2011年09月の記事


「それぞれに」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


この丘の上の風車を、我々のツアーメンバーは、思い思いに歩いて様子を見たり、写真を撮ったりしている。

此処の丘の上には全部で、4基の風車が並んでいる。

嘗ては此処で粉を挽いたりしていたのであろうが、今は専ら観光用と言った所だろう。

日本でも、ドンキホーテを扱った、松本幸四郎・松たか子主演のミュージカル舞台劇、「ラ・マンチャの男」が、ロングランで公演されていたが、この丘の上に立つと、ラ・マンチャ地方がこんな様子だったのかと、感慨がひとしおであった。

この巨大な風車が、帆を貼り風を受けてギシギシと回る姿は、夜などは怪物に見えたとしても、不思議ではあるまい。
コメント (0)

「一点の雲も無く」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


青い空に白い風車小屋、何と心地良い光景であろうか。

この光景は、スペインの観光雑誌などでは良く見る光景であるが、我々のツアーメンバー三人を入れる事で変化を付けた。

風車の後ろに見える長い丸太の棒は、風の来る方向を見据えて、この棒を移動することにより、風車の方向を変える事が出来るのだという。

この様に風車の向きが変えられるのは、オランダの風車には無いような気がするがどうであろうか。

丘の上だから、季節や気候によって絶えず風向が変わるのかもしれない。

中々合理的な機能だと、青空に眩しく映える風車を、感心しながら眺めていたのであった。
コメント (0)

「風車をバックに」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


此処では誰もがやることであるが、我々もご他聞にもれず、風車をバックに、記念写真を撮ったり撮られたり。

何も遮る物の無い、360度がぐるりと見渡せる丘の上なので、太陽はジリジリと暑く、風車が有る位だから風が強い。

頭の毛がぼさぼさになるのを、やっと押さえて、風がちょっと収まった時を狙って、シャッターを切ってもらう。

コンスェグラの街の反対側は、ご覧のような一面の畑と広野が広がっている。

一年を通じて降雨量が少ないのも、この地方の特徴だとか。

見晴らしは良いが、矢張り此処に住むとなると、便利な地方都市に住む私としては、ちょっと抵抗が有るように思われたものである。
コメント (0)

「ラ・マンチャの街」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


風車小屋のある小高い丘の上から眺める、コンスェグラの街の光景。

此処に来るのにずっと通り過ぎて来た広い平野の中にあるこの街は、街というより村と言った方が当っているかもしれない。

人工1万人のこの街は、ずっと昔アラブ人がやって来て住み着いたのだと言う。

ラ・マンチャと言う言葉は、アラビア語で「乾いた大地」という意味だそうだが、正にその言葉がぴったりの光景である。

世界の7割のサフランを生産するこの地方では、年に一度行われるサフラン祭りが有名である。

スペイン料理の代表格、パエリアには黄色い香辛料であるサフランが欠かせない食材であるのは、良く知られている事である。
コメント (0)

「青い空と白い風車小屋」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


真っ青な空に聳える白い風車小屋は、如何にもスペインらしくて眩い対比を成している。

この風車を、怪物だと思って果敢に攻撃し、跳ね飛ばされたドンキホーテの物語が思い出されて、成程なと頷いたものである。

この時は4枚の羽根に帆は貼られておらず、風車は動いていなかったが、年に一度のサフラン祭りの時は、風車も回転させるようである。

確かにこの巨大な黒い羽根が、ぎしぎしと音を立てて回る様は、ちょっと頭のおかしいドンキホーテには怪物に見えたのかもしれない。

そんな空想を巡らしながら、夏の灼熱の太陽に照らされながら、この風車達を見上げていたのであった。
コメント (0)

「遺跡」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


この丘の上には、風車と同じ場所に遺跡が残っている。

この遺跡は、12世紀頃アラブ人がラ・マンチャ地方にやって来て、周囲を見渡せるこの場所に城塞を築いた跡だと言われている。

今はその遺跡の再現に、修復作業が行われているようだが、クレーンは有るものの、作業員などの人影は見えず、いつ完成するとも分からない有様であった。

矢張りこの地方は、時の流れが、我々の感覚とは違い、緩やかであるようである。

これだけ知られていて、有名な場所なのに、売店も無ければ土産物を売る人もいない。

何処の観光地でも、観光客目当ての土産物売りの人が居るものだが、スペインでそれらを見たのは、グェル公園だけであった。

スペインは西洋でも有数の観光地だけに、それらの行為を厳しく禁止しているのであろうか。
コメント (0)

「風車の見える光景」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


街の中の狭い道路を抜けると、バスは緩やかな上り坂となり、風車が見えてきた。

静かなほとんど人通りの無い街の中を通り過ぎると、突然荒涼たる荒地に出て、バスはくねくねと蛇行しながら、山の上へと向かって行く。

オランダでは、今でも風車が人間の生活に一役買っているようだが、此処マンチャ地方の山の上に聳える風車は、どうやら観光用に保存しているだけと言った感じがする。

年に一度、この風車の下に集まって、街の人が風車祭りをすると、テレビで見たような気がするが定かではない。

遠くからは小さく見えるこれらの風車だが、近くに行くと驚くほど巨大な物である事を、後で知ったのであった。
コメント (0)

「ラ・マンチャの街」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


マドリッドから約2時間、バスは盆地の中のラ・マンチャの街へと入って来た。

ご存知の方も多いと思うが、ラ・マンチャの小高い山の上には、ドンキホーテが怪物だと思って、飛び掛った大きな風車が有る街である。

この街は人影がほとんど無く、まるで街全体が昼間なのに、眠りに付いているような、閑散とした街の様子である。

おまけに細い街の中心道路の先には、右手に微かに見えるように、クレーン車が何かの作業をしているように横たわっており、その作業が終わるまで、バスは待ちぼうけを食わされる羽目になる。

やっとクレーン車が動き出すまでの間、約15分くらいバスはストップしたままであった。

それが当たり前と言わんばかりの、時間がのんびりと過ぎているような、街の光景であった。
コメント (0)

「マドリッドの墓」
<<スペイン>>--マドリッド--


再びスペインシリーズへと戻った。

プラド美術館の絵画鑑賞を終え、これからドンキホーテで知られている、ラ・マンチャ地方へと向かうバスの中から撮った、マドリッドのある墓の入口の光景である。

日本の墓所と違い、陰気な感じがしないのは、矢張り陽気なスペインであるからだろうか。

しかしガイドの話によると、夜はこの墓がアベックの溜まり場になることが多く、時々事件が起こるから、夜は近付かない方が良いのだという。

墓の入口だけ見ると、何処かの邸宅の門のようにも見えるし、威厳が有って遺跡のようにも見えるのである。
コメント (0)

「在りし日③」
<<日本>>--自宅付近--


在りし日とは言っても、これは今年の5月15日に撮った写真である。

連休も過ぎた五月晴れの日、女房と弟の家を訪れた時のスナップである。

折角来てくれたのだからと、弟夫婦が近くのお気に入りのイタリアン・レストランにランチをご馳走に連れて行ってくれた時に、待ち時間を利用して兄弟で撮って貰った。

期せずして、この写真が彼が元気だった時に二人で撮った最後の写真となってしまった。

最近は髭を蓄えたが、私より老けた感じに見えるし頑固そうに感じるから、髭を剃った方が良いと、この時アドバイスしたものである。

もっとも入院後は衛生的に良くないと、看護婦に剃られてしまったのであるが…

4ヵ月前は、事故や心筋梗塞、脳溢血ならいざ知らず、まだこんなに元気だったのにと思うと、人の命の果かなさを思い知らされるのである。

この写真を最後に、既にこの世に存在しない弟の思い出を閉じ、また旅の回顧録へと戻ろうと思う。
コメント (0)

「在りし日②」
<<日本>>--自宅付近--


この写真は39年前の正月に、私が撮影した家族の記念写真である。

在りし日の記念にと思い、探し出したアルバムの中の一枚をスキャンした物だから、画像は綺麗ではない。

向かって左の4人が弟の家族、母を中心に向かって右の4人が私の家族である。

すっかり憔悴してしまった弟の女房を、この時まだ1才だった弟の長男が、通夜葬儀を見事に取り仕切ったのには感動した。

弟は私と違い、当時俳優志願で、演劇学校に通う傍ら、実に様々な仕事を転々としていた。

テレビや舞台にも時々登場したが、40才を過ぎた半ば、俳優を断念し、東洋サッシ(現在のトステム)に就職し、過去の経験を活かして頭角を現した。

当時の社長に気に入られ、全国の営業所長の教育を担当し、10年前の退職時まで東洋一を誇るトステムのショールームの初代館長として辣腕を発揮した。

退職後は、かねての希望であったコーヒー専門店を開店し、現在に至っていた。

面倒見の良い彼の性格からか、退職後10年も経つのに、通夜葬儀に200名以上の弔問客が訪れたのには、実に驚いたものである。

享年69才、70才を前にして他界した現実を、未だに受け止められないで居る私である。
コメント (0)

「在りし日」
<<日本>>--自宅付近--


9月9日午後6時10分、4才年下の弟が急逝した。

この写真は2年前の10月の秋晴れの日、向かって右から二人目の私の隣りに居る、黒いポロシャツを着た弟とゴルフをした時の、プレー前の様子をキャディさんに携帯で撮ってもらった写真である。

この時はこんなに元気だったのに、去年の母の死を追うように、彼は突然あの世へと旅立ってしまった。

これで私も血を分けた肉親の全てを、あの世に送ってしまっことになる。

自分で言うのもおこがましいが、たった一人の兄弟である弟とは、傍で見ても稀に見る仲の良い兄弟だと、羨ましがられていた。

それは33才で早世した父の後を母親の手一つで、我々兄弟を育て挙げて貰ったと言う環境によるのかもしれない。

3ヵ月前に、急性肺炎だと言われて急遽入院はしたものの、死ぬまで病名は分からず、9日当日も主治医は異常無しだと判断し、5時過ぎに帰宅してしまった後に、突然の呼吸困難に依る心肺停止状態が発生し、病院からの連絡により、家族が駆け付けた時には、既に帰らぬ人となってしまっていたのである。

総合病院に有りがちな、人命軽視の現状を今更恨んでも彼は戻らぬから止めるが、これが現在の医療現状かと思うと、遣り切れない思いがする。

6日前、孫達を連れて見舞いに行った時、また元気になって共にゴルフをやろうと、握った彼の握手の強さが彼の生きることに対する意志の強さに思えたものである。

しかし帰り際にじっと私を見詰めて、手を挙げた彼の仕草が、目に焼き付いていて、未だに彼がこの世に居ない事が信じられないで居る私である。
コメント (1)

「マラドーナ君と」
<<スペイン>>--マドリッド--


ツアーメンバーが集合するまでの間に撮った、運転手君とのツーショット。

彼の名前はマラドーナではない、しかし同行のガイド嬢が、彼の事をブラジルサッカーチームの往年の名選手マラドーナに似ているとの事から、マラドーナとあだ名が付いてしまった。

顔はちょっとマラドーナに似ていないが、確かに体型が似ているかもしれない。

彼はポルトガル人との事であるが、ずっと10日間一人でバスを運転し続けていたから、そのスタミナを見ても、マラドーナの名が相応しいかもしれない。

ずっと行動を共にしていると、仲間意識が生まれ、気さくに我々の要望にも応えてくれる様になるものである。
コメント (0)

「署名活動をする少年達」
<<スペイン>>--マドリッド--


プラド美術館の周辺をブラブラしていたら、二人の少年が近付いて来た。

どうやら、署名活動をしているようで、私と相棒が、彼等のターゲットになってしまった。

盛んに書類を見せてここにサインをしてくれという、一生懸命説明しているが、何の事やら分からない。

英語でこれは何のための署名なのかと聞いても通じない。

彼等はスペイン語しか喋れないから始末が悪い、ま、面倒なのでサインしてやるかとボールペンを握ったら、署名をするためにはお金が必要だと手を出す。

これはおかしいと思い、ノ・グラシアスと言って断った。

矢張り言葉が通じないと言うのは、不便なものである、彼等の行為が何かを救済するための、まともな署名活動なのか、それともお金目当ての高度な商売なのか分からなかった。
コメント (0)

「聖堂前の二人」
<<スペイン>>--マドリッド--


この大聖堂の前に居るのは、欧米人のカップル二人だけである。

二人だけで旅をするのはどんな感じだろうと、遠いい昔を思い出してみた。

果たしてこの二人は、年を取った将来まで二人で旅をすることが出来るのだろうか。

勝手に余計な心配などするな、今が楽しければそれで良いではないかと言った声が、彼らから聞こえて来そうである。

嘗て若い頃、私もこうして二人旅をした経験が有るが、今その時の相手はどうしている事だろうか。

最近は、専ら気の合った同性同士で、気楽に杯を交わしながら廻る旅が、一番楽しく思えている私ではある。
コメント (0)

「遠景」
<<スペイン>>--マドリッド--


同じ糸杉の間から見る、プラド美術館とは反対側の教会の遠景。

此処に停まっているバスは、我々の乗る観光バスではない。

矢張り同じように、パックツアーで来た観光客の乗るバスなのであろう。

一度美術館を出てしまうと、他のメンバーが勢揃いするまで、当ても無く待たされることになる。

かと言って、周辺の歴史地区を散策するほど時間も無く、こうして周囲の光景を眺めたり、写真を撮ったりして時間を潰す事となる。

時間に余裕が有るのは有難いことだが、集合時間に必ず遅れてくる人が居るのは、困ったものである。
コメント (0)

「糸杉」
<<スペイン>>--マドリッド--


プラド美術館の庭園を象る糸杉の見事な光景。

西洋では、この糸杉の木が、庭園や田園風景の中に、形良く配置されている光景を良く見掛ける。

確かゴッホの絵の中にも、この糸杉が良く登場したように記憶している。

横に広がらず、すらっと高く伸びるこの木の造形が、西欧の光景に有っているからであろうか。

植物にはあまり造詣の深くない私であるが、この木を見ると海外に来ているのだなという実感が湧く。

話は変わるが、イギリスのロンドンからユーロスターで、ドーバー海峡を潜り、フランス側に列車が到達した時、見渡す限りの田園風景の中に、この糸杉がはるか彼方の道路際に、格好良くずっと並んでいる光景を、思い出したのであった。
コメント (0)

「作業員」
<<スペイン>>--マドリッド--


プラド美術館の特別展の看板を貼り替える作業員の姿。

この時は別館でターナー展をやっていたようだが、そろそろそれも終わりに近付いたのだろうか。

広告ポスターを別の物に貼り替える作業をしているようである。

その先では、美術館の屋上庭園の剪定作業をしている作業員も散見出来る。

こうした美術館などの運営には、様々な蔭の人々の努力が有って初めて可能なのであろう。

次はどんな特別展が開催されるのか、興味を持ってその作業を見守っている見物客も居る。

集合までの時間、暇を持て余してそんな人々を観察している私も、かなり物好きと言えるだろうか。
コメント (0)

「孤独なギタリスト」
<<スペイン>>--マドリッド--


プラド美術館の前で、一心にクラシックギターを奏でるギタリストの後ろ姿。

人通りの途絶えた広場で、彼は真剣に難曲をこなしていた。

日本に来て、この演奏振りを披露したら、ひとかどのミュージシャンとして、注目を浴びたであろうほどの、テクニックである。

しかし芸術家に有りがちな、器用貧乏と言うのだろうか、本場スペインでは、才能が有っても、商才が無ければ成功しないのであろう。

そんな私の思いを他所に、彼は自分の奏でる音色に、没頭しているように思えた。

グェル公園のフラメンコギター奏者の若者と違い、自分のCDを売っている訳でもなく、ただギターケースの中に、チップを置く缶が置かれていただけであった。

カメラを少し引いて、孤独な彼の姿を、美術館の庭の点景として表現してみた。

彼の弾いていた「アルハンブラの思い出」の曲が今でも耳に残っている。
コメント (0)