2017年01月の記事


「コーヒーカップ」
<<ベトナム>>--バッチャン--


ずらりと展示されたコーヒーカップの商品。

コーヒーカップとしては、結構地味な絵柄ではないだろうか。

青を基調にした図柄は、中国陶器に多く見受けられるが、一体何が描かれているのだろうか。

龍が描かれているような感じだが、果たしてどうであろうか。

ベトナムは、中国の影響を強く受けているので、家内の隆盛を実現するという、縁起の良い龍の絵が描かれることが陶器に限らず多いという。

お土産に一組買おうかと思ったが、陶器類は破損の心配があるので、結局買うのをやめた。

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「商品」
<<ベトナム>>--バッチャン--


店の棚一杯に陳列された陶器類の数々。

こんなに沢山並べられている商品が、果たしてどれだけ売れるのだろうかと、先ず思ってしまった。

しかも陶器の生産工場では、絶え間なく商品を製造しているのである。

こんな店が、バッチャンには1000軒くらい存在すると言うから、驚きである。

当然観光客だけでなく、国内の需要、更には海外輸出まで手広く商いをしなければ、商品は捌けないであろう。

矢張り此処は村と言えども、ベトナムを代表する陶磁器の生産拠点なのであろう。

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「何だろう」
<<ベトナム>>--バッチャン--

陶磁器店の中に入り、最初に目に飛び込んで来た商品の数々。
棚の下に有るのは、鍋などの敷物である事は分かるが、上に沢山ある棒状の物は一体何であろうか。
皮で編んだ筒の中に、様々な形をした棒状のものが、2本ずつ。
入っている、料理にでも使う道具なのであろうか。
これが何であるのかさっぱり分からなかったが、別に買う気も無いので、店員にも聞かなかったが、仲間とこれは一体何なのかと、話し合いながら写真を1枚撮って通り過ぎてしまった。
陶器類なら分かるが、こんな得体の知れないものが売られていることに、ちょっと違和感を感じたのであった。

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「陶磁器店の店先」
<<ベトナム>>--バッチャン--


ハノイから約10キロの道程のバッチャン村に到着し、最初に訪れた陶磁器を売る店先の風景。

バッチャンはホン川が生んだ、ベトナムを代表する陶器の里である。

この写真の店では、様々な小物の陶器から、大きな陶磁器まで沢山の製品が、広い店の中に陳列されていた。

店の中を一巡すると、どんな焼物が、ベトナム陶器の特徴か良く分かるようである。

この村で陶磁器が作られるようになった歴史はかなり古く、約600年以上昔から焼物造りが盛んであり、日本に限らず世界の陶磁器に影響を与えているのである。

その特徴は手書きの素朴な絵柄が多く、代表的な絵柄は、ハス、菊、そしてトンボである。

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「田園風景」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ハノイからバッチャン村へ向かうバスの中から見る田園風景。

ハノイの市街地を抜けると、水の豊かな湿地帯と、緑一杯の田園風景が続く。

ベトナムは日本と同じ、主食が米の国である。

暖かい国だから、米は二毛作であり、絶えず稲穂がたなびいている光景が多い。

バッチャン村までの所要時間は約4時間、延々と続く農村風景を眺めていると、バスの揺れと共に眠気を催し、村の中に入るまで、ずっとうとうと状態であったのを思い出した。

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「若いガイドさん」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ハノイからバッチャン村へ向かうバスの中での、若い現地ガイドさんの説明光景をアップで。

ベトナム旅行の現地ガイドは、訪問地が変るごとにガイドが代わった。

中でもハノイから最後の訪問地であるハノイ湾までの道程は、この若い男性のガイドであった。

日本の大手旅行社と契約しているベトナムの旅行社のガイドは、このように毎回変るが、大型の観光バスは、日本の旅行社の専用バスであり、その規模とネットワークには驚かされた。

このガイド氏曰く、ガイドの採用試験はかなり厳しく、更に採用されてからの時間厳守の出勤体制には、何事にも大らかなベトナムと違い、かなりハードであるとの事であった。

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「バッチャン村へ」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ハノイをを後にし、バスは一路バッチャン村へ。

バッチャン村は焼物の村である。

此処で作られる様々な陶器は、日本の陶磁器作成に大きく関係している。

ベトナムに旅行する目的の一つに、この村で作られる陶磁器が、どんな具合に作られているのだろうかと言う事も、訪問前の興味の対象であった。

ハノイの街からバッチャン村へ向かう道路は、ご覧のような土手の上に作られた感じの道路を走るのである。

一段高い所に有るこの道路の両脇には、ハノイの街並みが広がっているが、その光景が徐々に田園風景へと変化して行く様子が、とても興味深かった。

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「ハノイ最後の朝」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ベトナムの首都、ハノイを出発する朝に撮ってもらった、ホテル前での記念撮影。

海外に出掛けて何時も思うことは、いつの日かまた此処を訪れることが有るだろうかと、感慨に耽るのである。

場所によっては、再度訪問する機会がある場所はあるが、ほとんどの所は二度と訪れる機会が無い場所が多い。

そう思うと何気ない街の一角での記念写真の一枚も、貴重なものに思えてくるのである。

「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」とは芭蕉の晩年の作であるが、そうでなくとも様々な世界を巡り歩いた過去を思う時、まだまだ行きたい国や場所があるのに、これからどれだけそれが可能なのかと、自問する昨今ではある。

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「ズームアップ」
<<ベトナム>>--ハノイ--


既載したホテルの窓から見る市内の光景の一部分を、ズームアップしてみた。

新築されたビルの狭間に、昔から残る旧家の様子が伺える。

現代の日本に限らず、ベトナムの首都ハノイでも、こうした新旧の建物が混在しているのである。

今にも朽ち果てようとしているこの旧家の一軒家に、強烈な生活臭が感じられる。

無機質な新しいビルの間に存在するこの家は、今後どうなって行くのだろうか。

古い家ながら三階建てのこの家は、地震でも来たら一溜りも無いであろうと、余計な心配がよぎったものである。

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「ホテルからの眺め」
<<ベトナム>>--ハノイ--


私が宿泊した、ハノイの中心街に有るホテルの窓から見る市内の光景。

ホテルの4階にある部屋から見る市内の光景は、ハノイの裏側の眺めである。

ハノイの中心部にしては、東京の都心と比較して、樹木の多いことに感心した。

ここでも長方形の建物が多いことが目立つ。

新築のビル群の間に、昔から有る古い建物が点在している光景は、今の日本の下町の光景と似ているだろう。

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「朝の市内」
<<ベトナム>>--ハノイ--


朝7時ごろになり、ようやく活気が出てきたハノイの街の朝の光景。

正月の松の内も過ぎ、久々にまたベトナムシリーズに戻った。

雑多な街の様子は、一昔前の日本の街の光景に似ている感じがする。

違うのは右奥に見えるような五階建てのビルであるが、長方形で奥行きのある建物の形は、ベトナムの代表的なビルの形だが、果たしてこの形が地震に耐えられるものなのだろうかと、常に気になった。

今しばらくは、宿泊したホテル付近の、ハノイの街の光景に目を凝らしてみよう。

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「御用納め」
<<日本>>--川越--


一年間家内安全を守り抜いて、無事ご用を終えた沢山のダルマたちの姿。

我が家にも、大過無く一家の安全を守ってくれたささやかなダルマがあったが、川越喜多院のダルマ納めの場所に、感謝を込めて奉納に行った。

去年のダルマ市で買った小さなダルマの片目に瞳を入れ、色々有った昨年ではあったが、無事に年越しを出来た事に感謝をし、両目に瞳を書き込んで此処に収めた。

今年の正月も早松の内を過ぎ、正月太りを解消するための七草粥の日を迎えた。

こうして、この新年もいよいよスタートとなったが、心機一転、新たな気持ちで今年の活動に、身が引き締まる思いの日となった。

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「新春好日」
<<日本>>--川越--


母方の菩提寺である、青龍山養寿院の山門から見る、蔵造り通りの横道の光景。

この寺院の直ぐ左脇の路地を行くと、観光客で賑わう菓子屋横丁に出る。

新春の墓参りがてら、薬研掘りの七味売りの口上で知られた「文七」さんの七味を買いに行った。

文七さんとは、もうすっかり顔馴染みとなっており、新年の挨拶を交わした後、お気に入りの七味を口上と共に調合してもらった。

この養寿院は歴史が古く、鎌倉時代の源頼朝の幕臣であった、河越太朗重頼の墓などが、境内の奥に存在している。

川越祭りに登場する中原町の山車の上には、この重頼の等身大の人形が乗っている事でも知られている。

この日は風も無く3月の陽気だったので、人力車で散策する人や、和服姿の男女の姿も見受けられる好日であった。

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「善男善女の波」
<<日本>>--川越--


1月3日の川越喜多院のダルマ市に集う、人人人の波。

この日は通称川越大師様のダルマ市の日である。

私の実家は、この参道の人の波の先の角に有り、子供の頃から朝の暗い内から、参拝に詣でる人々の話し声や下駄の音で、わくわくしながら朝の来るのを待ったものである。

当時実家の前にはダルの市の露店や、様々な店が立ち並び、家から出るのも苦労したほどであった。

その様子は今でも変わらず、実家の前にはダルマを売る店や焼きそばを売る店が並んでいた。

車で出掛けた我々だが、喜多院の近くには入ることが出来ず、私が卒業した中学校の校庭が、臨時の無料駐車場になっていた。

そこから700メートルほど歩いた境内に辿り着いたが、本殿に参拝するには、西方向にある山門の外まで並んでいる、100メートルほど先の参拝客の列の後に、並ばなければならなかった。

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「未来へ」
<<日本>>--東京--


銀座四丁目交差点前の、新装成った日産ギャラリーに展示されている、近未来車のコンセプトカー。

ヨーロッパと日本の新進気鋭のデザイナーが、コラボレーションして発表した試作車である。

実走出来るこのコンパクト・クロスオーバーの近未来車は、ハイブリッドEVシステムで走行する。

ガソリンエンジンで発動した電気で長距離を静かに走行出来るというから、さぞかし快適な運転が楽しめる事だろう。

ドアを開くと、運転席は人間工学で検討し尽くされた夢のインパネが現われ、思わず座ってみたくなる。

ドアを開閉してもセンター・ピラーは無く、前席はガルウィングの羽根上げ式であり、後部座席は後ろにスライドして、共に大きな人でも頭を下げなくても乗り降り出来る。

更に自動停止システム、アクセルとブレーキの誤動作防止システムなどの装置が組み込まれて実用化されて、数年後には街に出現するかと思うと、つい長生きして乗ってみたいと思う新年である。

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「銀座四丁目」
<<日本>>--東京--


言わずと知れた、銀座四丁目交差点前の服部時計店のビル。

暮も押し迫ったこの日、1月元旦が6才になる孫娘の誕生日のため、彼女の誕生日プレゼントの希望であるネコの縫いぐるみを探しに、銀座に出掛けた。

それまであちこちのキッズ店を探したが、思うような物が無く、銀座にある日本最大級のキッズ店博品館に出向いた。

久々の銀座だったので、改装なった日産ギャラリーをついでに見ようと、この場所に寄ってみた。

日本で一番地価の高いこの場所には、ずっと戦前から変らぬ大きな時計塔が見られる。

丁度白昼のこのビルには、手前の卵形のビルの影が映し出されていて、その光景の面白さにカメラを向けてみた。

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