2010年03月の記事


「戦艦ミズーリ号⑥」
<<ハワイ>>--オアフ島--


ミズーリ号の司令塔下の甲板で行われた、降伏文書調印式の様子を撮った写真。

1945年9月2日、東京湾上に停泊した戦艦の上で、日本は連合国に無条件降伏をした。

連合国側はマッカーサー連合国最高司令官以下、ソ連、中国、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドなどの連合国代表者、日本側は重光外相以下、梅津陸軍参謀総長などが、降伏文書調印式に参列した。

この日の演出効果を高めるために、敗戦国日本の代表団は、小船から甲板に上がり、マッカーサー元帥は司令塔から降りて来たのだという。

この日を持って、日本国は永久に戦争行為を行わないことを、世界に表明したのである。

戦勝国の一つである超大国アメリカは、今でも他国においてその国の支援と言う名の元に、戦争行為を行っている。

この地球上から、戦争行為が完全に無くなる日は果たして来るのだろうか。

第二次世界大戦の終了から65年、今でも沖縄の米軍基地問題で揉めているのは、皮肉な現実問題と言わざるを得ない。
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「戦艦ミズーリ号⑤」
<<ハワイ>>--オアフ島--


戦艦の司令塔の近くに展示されているショッキングな写真。

この場所には、太平洋戦争に参加したミズーリ号の歴史が、写真で展示されている。

1945年4月11日、沖縄戦において日本のゼロ戦一機が、ミズーリ号の左舷に体当たりした様子である。
良く見ると、写真の左上に、衝突直前のゼロ戦が写っているのがお分かりいただけるであろう。

特攻機の体当たりを受けても、艦は左舷が少しへこんだ位であった。

日本の特攻隊員の遺体は、速射砲の近くに飛び散ったので有るが、その遺体を艦長の命により、手厚く水葬の礼に施している様子を、下の4枚の写真で現している。

激戦の最中でも、こうした戦闘の有様を報道カメラマンが撮影している所に、日本とアメリカの余裕の差が有ったように思えてならない。

この特攻機は戦争も終盤に来て、爆装もせずに体当たりだけを目的に突っ込んだのであろうか。

巨大な戦艦から見れば、まるでトンボ位にしか見えないゼロ戦には、所詮叶う相手ではなかったように感じてならない。

こうして65年前の日本が桜満開の時期に、若くして散って行った、当時の日本の若者達に、思わず合掌したい気持ちになったものである。
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「戦艦ミズーリ号④」
<<ハワイ>>--オアフ島--


戦艦の最先端部分の様子。

この巨大なチェーンは、錨を下ろすための鉄の鎖である。

5万トンを越える艦船を停泊させるための重い錨を下ろすのには、この位の巨大な鎖が必要なのであろう。

当然この鎖を巻き上げるには、動力による駆動でなければ無理であろう。

何から何までスケールを超える大きさには、思わず目を見張ってしまう。

この鎖のチェーン数個で、戦闘機が一機くらい出来る鉄量ではないかと想像してしまった。

このミズーリ号よりも更に一回り大きい、戦艦大和が、大艦巨砲主義の日本海軍の誤算であったとは、皮肉な大戦の歴史上の事実であろう。
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「戦艦ミズーリ号③」
<<ハワイ>>--オアフ島--


巨砲の前で記念撮影。

ガイド嬢に撮って貰ったものだが、ピントが今一のような感じである。

この場所での記念撮影がベスト・ポイントとの事であるが、こうしてラフなスタイルで写真に収まる事が出来るのも、平和だからこその事であろう。

戦争と言う極限状態の中では、兵士達はどんな状態で、日常を過ごしていたのだろう。

四季の寒暖や、航行先での天候状態が変化する中での戦闘は、余程の訓練を積まなければ耐え抜く事は困難であろう。

そんな苦労を経て生還した兵士達が、日米を問わず、戦争時代の話に花を咲かせるのは、苦労したからこそ思い出深いものなのであろう。

「海の男の艦隊勤務、月月火水木金金」と言う、休日の無い状態の、戦時中の軍歌が有ったように記憶している。
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「戦艦ミズーリ号②」
<<ハワイ>>--オアフ島--


巨大戦艦の甲板の光景。

一見鉄の塊のように見える、このミズーリ号の甲板は、全面こうしたチーク材が敷かれている。

木板だと長年風波に晒されると、劣化が激しくメンテナンスが大変なのではないかと思われる。

しかしガイドの説明だと、鉄板だと甲板が濡れると滑りやすいので、艦隊員が甲板で作業するのには、はるかに木板の方が実用的なので、敢て木の板を使用しているのだとの事であった。

館内を見学している時にも、古くなった木板を張り替える作業をしている光景を、見掛けたものである。

板を打ち付けた跡には、乗組員の安全を守るために、丸い木片でその跡をカバーしているのがお分かりいただけるであろう。

こうして今でも、役目を終えた戦艦をメンテナンスして、後世にこの戦争歴史の実態を残していこうと言う作業が行われているのである。
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「戦艦ミズーリ号」
<<ハワイ>>--オアフ島--


巨大な40センチ主砲6門を前部甲板から撮影した。

この主砲が一斉に火を噴いたら、どんな事になるのだろうと、想像した。

直径が40センチも有る砲弾が発射されたら、さぞその衝撃も凄いものだろうと、ある疑問をガイドに質問してみた。

これらの主砲は反動砲なのかと・・・

無反動砲とは、発射の瞬間に砲身がバネで伸縮し、発射のショックを和らげる砲身の事である。

ガイドの答えは、その通りであり発射の瞬間に、艦が一時停船したり、傾いたりしないように造られているとのことであった。

日露戦争時代の日本の陸軍の大砲は、反動式ではなかったので、大砲に車輪が付いていて、発射するとその反動で大砲が数メートルも後退する光景を、ニュース映画などでご覧になった方も居るだろう。

けだし、過去の歴史から見て、戦争を機に科学分野での進歩が急速に進歩するのは、皮肉な歴史上の事実であると言えるだろう。
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「パール・ハーバー⑥」
<<ハワイ>>--オアフ島--


戦艦ミズーリ号の威容を埠頭最先端から撮影。

58000トンのこの巨艦には、第二次世界大戦当時、実に2534名の兵士が乗船していたという。

全長274メートル、全幅33メートル、高さ64メートルの規模を誇る戦艦には、湾岸戦争出撃当時は、トマホーク・ミサイル32基、ハープーン・ミサイル16基を新装し、近代戦に備えたという。

沖縄戦当時、日本の特攻機が左舷に激突した跡が今でも残っており、特攻隊員の遺体が速射砲の発射部に飛び散ったとの事である。

その遺体をウィリアム・キャラハン艦長は、艦隊兵士の反対を押し切って、敵国兵士でありながら、アメリカの戦死者と同じ水葬礼をもって、手厚く葬ったという。

けだし全艦を統括する艦長としての、人格の高さを感じさせる美談である。

国のために身命を賭して闘う兵士に、敵味方の差別が無い事を、実証した実話であろう。
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「パール・ハーバー⑤」
<<ハワイ>>--オアフ島--


戦艦ミズーリ号をバックに記念撮影。

仲間に撮って貰った写真だが、こうして見ると如何にこの戦艦が巨大であるか良く分かるであろう。

晴天のハワイの太陽をまともに浴びて、ご覧のような汗まみれの顔である。

この戦艦の内部を見学するのには、空中のUSSと書かれている桟橋を渡って行くのである。

千間の案内をしてくれるガイドを待つ間、こうしてあちこちで写真を撮りながら、時間を潰したものである。
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「パール・ハーバー④」
<<ハワイ>>--オアフ島--


戦艦ミズーリ号の主砲に装填する巨大な砲弾群。

戦艦を背景に、この巨大な砲弾をアップで撮ってみた。

この砲弾は、直径が40センチ以上も有る、この砲弾を発砲する爆薬を詰めた筒状の薬莢が脇に並べられている。

この砲弾の着弾距離は約17キロメートルである。

太平洋戦争も終盤の頃、このミズーリ号の主砲は、硫黄島に対する艦砲射撃で火を噴いた。

こんな砲弾が、雨あられと撃ち込まれる島内を守備する日本軍の状況は、どんなだったのかと想像すると、身震いがする。

恐らく着弾時には、かなりの震度の地震の揺れと同時に、轟音がしたことであろう。

当時島の岩穴の壕で守備していた日本兵士の話でも、この砲弾が飛来する時の不気味な飛翔音は、ゾッとするほどの恐怖心であったと回顧している。
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「パール・ハーバー③」
<<ハワイ>>--オアフ島--


真珠湾記念館の一つである、潜水艦記念公園からバスに乗ること数分、フォード島に繋留されている戦艦ミズーリ号の湾内に到着した。

この巨大な建造物は、ミズーリ号の横っ腹である。

10階建てのビルに相当するというこの戦艦は、日本海軍の誇った戦艦大和と同等の規模を持つ巨大戦艦である。

第二次世界大戦当時の威容を保ったまま、保存されている唯一の戦艦として有名である。

装備を現代の海戦にも通用するように、対空砲火機類を取り外し、ミサイル発射装置や、電子機器類に取り替えて、湾岸戦争にも出撃した戦艦なのである。

今は役目を終えて、記念艦として一般公開されていて、先ずこの巨大戦艦の内部を見学しようという事になったのだ。

戦艦に向かう両側には、アメリカ海軍の権威を高揚するかの様に、おびただしい数の星条旗が掲げられていた。
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「パール・ハーバー②」
<<ハワイ>>--オアフ島--


様々な魚雷群が、湾内の芝生の柵のように、あちこちにたくさん置かれていた。

日本軍の魚雷なのか、アメリカの物なのか、時間が無く、ゆっくりと説明文を読んでいる暇が無かった。

顧みれば、1941年12月6日未明、日本海軍は、アメリカの主要海軍基地であるこのパール・ハーバーに、航空母艦から発進した戦闘機による爆撃で、主力艦船アリゾナを含むアメリカ艦船や軍事基地に、多大な打撃を与え、初戦を大勝したのであった。

攻撃当日はアメリカは日曜日とあって、全く不意を付かれた奇襲攻撃であったのだ。

こうして太平洋戦争は勃発したのだが、所詮眠れる獅子アメリカを目覚めさせてしまった日本は、ミッドウェー海戦の敗北を期に、劣勢を余儀なくされたのは、周知の事実である。

当時3才であった私は、物心付いた頃には、東京空襲の憂き目に会い、子供心に防空壕の中から毎夜飛来するB29の空襲を目撃しながら、早く大きくなってあのB29を、ゼロ戦に乗ってやっつけたいものだと、歯軋りをしていたものである。
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「パール・ハーバー」
<<ハワイ>>--オアフ島--


真珠湾の記念館を入った所の光景。

此処は言わずと知れた、太平洋戦争勃発の地である。

予定時間より、二時間も遅れてアラモアナ・ショッピングセンターのバスターミナルからバスに乗って、やっと此処にたどり着くことが出来た。

予定時刻より、大幅に遅れたため、閉館時間も有り、残念ながら全ての施設を見ることが出来なかった。

この広場に置かれているのは、対空砲火用の速射砲と、巨大な対戦艦用の魚雷のようである。

これらはパールハーバーの米軍基地に配置されてあった物を陳列してあるのである。

ゆっくりと見学する暇も無く、様々な見学コースの中の一つである、戦艦ミズーリ号の見学コースを選んで園内バスに乗り込んだのであった。
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「走り去るリムジン」
<<ハワイ>>--オアフ島--


バスが来ないので、もと来た道をあくせくと歩いている途中で見掛けたリムジンカー。

こんな車で、目的地まで行けたらさぞ快適だろうと、汗を拭きながらやり過ごしたものである。

私は未だ嘗て、こんな大きなリムジンに乗ったことが無い。

仲間の話だと、後部座席にはバーなどが有って、一杯やりながら乗車している時間を潰す事が出来る、との事であった。

所詮貧乏旅行の我々には、高嶺の花と言った所であろうか。

しかしこうして眺めると、車輪の間隔が長いから、平らな道しか走れないのではないかと、何処でも行けない不便さも想像したものである。

客席の乗降口が、後部にしかないのも、気になるところである。
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「広い交差点」
<<ハワイ>>--オアフ島--


母の逝去から7日が経ち、ネットもそろそろ元のハワイシリーズに戻ろうと思う。

バス停で、一時間半もバスの来るのを待ち侘びた挙句、結局また来た道を戻ってアラモアナ・ショッピング・センターに有るバスターミナルに行こうという事で、歩き始めた。

この広い交差点は、とても青信号の間に渡り切れない人も居るからだろうが、交差点の途中に中州が有って、信号が赤になった時に待てるようになっている。

ゴミ一つ落ちていない道路は、流石世界屈指のリゾート地だけあって、清掃が行き届いていて気持ちが良い。

バスターミナルまでは歩いて20分、タクシーで行こうかと思ったが、折角交通費を節約してバスにしようとしたので、馬鹿馬鹿しいから歩こうと言う事になった。

所が皮肉な事に、歩いている途中でお目当てのバスが通り過ぎて行ったのだ。

今更残念がってもしょうがない、人生とはこういうものだと仲間と話し合いながら、汗を掻き掻き歩いたものである。

暫くページもメンテしないまま過ぎたが、その間慰めのレスを頂いた方々に、心から感謝します。

ご返事が遅くなりましたが、ぼちぼち始めようと思いますので、またよろしくお願いします。
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「春爛漫の日に」
<<日本>>--自宅付近--


昨年4月7日、満開の桜を見せに母を車に乗せて近くの桜堤に行った時の光景。

今まで載せていた母の遺影は、この時に撮ったものである。

車の中から、満開の菜の花と桜を眺めていた母は、来年もこんな春の光景を見られるだろうかと、つぶやいていたものである。

あれから一年弱、矢張り今年の桜を見ること無く母は逝った。

今年の母の花見は、千の風になって天空からこの光景を眺めることであろう。

3月8日晴天の月曜日、無事母の告別式を終えることが出来ました。

ネット開店休業中、たくさんの皆様から母に対する惜別のレスやメールを頂いた事を、心から感謝いたします。

ネットと言う、まだお会いしたことの無い皆様からのねぎらいの書き込みが、現実の葬儀以上に重みを持って感じられたのも事実です。

葬儀は終わったものの、当日都合でご来臨頂けなかった方の応対や、事後処理に追われ未だ個別にレスを出来ない状態ながら、少しずつ日頃のペースに戻そうと思っています。

亀レスになると思いますが、今後ともよろしくご交誼のほどお願いいたします。
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「ハーレー・ダビッドソン」
<<ハワイ>>--オアフ島--


この赤いハーレーを見ると、ナチスのヘルメットを被って運転したくなる衝動に駆られるのは、私だけではないであろう。

そう、映画「イージー・ライダー」では、髭面の若者が颯爽とハンドルを握っていたのと、同じタイプのバイクである。

こんなバイクに乗ったことの無い私は、前輪がこんなに長く前に突き出していて、果たして上手く運転出来るのだろうかと、疑問を持ってしまう。

どうやらこのバイクは、for saleと書いてあるから、レンタルだけでなく、買う事も出来るようである。

しかし値段を聞いたら、目が飛び出すのではないかと、想像してしまった。
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「レンタル・バイクの店」
<<ハワイ>>--オアフ島--


バスを待つ間、暇潰しにバス停の横にある、レンタル・バイクの店を覗いてみた。

此処はハーレー・ダビットソン専門のレンタル・ショップのようである。

こんなバイクに乗って、ハワイの島を巡ったらさぞかし快適なことであろうと思ったが、今の私の年齢では叶わぬ夢であろう。

まだ学生の頃は、住んでいた工場に有った、メグロの650ccのバイクを乗り回したものだが、単独事故を起して以来、バイクに乗るのは止めてしまった。

それでもこんなバイクを見ると、年甲斐も無く血が騒いで乗ってみたくなるから、いい気なものである。
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「待ちぼうけ②」
<<ハワイ>>--オアフ島--


バスが来るのを待って、暇潰しにお互いの写真を、撮りつ撮られつしている様子。

この停留所で一時間以上も待たされると、いささかお腹が空いて来て、停留所の後ろに有るイタリアン・レストランが気になりだした。

しかしレストランに入っている間に、バスが来てしまってはと思い、じっと待ち続けた。

結局お目当てのバスは来ず、此処で待っていても拉致があかない、と言うことになり、バスターミナルの有るアラモアナ・ショッピング・センターまで、移動することにした。

ターミナルまでは、此処から30分ほど歩き、宿泊先のコンドミニアムを通り過ぎて行く事になるが、折角タクシー代を浮かせようとバスにしたので、今更タクシーを使う気にもならず、歩く事にした。

ターミナルに辿り着いた時には既にお昼を廻っており、随分時間を浪費したものだと、皆で残念がったものである。
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「待ちぼうけ」
<<ハワイ>>--オアフ島--


待てど暮らせど来ないバスを、じっと我慢の子で、待ち侘びる相棒二人。

イリカイ・コンドミニアムの受付嬢に教えてもらった、ホノルル空港経由パールハーバー行きのバスを、指定の停留所で辛抱強く待つ我々であった。

バスは次々と来るが、お目当ての48番系統のバスが来ない。

結局このバス停で、もう少しもう少しと、一時間半も待ったがお目当てのバスは一向にやって来ない。

その内、教えてもらったバス停が間違っているのではないかと、疑問を抱くようになったものである。

果たしてこの後ずっと待っても、バスが来るのか来ないのかと、いささか焦りを感じ始めたのであった。
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「晴れ渡る空」
<<ハワイ>>--オアフ島--


毎日うっとうしい天気が続くと、ついこんな爽やかな光景を載せたくなる。

からりと晴れ渡ったハワイの空と、風にそよぐ椰子を眺めていると、心が晴れ晴れとしてくる。

ハワイ滞在も3日目、この日は太平洋戦争の起点と成ったパールハーバーを見学すべく、バスの停留所まで歩いている時に撮った光景である。

公園脇の歩道を歩いていても、思わず足取りが軽くなり、少しばかり遠くにあるバス停まで歩いても、疲れは感じなかった。

ホノルルマラソンの時は、この広い公道を、たくさんのランナー達が走るのであろうと、想像しながら歩いたものである。
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