は、サリーを着こなすのが誇りのようである。
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「喧騒の街」
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またまた賑やかな街の様子である。

同じ街の中でも賑やかな所と、静かな街外れが交互に現れるのが、インドの都市の特徴だろうか。

どうしてインド人の男性は、目付きの鋭い人間が多いのか謎である。

これは生活の厳しさに起因しているのではないかと、皆と話し合ったものである。

目には、その人の置かれている生活環境や境遇が、多分に現れるからである。

それに比べて、バイクに腰掛けて、堂々たる体躯を休ませているサリーの女性の逞しさには圧倒される。

概してインドでは、男性より女性の方が服装や表情からして、豊かであるように思えるのは、私だけではないようである。
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「露店の少年」
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この果物屋を一人で守っている少年の姿。

この利発そうで意志の強そうなイケメンの少年に、すっかり魅了されてしまい、近くによって彼の姿を撮った。

客の希望によって、ジューサーを巧みに操って、ジュースを売る彼の姿は、立派な一人枚の店主である。

勿論露店の持ち主は他に居るのだろうが、こうして一人で、店を商うだけの器量は彼には有るのだろう。

日本の同年代の少年なら、野球やサッカーに夢中になる年頃だろうが、こうして商いをして一家の担い手になっている彼の姿に、拍手を送りたい気分であった。

後ろ向きで、店を覗いている若いサリーを着た女性達とは、対照的な光景である。
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「果物屋」
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露店の台に一杯積み上げられた果物の数々。

この店は果物そのものを売るだけでなく、客の好みに合わせて脇の果実搾り機で、生のジュースを作って飲ませてくれるのだ。

ここの店番をするのは、利発そうな少年一人である。

母娘らしきお客が、ジュースを作ってもらって互いに飲んでいるようである。

生ジュースは、パイナップル、椰子、オレンジ、バナナに石榴と言った具合だ。

私はトルコに行った時に、オレンジと石榴を半々に割ったハーフ&ハーフを飲んだが、実に美味しかった事を今でも覚えている。
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「兄弟」
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自転車で二人乗りをする兄弟の姿。

実際に兄弟かどうかは定かではないが、顔付きの似ている所から勝手に兄弟と判断した。

弟の方が、得意気に自転車を漕いで兄貴を後ろに乗せている。

インドでは兄弟愛が実にきめ細かであり、兄貴は弟の面倒を良く見、弟は兄貴を尊敬している。

そんなインドの生活習慣を、映画「スラムドッグ$ミリオネア」でも実に見事に表現していた。

家族や兄弟姉妹が、仲良く助け合っていく姿は、今の日本にも欠くべからざるものだと、痛感する次第である。
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「露店商」
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子供や女性が好みそうな小物商品が店先一杯に並んでいる。

この商品を売るのは露店商の一家だろうか。

彼等の背景には、シートの影から顔を出している少年も居る。

更にその少年の後ろに立て掛けてある梯子状のものは、死者を乗せて火葬場まで運ぶ葬式道具であろう。

これだけの画面の中に、インドの縮図のような光景が、びっしりと写し込まれているようである。

偶然であるが、商品の鏡の中に写っている日本人と思しき女性は、我々のツアーに一人で参加していたインド好きの女性である。
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「引き売り」
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昨日と同じ場所から、引き売りの男性が近付いた所でもう一枚。

一体彼は、何を売り歩いているのだろうか。

丸い物が容器の中にたくさん入っていて、何かの果実のような感じもするが、大きな鍋のような物が脇に有るので、食べ物の正体は分からない。

隣を行く自転車を転がしている男性は、私がカメラを構えて、道の真ん中に立ちはだかっているので、怪訝そうな顔でこちらを見ている。

彼らにとって見れば、こうしてカメラを構える日本人が不思議に思えるに違いないと思いながら、シャッターを切ったものである。
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「午後の街」
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街路樹がトンネルのように生い茂った街の光景。

強い西日の中をのんびりと行き交う、物売りや人々の様子は、嘗ての日本を想起させて懐かしい。

バイクがたくさん並んでいる店は、修理屋であろうか。

これだけ街路樹が張り出していれば、ちょっとした雨なら凌ぐ事が出来るだろう。

道路は簡易舗装がされているようだが、土が入り混じって埃っぽい。

メイン道路からちょっと外れると、こんな光景が随所に見受けられるのである。
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「街並み」
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都心から離れるにしたがって、街の中にも緑の街路樹が多くなってくる。

暑い西日の中でも、街路樹は一服の涼しさを感じさせてくれるものである。

軒を連ねる商店の中には、日本と同様空き家が所々に見受けられる。

高度成長を遂げつつあるインドと言っても、地方に来るとあまり以前と変らないようである。

店の前に居る若者達も、何をするでもなく、暇潰しに車の流れを漠然と見ているような雰囲気である。

此処インドでは、何処へ行っても一日の時間が長く感じられるような、街の佇まいなのである。
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「露店商」
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露店一杯に並べられている果物や野菜の数々。

何処の国でも、新鮮な果物などが店先に並べられていると、ほっとした感じになる。

繁華街を通り過ぎると、街の様子も少しのんびりとした雰囲気になってくる。

ヴァラナシはインド第三の都市とは言え、デリーなどよりはずっと地方色が強くなる。

店を張る人々も、商品が売れる売れないを余り気にせずに、店を出していると言った感じである。
荷車に果物が積んであるのは、これから引き売りに出掛けるためであろうか。

此処に住む人たちは、一日が無事に過ぎ、食べて行けるだけの収入があれば良い、と言った感じがしてならなかった。
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「街の雑踏③」
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歩道の露店で売られているのは何であろうか。

玉子のようにも見えるが、それだけを売っているのも妙な話である。

露店の台の上には、商品が無造作に置かれ、店主も何処に居るのか分からない。

車道と歩道の間には、ゴミが散乱し、縁石もかなり破損している。

人はたくさん居るが、のんびりと思い思いのスタイルで、午後の一時を過ごしているようにも感じられる。

何事もあくせくしないのが、インド流午後の過ごし方と言ったところだろうか。
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「街の雑踏②」
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車道と歩道の間には、ご覧のようにたくさんのバイクや自転車などが、雑然と置いてある。

日本でも良く見かける光景だが、駐車の仕方が滅茶苦茶である。

ちょっと歩道に移動するのにも、難儀をしそうである。

しかし日本と違うのは、ほとんどの自転車には鍵が掛かっていないことである。

と言うより鍵が付いていない事だ、これで盗まれないと言う事は、日本より治安が良いのではないかと、思ったものである。

宗教が生活の基本の中にあるインドでは、他人の物を盗用する事は無いのであろうかと、モラルの点で感心するのである。
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「街の雑踏」
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大学の校内を出て、次の目的地に向かう間の街の様子をしばらくご紹介する。

ひとたび街に出ると、またご覧のような雑然とした街の様子が始まる。

車やオートリキシャの間を縫って、客を探す人力車の男は、右に左に車を駆って移動するから、見ていてはらはらする。

こんな雑踏の中で良く事故が起きないものだと感心するが、そこはインドの事、車も人も阿吽の呼吸ですり抜けていく。

その様子は、欧米人が日本の都会に来て、日本人ドライバーは、良く狭い道で車を運転出来るものだと感心するのと、似ているのであろう。
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「牛と人間」
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土を運ぶ男たちの後をゆっくりと着いて行く牛の姿。

のんびりと道路をうろつく牛と、労働に励む人間と、どちらが楽なのかと考えてしまうような光景である。

インドでは牛は神様扱いだから、当然の事のように誰もこの光景を不思議がる人はいないが、他国から来た我々には、慣れるまでしばしの時間が必要である。

インドの何処へ行ってもこの光景は日常であり、この牛の持ち主が誰であるのか、牛を連れて歩く姿を見たことが無いから、夜になったらこの牛は何処に行くのだろうと、気になってしまう。

飼い主は必ず居る筈であろうから、やがては牛舎に戻るのであろうが、彼が自分で家に戻る事が出来るのかどうか、不思議でならなかった。
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「泥を運ぶ男たち」
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大学の構内から土を運び出す作業をしている男たちの姿。

校内の工事でもしているのだろうか、残土を人力車に乗せて運んでいる。

この土を何に使うのかは分からぬが、人力での作業では手間の掛る事であろう。

日本では工事で出た残土は、ダンプカーで効率良く運んでしまうが、まだこんな光景が見られる所が、一時代前の日本を見るようで、懐かしささえ覚える。

第二次世界大戦の日本が敗戦間近い当時、ラバウルなどの日本が占領していた島の戦闘機の滑走路を作るのに、モッコとリヤカーの人力で何ヶ月も掛り造成したのに、アメリカ軍は、上陸するやいなやブルトーザーで一日で滑走路を作ってしまう状況を見た日本兵は、これじゃとても勝てないと実感したそうである。

IT立国と言われるインドでも、現実の庶民の暮らしと、高学歴のエリート社会では、かなりの格差が有りそうである。
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「足を洗う男」
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木陰は有るが午後の大学の構内は蒸し暑い。

この光景を見て、気持ち良さそうだなと思ったものだ。

街の中には井戸や水道は余り無いが、流石に国営の大学構内だけあって、水道も有る。

現地ガイドのアラムさんからは、水道の水は飲まないでくれと注意されているが、地元の人は平気でこの水を飲む。

木の根元の地べたで、チャイを売る男は、この水道の水を沸かしてチャイを作っているようだ。

沸騰したお湯を使うから、大丈夫そうだが、流石にこのチャイを買う気にはなれなかった。

大学の構内は駐車禁止だから、構内の外の駐車場まで、しばらく歩かなければならなかった。
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「公衆トイレ」
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ヴァラナシ・ヒンドゥー大学の校内に有る公衆トイレである。

仲間が用を済ませて出てきた所を撮ってしまった。

流石に大学の構内だけあって、前に載せたトイレよりはましである。

分厚い壁に囲まれていて、小用とそうでない場所が分かれているからだ。

それでも壁の中は天井が無く、雨の日は用を足すのに傘などを差さねばならず、苦労するだろう。

おまけに入り口が男女用に分かれていないから、文明国の女性は入りづらいだと思う。

映画「スラムドッグ$ミリオネアー」の最初の場面では、スラム街のトイレの状況が出てきたが、その汚さは見るに絶えない物であった。
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「集う人々②」
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ヴァラナシ・ヒンドゥー大学の校内には、至る所にこのような男性だけの集団が居る。

どう見ても大学生とは思えないこれらの男性の集団は、実に異様である。

しかもほとんどの男性が、皆裸足である。

唯一制服らしき服を着て、靴を履いているのは警官であろうか。

スラムドッグ$ミリオネアーの映画に出てくる、主人公のジャマールに良く似た少年が一人居るが、彼はこの大人たちの集団の中に混じって、一体何をしているのだろうか。

彼だけが草履をはいているのも妙な話である。

インドでは、結婚するまでは、男女が一緒に行動を共にすることは稀であると聞いたが、実に不思議な光景であり、傍に近付くと怖い感じさえ覚えたものだが、彼等が何をしていたかは、未だに謎である。
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「集う人々」
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ヴィシュワナート寺院の見学を終え、大学の構内に戻った時の光景。

ヴァラナシ・ヒンドゥー大学の校内は広大である。

どう言う訳か、大学生とも思えないような人々がたくさんたむろしていて、一体何をしているのかと不思議に感じるくらいだ。

此処は車も余り走っていないから、恰好の溜まり場なのかもしれない。

これらの人々を目当てに、抜け目無くチャイを売る男が居て、それを飲みながら人々は歓談しているようである。

今日やっと前から見たいと思っていた、アカデミー賞8部門を独占した映画「スラムドッグ$ミリオネアー」を見る事が出来た。

正にインドの現状をこれほどまでにリアルに表現している場面の数々に、息をもつかずに見終え、感激もひとしおであった。

ムンバイ(旧ボンベイ)のスラム街は、つい先日取り壊され、新しいビルが乱立しつつある状況を、NHKのニュースで放映していたが、此処に住む貧しい人々は、家を失って一体何処に行ったであろうか。

貧困と繁栄…今、インドはあらゆる局面で注目されている国のようである。
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「ヴィシュワナート寺院堂内」
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入口を入った堂内は、ご覧のように明るく綺麗であった。

堂内には、妙なる鐘の音が響き渡っているが、どうやらこれはテープで左右のスピーカーから流しているものらしい。

ゆかの大理石は、磨き上げられていて、ひんやりと心地良い。

正面の左右にある絵の奥が、聖なる場所であり、シヴァ神の家族達の仏像が安置されており、更にその奥の部屋には、シヴァ神のシンボルであるリンガ(男根)とシャクティ(女陰)を象った神具の像がある。

しかし一番奥の部屋だけは、撮影禁止となっている。
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「ヴィシュワナート寺院」
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シヴァ神を祀ったこの寺院の正面の光景。

矢張りこの寺院も、構内の光景と同じく、ピンクの建物であった。

何故ピンクなのか理由を聞いたような気がするが、忘れてしまった。

寺院の入り口では靴を脱がなければならないが、堂内はピカピカに磨き上げられた大理石なので、靴下が汚れるようなことは無かった。

堂内は妙なる鐘の音が絶えず鳴り響いており、厳かな雰囲気だが、日本の寺院の中のように暗くはなく、実に明るい雰囲気であった。
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「守衛像②」
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ヴィシュワナート寺院を守る守衛像の姿、その2。

今まで載せていた像の向かって左側の通用門の所に位置する、もう一対の守衛像である。

綺麗な石造の傍の張り紙の跡の無造作な取り残しが、折角の像を見劣りさせているが、これもインドらしいと言えば頷ける気もする。

我々はこの像の左下に有る小さな鉄のくぐり戸を入り、そこで待ち構えている本物の人間の守衛に、何がしかの心付けを払って、寺院の境内に入ることになる。

シヴァ神の家族である神々も、こんな優しい顔をした守衛に守られていると思うと、さぞかし円満な家庭であったのだろうと、神話の世界の話しながら、微笑ましさを感じるのである。
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「守衛像」
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ヴィシュワナート寺院を守る守衛像の姿。

話が前後してしまったが、ヴァラナシ・ヒンドゥー大学の構内にあるこの寺院に入るには、入館料が必要である。

英語で書かれているように、入館料は決まっておらず、旅行者はお布施のような感覚で、心付けを払えば良いのである。

門の左右には、このような像の守衛が居り、左手に有る潜り戸から我々は入らなければならない。

ムガール朝時代の建築を模した、このシヴァ神を祭る寺院は、18世紀に再建されたのだと言う。

日本の仏閣の仁王門のようなものだが、余り怖い形相をしていないのが、いかにもヒンドゥー教寺院のようで、興味深い。
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「パールヴァティの石像」
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こちらはシヴァ神の妃であるパールヴァティの石像である。
手に持って奏でている楽器は、ヴィーナと言い、日本では琵琶と呼ばれている。

琵琶の語源が、こんな所から来ている事も、興味深い。

色が白く、ふくよかでつやつやした感じを表現するのに、白大理石を使っている所が心憎い。

この妃の別名をヒマヴァーティと呼ぶ。

意味はヒマラヤの娘という事であるから、シヴァ神はヒマラヤから妃を迎えたことになる。

ちなみにシヴァ神の長男は、象神ガネーシャで白象の形をしており、次男は軍神ムルガンであるという。

これで今まで載せた石像たちの意味が得心出来たと思う、すなわち最初に載せたシヴァ神と並んで安置されていた白象は、彼の息子なのである。
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「シヴァ神の石像②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ヴィシュワナート寺院の室内に造られた、小さな祠に祭られているシヴァ神単体の石像。

暗くなると、豆電球でライトアップされるらしく、いかにも稚拙な装置が微笑ましい。

面白いのは、祠の上に描かれている、踊るシヴァ神の絵である。

インド各地の寺院には、踊るシヴァ神の絵や、像が数多く残されている。

此処に描かれているシヴァ神は手が4本あり、エネルギッシュに踊る様を表現している。

周りの赤い輪は、日輪を意味していると言われ、太陽と相俟って、シヴァ神はインドでは、エネルギーの源とされていることでも有名である。
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シヴァ神の石像
<<インド>>--ヴァラナシ--


ヴィシュワナート寺院の堂内の脇に安置されている、シヴァ神と象の置物。

黒大理石と白大理石で造られたこの二体の石像は、意外と小さくこじんまりとした一室に飾られていた。

シヴァ神が黒いのは分かるが、象が白いのには謂れが有る。

白い象は神の化身で、シヴァ神や釈迦なども白い象に乗っていたとされているからだ。

これらの石造を見ていて思い出したのは、バリ島ウブドのあちこちで見た同じような石像である。

バリ島も、特にウブドでは、今でもバリ・ヒンドゥー教が中心に信仰されているのである。

こうして宗教のルーツが結び付いている所が、あちこちの国を訪問していると、分かってくるのが興味深いのである。
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「シヴァ神の石像」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ヴィシュワナート寺院の堂内の脇に安置されている、シヴァ神と象の置物。

黒大理石と白大理石で造られたこの二体の石像は、意外と小さくこじんまりとした一室に飾られていた。

シヴァ神が黒いのは分かるが、象が白いのには謂れが有る。

白い象は神の化身で、シヴァ神や釈迦なども白い象に乗っていたとされているからだ。

これらの石造を見ていて思い出したのは、バリ島ウブドのあちこちで見た同じような石像である。

バリ島も、特にウブドでは、今でもバリ・ヒンドゥー教が中心に信仰されているのである。

こうして宗教のルーツが結び付いている所が、あちこちの国を訪問していると、分かってくるのが興味深いのである。
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「インド国会議事堂」
<<インド>>--デリー--


突然だが昨夜NHK特集「インドの衝撃」第二話が放映されていたので、写真を変えた。

カースト制度の最下層に位置する、ダリッド出身のマヤワティ女史が、5月の首相選挙に立候補したからだ。
残念ながら首相にはなれなかったが、貧困層に一石を投じた意義は大きい。

インド北部ウッタルプラディシュ州を統治する彼女は、大衆社会党の党首であり、ダリッドの救世主とされている。

デリーの中心部に位置するこの国会議事堂周辺は、此処がインドかと思われるほど、パリのドゴール広場に良く似ており、綺麗で広い道路に面している。

その様子は後日掲載するとして、昨日のインド特集に合わせて、この写真を載せた。
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