2015年10月の記事


「白狐」
<<日本>>--川越--


野田五町の山車の上で踊る白狐の舞。

野田町の山車は、八幡太郎義家の人形が山車の上に乗っている。

鎌倉武士であった源義家は、岩清水八幡宮で元服した事から、八幡太郎の愛称で呼ばれるようになった。

義家の墓が、この町の野田神社に合祀されていることから、野田五町の山車にはこの人形が乗るようになった由来がある。

何故かこの山車の上で踊るのは、白狐と決まっているが、理由は分からない。


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「子供囃子」
<<日本>>--川越--


蔵造り通りを過ぎて裏通りを歩いて行くと、道の脇の屋台で、火男(ひょっとこ)踊りを演ずる子供の姿に出会った。

暫くの間、屋台の前でこの踊りを見ていて気付いたのだが、これらの鳴り物を演じているのも全て子供達であることを知った。

これらの演技は、大人たちの演ずるものと、少しも遜色がなく、見事なものだと感じ入った。

こうして川越祭りを後世に繋いで行く様子を見て、この祭りが不滅である事を知った次第である。


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「市役所前」
<<日本>>--川越--


川越市役所の前で、引き回しの出番を待つ山車の勇姿。

山車の上に乗っているのは、猩々の人形である。

この山車は、他の山車がそれぞれの町の所有する山車なのに比べ、川越市が所有する市の山車である。

だから市役所の前に飾られているのであるが、その高さが下に居る人間と比較して、かなり高い事がお分かりいただけると思う。

今年は川越祭りと縁の深い、徳川家康没後400年に当るとの事から、初めての試みとして、この山車も喜多院の中にある仙波東照宮まで、巡行したとの事であった。


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「着飾って」
<<日本>>--川越--


祭りに参加するために、祭り衣装に身を固めて山車に向かう女衆。

たまたま私の前を、この女性が歩いていた。

この町の祭り衣装もさることながら、髪型まで昔風に結っているのが珍しくカメラを向けた。

きっと彼女は、山車の先頭に立って、杖を突きながら山車を先導する役目なのであろう。

今が女盛りの女性で無ければ出来ない役目であり、さぞかし彼女の人生にとっても、晴れがましい一日となることであろう。


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「この日ばかりは」
<<日本>>--川越--


年に一度の川越祭りの日、この日ばかりは祭りの中の一員として、祭りに参加しようとささやかながら、祭り衣装に身を包み楽しげに談笑する老婦人。

さぞかし若い頃はこの街の花形主役として活躍したであろう、いなせな品の良さが感じられる。

川越祭りは、江戸時代松平伊豆守が、川越氷川神社の例大祭として開催して以来、ずっと続いている歴史のある祭りである。

嘗ては曜日に関係なく、10月14~15日が例大祭の日であり、この2日間は、学校の授業も半日だけで終業し祭りに参加したものだが、今は観光の街川越をPRするため、10月半ばの土日開催となったのである。


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「祭りの日」
<<日本>>--川越--


川越祭りの最終日の昨日、別件で川越に行った時に撮った写真をご披露。

毎年この時期の土日に、川越祭りは開催される。

今年は出掛ける積りはなかったが、丁度用事が出来、絶好の祭り日和だったので、例年の如くカメラを持って歩きながらの流し撮りを試みた。

この日ばかりは、川越の町内に住む老若男女は、1年に一度の晴れ舞台とばかり、揃いの祭り衣装に身を包み元気な掛け声と共に町内を練り歩く。

まだお昼前の早い時間だったので、それほど人ごみも激しくなく、身近でカメラを向けることが出来た。

正午過ぎに、山車が市役所前に集合するとの事で、そこに向かっての移動の最中であった。


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「宮廷料理-2-」
<<ベトナム>>--フエ--


見て楽しむ宮廷料理その2。

これは架空の動物、ドラゴンをかたどった料理である。

様々な食材を巧みに加工して、腕利きの料理人達が、腕によりを掛けて作り出すこれらの料理は、箸を付けるのが気後れするほど上手に出来ている。

ドラゴンは中国同様、ベトナムでも権威の象徴として崇められている架空の動物である。

カボチャで作ったドラゴンに、海老を背びれにあしらい、瓜の中身を抜き、皮の部分を青い池に見立て、レタスを波のようにあしらった創作料理は実に見事で、誰が最初に箸を付けるのか気になったものである。


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「宮廷料理-1-」
<<ベトナム>>--フエ--


センチュリー・リバーサイド・ホテルに着いて、ディナーに出た宮廷料理。

先ず最初に出てきたのが、鳳凰の前菜である。

にんじんで作った鳳凰に、海老の揚げ春巻きと、鳳凰の羽に見立てたパテが並ぶ。

唐辛子入りのヌック・マムに付けて食べるのである。

1802~1945年の約140年間ベトナムを治めた最後の王朝、グエン朝の宮廷料理として、これらの見た目が美しいレシピが献上されたのである。


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「車窓から」
<<ベトナム>>--ホイアン--


バスは海岸線に出て、フエの街が近いことが分かった。

バスに揺られる事約4時間、トンキン湾の夕景の中に、ベトナム特有の小舟がもやっていた。

今夜のフエの宿泊ホテルは、センチュリー・リバーサイドホテルである。

夕食はフエの宮廷料理というから、どんなものが出てくるのか、楽しみである。

ベトナムは、トンキン湾沿いに位置する細長い国であるが、地図では近くに感じても、実際はかなり長距離である事を実感したものだ。


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「鉄橋」
<<ベトナム>>--ホイアン--


フエに向かう縦貫道路の脇と、並行して走る鉄道路線の光景。

静かな沼に掛る鉄橋を遠望するが、単線鉄道のようで、鉄橋も極めてシンプルである。

ベトナムにも鉄道は有るが、ほとんどの区間が単線のようで、鉄道路線区間もホーチミンからハノイまでのたった一本だけである。

日本のように、鉄道網が、縦横無尽に張り巡らされている訳ではないので、必然的に車やバイクでの移動が主になるのであろう。

ほとんどが区間が、主要縦貫道と並行して走っているが、最後まで電車の走っている姿を見ることは出来なかった。


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「一路フエへ」
<<ベトナム>>--ホイアン--


ホイアンを後にして、フエに向かって夕暮れの田園風景の中をバスは進む。

ベトナムは日本と同じ、主食は米であるから、水田が多い。

街を抜けると、このような田園風景がずっと続いている。

夕暮れの光景は、一種独特の哀愁を含んだ光景が出現するので、何となく郷愁を覚える。

家屋の無い風景は、何処と無く日本に似ていて、今自分は何処に居るのだろうといった気持ちになるのだ。

ベトナム縦断の旅も、既に後半となり、そろそろ日本食が恋しくなる頃である。


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「繁華街」
<<ベトナム>>--ホイアン--


様々な店が軒を連ね、活況を呈するホイアンの繁華街の光景。

ホイアンで一番賑わう、大通りに面した店や露店が連なる賑やかな街の状況である。

若い女性の柄物のマスク姿は、一種のベトナム特有の流行のようである。

バイクが、店の前にずらりと並んでいるが、大きなビルが有るでなし、矢張り大都市とは違う落ち着いた雰囲気がある。

ホイアンを離れる前に、最後にみやげ物などを買うために訪れた繁華街であるが、結局ウィンドショッピングだけで終わった。

フリータイムの自由散策の多かったホイアンの街とも、いよいよ別れの時が迫りつつあった。


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「お買いもの」
<<ベトナム>>--ホイアン--


欧米人の女性が、大きなお土産袋を持って、ホイアンの街の撮影に余念が無い。

ホイアンを後にする前に、お土産を買い、カメラに街の情景を留めておこうというのだろうか。

我々も、そろそろベトナムのこの古都を離れる時が来た様である。

昔の名残りを残す、お気に入りのこの街を後にするのはちょっと寂しい気もするが、パック旅行では止むを得ないことであろう。

この後は、一路バスで、ベトナムの王宮文化が色濃く残るフエへと向かうことになるのである。


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「木漏れ日の街」
<<ベトナム>>--ホイアン--


街路樹が強い日差しを遮るホイアンの街の情景。


のどかな昼下がりの静かな街は、午睡の時間のように静かな佇まいを呈していた。

手引き荷車を引いて過ぎ去っていく男の姿さえ、白日夢を見ているような静けさであった。

気温はかなり高いのに、乾いた風が吹き渡り心地良さが体をよぎる。

こんなのんびりとした情景が漂うホイアンの街は、昔の日本を思い出させ、もう一度行って見たい場所なのである。


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