2011年04月の記事


「重厚な建物②」
<<スペイン>>--クエンカ--


こちらの建物も、前出の言えと同じように、中々由緒の有りそうな家である。

門の入り口の二階のベランダ上に、この家の家紋らしき彫刻が施されているから、嘗ては地元の名士の家だったのではないかと想像してみた。

家の左右に、横断幕で、クエンカの夏と、PRらしき宣伝がされている所を見ると、今は市の公の建物として保存されているのではないだろうか。

しかし、これだけの建物を個人で所有していたとしたら、一族が同居していたのではないかと、色々と推測してみたものである。
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「重厚な建物」
<<スペイン>>--クエンカ--


下界を見下ろせる教会の広場から、再びクエンカの街の広場に戻る途中で見た建物。

これは一体何の建物なのであろうか。

色々な彫刻が壁面に施されているが、聖人などの像が無いから、どうやら教会ではなさそうである。

かと言って、一般の住居にしては重厚過ぎるから、博物館など、公共の建物なのであろうか。

此処には現地ガイドのマリオ君が同行しなかったから、分からず仕舞いであった。

いずれにせよ、こんな歴史的に価値の有りそうな建造物が、随所に有るのだから、流石クエンカは歴史の街と言えるだろう。
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「断層の見える岩山」
<<スペイン>>--クエンカ--


教会の広場すら視線を左に移すと、岩山の様子が良く分かる。

地球の変動は、何億年もの年月を掛けて、このような光景を作り出すのであろう。

大地が噴火をする度に、溶岩が堆積し、このような断層を現出する。

人間はこの固い岩盤の上に、巧みに建造物を建てるのである。

右下には、古の人々が建造した遺跡群か、微かに残存している。

自然の歴史的尺度から見れば、人間の歴史はまだ僅かと言えるだろう。

天災は忘れた頃に来る、今回の東日本大震災も、日本列島誕生の歴史から見れば、自然のちょっとした変化なのであろうが、現在この世に生きている我々にとっては、未曾有の天変地異であったのである。

忘れてはならないのは、原発事故であろう、生活の快適さを追求するあまり、自然の猛威を軽視した人間の奢りが招いた人災である事を、肝に銘ずべきではないだろうか。
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「下町の景観」
<<スペイン>>--クエンカ--


岩山の裾に広がる、クエンカの下町の光景。

街の家並みが明るいのは、屋根や建物が、オレンジ色や黄色、白色が多用されているからであろう。

ヨーロッパでは、屋根の瓦が、茶色やオレンジ系が多いのが特徴のようである。

岩山以外の場所には、植樹が行き届いているようであり、街の景観と防災を兼ねているのであろうか。

それにしても、複雑な岩の上に家を建てるのは、かなりの建築技術を必要とするのではなかろうか。
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「教会の広場にて」
<<スペイン>>--クエンカ--


下の街が見渡せる広場にて、撮りつ撮られつの記念撮影。

相棒と此処で、お互いに記念写真を撮り合った時の一枚。

下界が見渡せ、爽やかな風が吹き渡る場所では、ひと時の疲れを忘れさせるくれる瞬間である。

スペインの夏は、かなり気温が高いが、空気が乾燥していて、風が心地良い。

此処に住むには、様々な点で、苦労が多いと思うが、我々観光客には見慣れない光景がふんだんに有り、来て良かったと思うひと時である。

此処は教会の広場だから、ここに毎日起居している修道士には、どんな生活振りが有るのか聞いて見たいと思ったものである。
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「教会からの眺め」
<<スペイン>>--クエンカ--


街の高台にある教会の広場から見る、下界に広がったクエンカの街の眺望。

再びスペインシリーズに戻った。

この教会は街外れに有り、此処からは渓谷を挟んで街の様子が一望出来る。

右側の岩石が、街の家並みの近くまで迫っている様子が良く分かる。

大震災直後の日本だけに、こんな岩山の直ぐ近くに、家を建てて大丈夫なのかと、不安に感じる光景である。

しかしこの山は、固い岩石であるから、地震が来ても、土砂崩れなどの心配は無いようである。

それにしても、良くこんな地形の所に街が発展したのは、驚きでもある。
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「祈り」
<<日本>>--川越--


本堂の前で、線香を炊いて、無病息災を祈る人々の姿。

子供連れの母子、夫婦、恋人同士、赤ちゃんを連れた若いおばあちゃんなど、人様々である。

花曇の穏やかな一日、皆一応に明るい顔で春を満喫している。

この子は、一体何を祈っているのであろうか。

家族の幸せを祈ると同時に、震災に会った人々の今後の無事を祈りたいものである。

桜シリーズも、回を重ね、早くも今は新緑の季節を迎える時期になった。

東日本大震災の一日も早い復興を願いつつ、またスペインシリーズに戻りたいと思う。
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「桜花の下で②」
<<日本>>--川越--


咲き誇る桜の下で、桜狩を楽しむ人々の姿第二段。

この日はまだ桜の花びらも、全く散っておらず、文字通り満開の日であった。

背景の松ノ木などの、緑との対比が鮮やかであった。

手前の桜がシルエットになるのを嫌い、ストロボを炊いて、バランスを取った。

昨日は腰の治療の帰りに、1ケ月ぶりに新居に移った乳飲み子の孫の居る娘の所に、顔を出してみた。

婿さんの会社の計らいで、乳幼児の居る娘達は放射能障害を避けるために、神戸のホテルに避難していたからである。

外国企業は、我々が考えるより仕事はハードだが、家族を大切にするようである。

1ケ月ぶりに見る孫は、一段と大きく重くなり、抱いているのも一苦労の感が有った。
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「桜花の下で」
<<日本>>--川越--


咲き誇る桜の下で、桜狩を楽しむ人々の姿。

大震災が有った日本ではあるが、こんな光景を眺めていると、矢張り日本はすばらしい国だと、しみじみと思うのである。

世界の国々の中でも、日本ほど至る所に桜の木が有る国は、他に無いのではなかろうか。

桜の時期は僅か一週間ほどだが、その桜前線は南から北へと、一ヶ月は続く。

今頃は大震災の有った東北地方が、満開の時期を迎えていることであろう。

この桜が、被災した人々の心に、ひと時の安らぎの気持ちを与えてくれている事を願うのみである。

どんなに苦しい現状でも、いつかはこの人々のように、生まれ育った地元で、再び桜を愛でる日が来る事を信じて、強く生きであろう事を信じている。
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「参拝を待つ人々」
<<日本>>--川越--


喜多院の本堂で、参拝を順番に待つ人の列。

私は此処で、ちゃんと二列になって、参拝の順番を待っている人々の光景を始めてみた。

嘗ては、皆それぞれ勝手に本堂の中に入り込んで、我先に賽銭を挙げて参拝をしていたのである。

別に僧侶達や係員が二列に並んで、参拝をして下さいと、整理している訳ではないのである。

何かが変わったような気がした。

今回の東日本大震災が、人々の心に、日本人の慎み深さや、道徳心を、改めて呼び起こしてくれたような気がしてならない。

この大震災は、未曾有の衝撃と苦痛を我々に胸深く与えたが、それによって日頃忘れていた、助け合いの精神、互助精神を、想起させてくれたのだとしたら、あながちマイナス面だけでは無い様に思えるのだが、どうであろうか。
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「ハイ・チーズ」
<<日本>>--川越--


満開の桜をバックに、家族で記念写真を撮る、ほのぼのとした情景。

カメラを構えるのはお父さん。

カメラに応えるのは、おばあちゃんにお母さん、そして二人の孫娘たち。

おばあちゃんも、孫たちに合わせてピース・ポーズを取る。

実に心温まる光景である。

東日本大震災で、避難生活を続けるお爺ちゃんやお婆ちゃんたち、子供達や孫たちに送るメッセージは、元気で過ごしているから、心配しないでください。

また会える日を楽しみにしているよ、とけなげな言葉を送る。

いつの日か、この写真の家族のように、また皆で会える春が来る事を、切望して止まない。
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「乱舞」
<<日本>>--川越--


喜多院の裏門から入って、境内の様子を見ていたら、丁度鳩が二羽舞っていた。

つがいなのだろうか、桜の花の間を楽しげに舞っていたので、すかさずカメラを向けた。

桜のトンネルの下では、大勢の人々が満開の桜の鑑賞を楽しんでいる。

鳩もそれらの人々を祝福するかのような乱舞であった。

こうして今年も桜を鑑賞出来た人たちは、恵まれた環境に有るといえるだろう。

東日本大震災で、被害に会われた方達の事を思い、私も含めて、被災地のために何が出来るかを真剣に考える時なのであろう。
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「喜多院の桜」
<<日本>>--川越--


今年もこの満開の桜を、此処で見ることが出来た。

毎年この時期、天海僧正の居城であった此処喜多院に写真を撮りに訪れるのが恒例になっているが、今年も色々有ったこの一年だけに、有難い事だと思っている。

こうして毎年撮っている桜だが、年毎に違いがはっきりしているのは、その桜が年々見事になって行く事である、それだけ桜の木も古木になり、大きくなっているのだろう。

更に何度も言うようだが、此処の境内では、例年歌舞音曲が地元の有志によって催されるが、今年は桜そのものを愛でる人たちだけの、家族や友人を中心とした、静かな花見の光景であった。

震災に会った被災地の瓦礫の中にも、倒れた桜の木から花が咲き出した映像をテレビで見た。

この桜のように、被災地の方たちの一日も早い復興を心から願って止まない。
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「橋の上から」
<<日本>>--川越--


変わり両脇から張り出した桜の花を鑑賞するのは、この橋の上がベストポジションである。

昨日載せた鴨のつがいが居る水辺は、この橋の下であった。

流石にこのビューポイントには、花見客が大勢居た。

残念なのは、この画面の上部を横切る電線である。

この電線を避けて、このアングルで写真を撮ろうとすると、橋の上か、橋の下のどちらかのアングルを選ばなくてはならない。

無粋な電線だが、どうしてもこのアングルで撮りたかったので、これも現実の姿だと思って、そのまま撮影した。

こんな世情でも、静かに桜を愛でる人たちの満足気な笑顔に、ひと時では有るが癒しの時を覚えたのであった。
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「水ぬるむ」
<<日本>>--川越--


桜の花びらが浮かぶ水面に、鴨のつがいが仲良く春の水面を楽しんでいた。

水掻きの波紋が広がって、水の綺麗さが一層強調されるようである。

今年の新河岸川は、花見の川舟に邪魔される事も無く、水鳥達には我が世の春といった所だろう。

川べりで、小さな男の子が、鴨さんこっちにおいで、と可愛い声で呼んでいた。

若い母親が、あまり近付くと危ないよと、注意していた。

のどかな春の午後であった。
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「静寂」
<<日本>>--自宅付近--


我が家から歩いて行くことも出来る、地蔵院の桜の光景。

いつもならこの時期、地元の人たちで賑わい、巫女さん達が甘酒を振舞う姿を見ることの出来るこのお寺も、静寂に包まれて、桜だけが競い合って咲き誇っていた。

たまに老夫婦などが、ゆったりと桜を愛でている光景を散見出来るだけである。

しかし、こんな静かな桜の光景も捨てた物ではないなと、のんびりと院内を散策したのであった。

大震災から一ヶ月経った今でも、日に数度大きな余震がやってくる。

しかも震源地は、東北関東を中心にしたあちこちに広がっている。

何だか、日本の土台そのものが、あちこち痛んで来ているような気がしてならないのは、私だけであろうか。
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「今年の春」
<<日本>>--川越--


今日の写真をアップする前に、毎年桜が満開になるこの時期の様子を見に、ちょっとの間川越に行って見た。

例年通り、桜は満開であったが、この日曜日には市による河舟運行や仮設舞台での演芸大会などが開催され、桜見客で賑わうこの川岸も、ご覧のように全く静かであった。

矢張り大震災による自粛ムードが浸透し、静かに桜を愛でる人だけが、訪れているようであった。

喜多院にも行って見たが、花見の宴を張る人たちは沢山居たが、お酒に浮かれてドンチャン騒ぎをするグループは見当たらなかった。

場所は違っても、連日放映される被災地の様子と、時々襲ってくる余震の影響は、日本人特有の共存共栄の一体感が、人々の心の中に浸透しているようである。

私はこの様子を見て、日本人の心根が感じられ、ある種の安堵感を覚えたのであった。
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「墓参り」
<<日本>>--自宅付近--


次女と小学2年生になった孫が、墓参りに来た時のスナップ。

お彼岸にインフルエンザになってしまったので、来られなかったと言って、先週の金曜日に孫を連れて墓参りにやって来た。

二人して墓の掃除をしているところを、携帯で撮ってみた。

とても暖かい日で、花粉の量も多いといって、二人ともマスクをしていた。

早いもので、7年前の4月7日に生まれた孫娘も、早2年生になって、母親の手伝いをするようになった。

私は爺ちゃんと呼ばれたくなかったので、彼女が生まれた時から、グランパだよと言い続けていたから、今でも孫は私をグランパと呼んでいる。

こうして先祖を敬う気持ちが、子供達や孫達に受け継がれて行く事に、安堵感を覚える。

我が家は神道なので、墓の上の形状が少し違うのである。
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「六道の辻」
<<日本>>--自宅付近--


此処も毎日数回は通る、我が家の近くの辻である。

昔から六道の辻と呼ばれ、6本の小道が交差する交差点に、お地蔵様が数体置かれており、道行く人の安全を見守っている。

私が学生の頃は、見渡す限りの畑の真ん中に、この辻は有ったものである。

しかし今は、住宅街とマンション群の中に有り、町内の住人達が、浄財を寄付して、ご覧のような地蔵様の安置場所が造られている。

他界した母も、何がしかの寄付をし、小屋の脇には今でも母の名前が刻まれている。

此処に安置されている地蔵群の古い物は、江戸時代初期から存在しており、顔などは風化して良く分からないが、ずっと此処で時の流れを見続けているのである。

今回の大震災に会った東北地方の街々にも、古から存在する思い出の場所は数々有っただろうが、津波に流されてしまい、跡形も無くなってしまっただろうが、いつの日かそれらの物を地元民が探し出し、また安住の場所を得るであろうことを願って止まない。
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「公園の桜」
<<日本>>--自宅付近--


我が家の直ぐ近くに有る公園の桜である。

家から3分の所に有るこの公園は、市の避難場所にもなっており、今日買い物のついでに携帯で撮った写真である。

つい3日前にはチラホラ桜が咲き始めたと思ったら、今日の温かさで満開になってしまったようだ。

駅前のマンション開発で、この桜だけは1本残された物だが、街の様子は変わっても、桜だけは毎年変わらず綺麗な花を咲かせてくれる。

津波で跡形も無くなってしまった、東北地方の海沿いの街にも、一時も早い復興を願い、再びふるさとの春が訪れる事を願って止まない。
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「路地の先に」
<<スペイン>>--クエンカ--


細い路地を上って行くと、突然眼前に時計台の有る鐘楼が目に飛び込んで来た。

この鐘楼も、見晴台の有る教会の一部のようである。

この先にはどんな光景が広がっているのかと思うと、疲れた足も急に元気が出るというものだ。

時計台の時計は、既に午後の4時になろうとしているが、スペインは日没が10時頃だから、まだまだ日は長いのである。

この鐘楼には展望台みたいな物があるようだから、登って下界を見たいなと思うが、写真をあちこちで撮っている我々を、恐い添乗員さんが、遅い遅いと言って急かすので、そんな時間が全く無いのが、またまた残念である。
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「ある教会」
<<スペイン>>--クエンカ--


アーチを潜り、細い路地を上って行くと、小さな広場に出て、そこにこんな教会が有った。

スペインの街には、至る所に教会が有る。

ホセ・アントニオ・プリメロ・リベラと書いて有るが、ホセ・アントニオは名前だが、プリメロ・リベラは第一の川となってしまい、何の意味だか分からなかった。

いずれにせよ、こんなに教会が多いと言う事は、街の人たちも敬虔なクリスチャンが多いという事なのであろう。

まるで京都の神社仏閣が多い街のようである。

入り口の扉が開いているから、中を覗いてみたいものだが、ガイドに急き立てられて、この教会の脇の小道を通り過ぎただけであった。
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「オープンカフェ」
<<スペイン>>--クエンカ--


こんな街の雰囲気を眺めながら、オープンカフェでゆっくりとお茶をしたいものである。

しかしパックツアーでは、予定がびっしりと組まれているから、自分達のペースでのんびり出来ないのが難点である。

この正面の古い由緒の有りそうな建物は、一体何なんであろうか。

ホテルのような感じもするが、それにしては空き部屋の中が、さっぱりし過ぎているようである。

この建物に掲げられている旗は、スペイン国旗は分かるが、その他の旗は、ラ・マンチャ州旗、クエンカ市の旗、などではないかと、勝手に想像してみた。

我々はこの後、真ん中のアーチの先にある細い路地を登って行き、街を一望出来る高台へと向かうのである。



こんな街の雰囲気を眺めながら、オープンカフェでゆっくりとお茶をしたいものである。

しかしパックツアーでは、予定がびっしりと組まれているから、自分達のペースでのんびり出来ないのが難点である。

この正面の古い由緒の有りそうな建物は、一体何なんであろうか。

ホテルのような感じもするが、それにしては空き部屋の中が、さっぱりし過ぎているようである。

この建物に掲げられている旗は、スペイン国旗は分かるが、その他の旗は、ラ・マンチャ州旗、クエンカ市の旗、などではないかと、勝手に想像してみた。

我々はこの後、真ん中のアーチの先にある細い路地を登って行き、街を一望出来る高台へと向かうのである。
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「街の景観②」
<<スペイン>>--クエンカ--


カラフルな店が立ち並ぶ街の様子、その2。

これらの建物の先には、あの大聖堂の偉容を垣間見る事が出来る。

気になるのは、これらの店の建物が、少しずつ手前や後ろに傾いており、地震などが来ても大丈夫なのだろうかと言う事である。

tabacosと店の看板が有るのは、タバコ屋さんである。

タバコは、日本語みたいに当たり前で使われているが、日本語でないのはこの店の看板を見てもお分かりだろう。

カステラなど、日本では普通に使われている言葉も、ポルトガル語だったりするケースが多いようである。

更に店の看板でtimbreは切手、regalosはお土産である。
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「街の景観」
<<スペイン>>--クエンカ--


広場から眺める街の様子である。

まるで、お伽の国にでも迷い込んだかのような、楽しい街の景観である。

クエンカは、岩山の上に開けた小さな街だから、此処が一番の目抜き通りと言った感じである。

四方を家で囲まれているから、山の上にも拘らず、風も無く穏やかな午後のひと時を楽しむ事が出来る。

正面の建物は、かなり歴史を感じるが、左右の家の外壁がカラフルに塗り分けられ、しかもその家が前や後ろに傾いているのが面白い。

オープン・カフェには、地元の人や観光客などが、アフタヌーン・ティをのんびりと味わっている。

正面の素敵なアーチのある建物の先からは、時々汽車の形をした観光用のツーリング・モービルがやって来るのだ。

しばらく街の様子などをご紹介したいと思う。
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「聖堂の前の子供達」
<<スペイン>>--クエンカ--


大聖堂の前の石段に座り込んで、道行く人たちを眺めている子供達の姿。

何が面白いのか、皆である方向を眺めて笑っている。

何を笑っているのか、彼女達の眺める方向を振り返ってみたが、観光客が居るだけで別に面白い物は無かった。

こうして様々な国の人たちが観光で此処を訪れるのを、地元の子供達は眺めて雑談をするのが、楽しみの一つなのだろうか。

女の子だけの仲良しグループ、しかし良く見ると、彼女たちは白人居り黒人居りの、様々な人種が入り混じっているようである。

スペインのこんな山上の街にも、国際化の波は押し寄せているようである。

手前で話し合う老婦人と中年の女性は、買い物帰りの立ち話と言った所だろうか。
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「カテドラル②」
<<スペイン>>--クエンカ--


昨日載せた大聖堂の上の部分。

あまりにも聖堂が大き過ぎて、広場の後ろまで下がっても、全体が入り切れず、二枚に分けて撮影した。

教会の上部に居る人物は、この教会を建立することに貢献した大司教であろうか。

余談だが、昨日は週1回の治療日であった。

我が家から六本木の鍼灸院までは、3つの鉄道を乗り継いで行かなければならないが、各鉄道会社も節電に協力しており、構内は薄暗く、エスカレーターがストップしているので、地下鉄の乗り継ぎや外に出るのには、長い階段を上り下りしなければならず、腰にかなりの負担が掛かる。

それだけで足が痺れて痛くなるが、被災地のお年寄り達が、不自由な体で、避難生活をしていると思うと、直接の被害を受けなかった我々が、我が侭を言う訳にはいかないと、掛け声を掛けながら、階段を上り下りをする自分であった。
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