2014年10月の記事


「記念写真」
<<インドネシア>>--バリ島--


ワヤン君の奥さんの実家での記念写真である。

我々と一緒に写っている美人の女性は、ワヤン君の奥さんの妹さんである。


彼女は既に結婚していて、可愛い女の子の母親でもある。

我々と一緒に、気さくに記念写真のメンバーとして撮影に応じてくれた。


彼女とお嬢さんも、バリ女性の正装をしているのは、この日モンキー・フォーレストで行われるポトン・ギギ(バリ島の成人式のようなもの)の儀式に参加するためである。

我々もこの儀式の見学のために、正装の着付けをしてもらった訳だが、さて誰が一番似合っているだろうか。


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「家族」
<<インドネシア>>--バリ島--


再びバリ島シリーズに戻り、ワヤン君の奥さんの実家の様子からスタートした。

前にもお話したとおり、バリ島では同じ敷地内に、一族郎党の家が独立してあり、家族が皆助け合って生活している。

しかし嘗ての日本の大家族制度とは異なり、夫婦を中心とした家族は同じ敷地内に、それぞれ別の家屋を所有している。

だから家族のプライバシーは保たれており、昼間の生活はお互いに助け合いながら、共同で過ごしているといった具合である。

ワヤン君の奥さんの実家では、ご覧のように三世代の三家族が、同じ敷地内で暮らしていた。


その上、民宿まで営んでいるから、此処に泊まれば、バリ島の家族の生活を肌で感じる事が出来そうである。


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「夜の神楽坂」
<<日本>>--新宿--


日もとっぷりと暮れて、神楽坂のメイン通も、夜の様相に変った。

ちょっと寄り道した積りの神楽坂シリーズも、思わぬ長丁場となってしまった。

神楽坂の散策を終え、これから先は、仲間が用意してくれた神楽坂倶楽部での飲食会となる。

私が会社に入社した新入社員の頃、上司に連れて行ってもらったこの街も、表通りはすっかり様変わりして、全く昔のイメージが掴めないでいた。

しかし、一歩裏通りに入ると、そこはかとなく昔のイメージがあちこちに残っていて、懐かしさを覚えたものである。


さて明日からはまたバリ島シリーズに戻して、珍しい風土の数々を載せてみようと思う。


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「粋な玄関」
<<日本>>--新宿--


何となく風情が漂う、料亭の小さな玄関。

玄関は小さいが、この料亭はかなり広いスペースを持つ料亭なのである。

仲間の一人が、此処の厨房で料理の準備をしている板前さんに、此処の割烹の由来などを聞いていた。

単に酒肴を賄うだけでなく、此処では神楽坂の芸者衆を呼んで遊興することの出来る、格式の有る料亭であるとのことであった。

私も嘗ては、ゼロ戦乗りの隊長を勤めた上司のお供で、こんな料亭で芸者遊びの作法を教えられたものだが、後で届いた請求書が驚くほど高額で、どう処理をしたら良いかで、頭を悩ませたものである。



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「神楽坂善国寺」
<<日本>>--新宿--


神楽坂のメイン通りを歩いた左側に有る、由緒有る寺の光景。

この寺は徳川家康が、江戸に幕府を開いた際、戦の守護神である毘沙門天を祀る為に、開いた歴史を持つ。

当初は馬喰町に有ったが、江戸大火で焼失し、此処に移設したとされている。

毘沙門天は、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたとされるので、寅毘沙とも言われるので、狛犬でなく、寅が左右に祀られている。

この石像は、江戸後期に造られた物とされているから、かなり歴史は古い。

今では、神楽坂の守護神として、地元でも手厚く街の衆に信仰され、支援されている寺である。



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「川越祭りの日」
<<日本>>--川越--


蔵造りの街並みが始まる所にある、大正ロマンを漂わせる2つのビルの光景。

昨日と今日は、毎年恒例の川越祭りの日である。


去年は雨に祟られたが、今年は2日とも快晴の秋晴れであった。

行くつもりは無かったが、天気が良いと何となく落ち着かず、夕方日没の頃、ちょっとだけ覗きに行ってみた。

人ごみかあまりに酷いので、歩行もままならず、一時間ばかりで引き上げて帰ってきた。

お決まりの山車なども数枚撮ったが、ライトアップされたこのビルが珍しいので載せてみた。

手前のビルは、小江戸名物の飲食物や土産物などを売るお店で有るが、何と隣りの三階建てのビルは、歯医者さんなのである。



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「秋の味覚」
<<日本>>--新宿--


既に掲載した和菓子の老舗、五十鈴のショウウィンドの秋の味覚の数々。

栗やさつま芋など、今年の秋の収穫を和菓子のベースに作ったこの店の、看板商品のようである。

此処に陳列されている「くりやま」と言う商品が、嘗て先代が創作した物が和菓子コンクールで、副総裁賞に輝いた和菓子のようである。

出来る事なら、買って帰ろうかと迷ったが、甘い物を控えている糖尿病予備軍の身である事や、荷物を持ち歩くのを極端に嫌う性格が相俟って、矢張り買わずに通り過ぎた。


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「店先の演出」
<<日本>>--新宿--


見事な店先の飾り付けである。

思わず立ち止まって、そのレイアウトのすばらしさに、暫し見惚れてしまった。

単なる秋の収穫物の展示だけでなく、懐かしさを覚える小道具の配置が、実に憎らしいほどである。

何処から集めたのか、今は使われなくなってしまった、農家の農作業に必要だった農機具が、秋の稔りと共に置かれている。

蛍光灯でないオレンジ色の照明が、秋の深まりを見事に演出している。


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「梅花亭」
<<日本>>--新宿--


こちらも和菓子屋であるが、前出二店の創業より更に古い。

創業79年と言うから、ずっと戦前から店を続けていることになる。

現在に至るまでには、どんな歴史が有るのか聞いてみたいものである。

店の入り口に「鮎の天ぷら最中」と言う看板が不思議な感覚で目を引く。

これは創業者の発案による最中らしく、鮎の形をした最中を菜種油や米油で、軽く揚げたものらしく、香りがとても香ばしいとの事。


我々の仲間の、買い物マニアのご仁も、早速この名物を購入したようである。


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「老舗のうなぎ屋」
<<日本>>--新宿--


昨日まで掲載した和菓子屋の直ぐ隣にある、これも老舗のうなぎ屋の入口。

こちらは、和菓子屋より更に古く、創業65年を誇るうなぎを主とした串焼きの店、鮒忠本店である。

鮒忠の店名の由来は、創業者根本忠雄の忠を採って「鮒忠」としたと言われている。

それまで、高級料理とされていた串焼きを、大衆料理として広め「串焼きの父」として名を広めたと言う。

店の上の梁の古さが、如何にも老舗と言う感じを彷彿とさせるが、店内は驚くほど綺麗で広く、お座敷なども有ると言う。


備長炭を使用した、串焼きは如何にも高そうだが、常識的な価格で、我々も一度は入って見たい店だと思ったものである。


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「老舗の和菓子屋」
<<日本>>--新宿--


神楽坂のメイン通りに有る老舗の和菓子屋の店先の光景。

この五十鈴と言う和菓子屋は、昭和21年の創業で今は二代目が引き継いでいる様子。

嘗て和菓子の全国競技会で、「くりやま」という和菓子が副総裁賞を受賞した経歴を持つという。

五十鈴と言う屋号は、先代が伊勢神宮を詣でた時、五十鈴川の神聖で清浄な清流に心を引かれ、自分が創業する時はこの名前にしようと決めたのだという。

甘辛両党の仲間の一人は、早速店に入り、どら焼などの和菓子を買い求めていたが、彼の後姿も一緒にカメラに収めた。



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「飲んべい横丁」
<<日本>>--新宿--


路地の両脇に、ずらりと軒を連ねる居酒屋や小料理屋のある横丁。

この通りの名前が、飲ん塀横丁と言う路地ではなく、別の名前が有るのだろが、こんな光景を見ながら、私が勝手に付けた名前である。

そろそろお店の看板や提灯に明かりが灯る頃ともなると、飲んべいの私は、そぞろ喉がなる時間なのである。

テレビで放映している、酒場放浪紀ではないが、高級料亭より、気軽に暖簾を掻き分けられる、小料理屋や居酒屋が私には向いているようである。

こんな風景の飲み屋街は、東京に限らず日本のあちこちに有るように思えるが、現役時代の仕事帰りには、良く足を止めて仕事仲間と、一日の締め括りをこんな店でした事を思い出した。



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「ギンレイ・ホール」
<<日本>>--新宿--


神楽坂に今でも一軒だけ残っている映画館の外観。


ギンレイ・ホールは40年前に、日本でも数少なくなった名画座映画館として、今でも名画を放映している。

外見は改修されて綺麗になったが、飾り気の無いレンガ造りの建物は、踏襲しているようである。

我々が通り掛った時には、本年度アカデミー賞の、主演女優賞に輝いたケイト・ブランシェット主演の「ブルー・ジャスミン」を放映していた。

人通りのほとんど無いこの界隈で、観客は居るのだろうかと、余計な事が心配になった。

数年前、映画ブームがカムバックしたが、4K時代の大型テレビが主流になりつつある昨今、果たして劇場映画館に足を運ぶ人は、多いのであろうか。


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「イタリアン・レストラン」
<<日本>>--新宿--


この店も狭い路地の一角に有った。

店主がイタリア人のようで、この店の前に差し掛かると、店の宣伝用の写真を撮っているのか、店主のイタリア人と、若いウェイトレスの女性がカメラに向かってポーズをとっていた。

その様子を撮ろうと思ったが、カメラを向ける前に、撮影は終わってしまった。

この店のほかにも、2号店が有り、更に3号店がメイン通りにオープンしたというから、凄い勢いである。

店の中とオープンテラスが一体となっており、沢山の若い客が入っていた。

このように神楽坂は、老若男女全てウェルカムの街のようである。


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「粋な店③」
<<日本>>--新宿--


この店もまた純日本調の、瀟洒な佇まいである。

神楽坂の面白い所は、路地に入って、一見個人住宅が立ち並んでいて、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな家が、店なのである。

この店も、玄関が閉まっていて中の様子が分からなければ、一戸建て住宅として見過ごしてしまうだろう。

それを防ぐために、屋号が玄関横に付いていて、中の様子がちょっと覗き見出来るように開いている。

この店は、お茶屋か割烹料理店のようであるが、贔屓の客や、お馴染みさんでなければ、一元客としては、ちょっと入りにくそうである。


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「粋な店②」
<<日本>>--新宿--


こんな店先を見ると、つい入って見たくなってしまう。

矢張り自分も年なのであろうか、こんな純日本調の黒塀を基調にした店構を見ると、実に粋なものだと、その演出に舌を巻く。

さり気無く大きな壷の上に置かれた店のパンフレットが、自由にお持ち下さいと、言わんばかりなので、せめて品書きだけでもと、つい持ち帰ってしまうのである。

楓や樹木などの青が、黒塀に映えて美しく、看板や店の中の灯りも蛍光灯でなく、タングステン調のオレンジ色であるのが、一層食欲をそそる。

きっとこの楓も、晩秋になると赤く色付き、一層店を引き立たせることであろう。


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「粋な店②」
<<日本>>--新宿--


こんな店先を見ると、つい入って見たくなってしまう。

矢張り自分も年なのであろうか、こんな純日本調の黒塀を基調にした店構を見ると、実に粋なものだと、その演出に舌を巻く。

さり気無く大きな壷の上に置かれた店のパンフレットが、自由にお持ち下さいと、言わんばかりなので、せめて品書きだけでもと、つい持ち帰ってしまうのである。

楓や樹木などの青が、黒塀に映えて美しく、看板や店の中の灯りも蛍光灯でなく、タングステン調のオレンジ色であるのが、一層食欲をそそる。

きっとこの楓も、晩秋になると赤く色付き、一層店を引き立たせることであろう。


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「宮城道雄の碑」
<<日本>>--新宿--


神楽坂の路地を入って10分ほど行った所に、この記念碑がある。

記念碑の背景には、彼が神戸から上京して、晩年まで過ごした住家があり、その脇には宮城道雄記念館がある。

残念ながら我々が訪ねた時には、時間的に夕方であり、既に閉館となっていた。

宮城道雄はご存知の通り、琴や筝曲の作曲・編曲家として日本を代表する第一人者として、世界でも知れていることは有名である。

正月には、彼の代表作「春の海」がテレビなどで演奏されるのをお聞きになった方も多いと思う。

盲目であった彼が、最後には事故により不慮の死を遂げたのであるが、此処神楽坂に住んでいたことを始めて知った次第である。


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「粋な店」
<<日本>>--新宿--


純日本調の粋な店構えである。

この店は、脇道から入った小さな十字路の角に有った。

十三夜の月に供えるためか、一本のススキと酒や団子が店先に飾ってあるのも、乙なものである。

入口の上の注連縄には、笑角と書いてあるのは、どんな意味があるのだろうか。

こんな店で一杯やってみたいものだと、仲間と店先に貼ってある品書きを見たが、それほど高額ではなかった。

表から見る雰囲気は、京都や奈良にある格式高いお店のようだが、中はどんな風情が有るのだろうか。


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「路地裏」
<<日本>>--新宿--


メイン通りから、小さな裏道に入ってみた。

普通なら住宅街と言った路地裏だが、ご覧のように個人の家が、それぞれ店を出しているといった感じである。

こんな神楽坂の風情が面白く、老若男女を問わず、堪らない魅力となっているのではないだろうか。

散策をする旅仲間と話したのだが、良くこんな路地裏で、商売が成り立つものだと感心したものである。

とてものことに、それぞれの店の、お気に入りの固定客や、リピーターが居なければ、とても店を続けることが出来ないのではないかと、不思議な感じがしたのであった。


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「木漏れ日」
<<日本>>--新宿--


短い秋の夕日が、老舗のお茶屋に映えて、独特のムードを醸していた。

夕暮れの街は、間もなく太陽が隠れ、別の世界へと変化しようとしている。

この店は一体いつ頃創業したのであろうか、古い看板が現存している中にも、目立たない程度の改装は施して、何代目かの店主が、この店を受け継いでいるのであろうか。

この店は、神楽坂の目抜き通りに位置しているから、こうして代々商売を続けられるのであろう。

我が街にも、代々続いた店舗が有ったが、進出した大型スーパーの林立で、次々と店を閉めているケースが少なからず見受けられる。

新旧混在の商店街が、上手く継続して営業出来る時代は、今や不可能となったのであろうか。


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「和洋混在」
<<日本>>--新宿--


神楽坂は実に不思議な街である。

メイン通りには、ご覧のようなモダンな洋風の店や、昔の儘の古色蒼然たる老舗が、こんな洋風な店の隣りにあったりする。

丁度見番横丁からメイン通りに出る真正面に、この店が見えて来た。

二階に掲げてあるスペイン国旗が遠くから目に入り、スペインに行った時の思い出が蘇り、横丁を出たところでこの店を撮った。

二階はスペイン料理のレストランらしいが、一階はとんかつやら大学いもなどの看板が見えるから、日本食の店のようである。

こうして和洋混在で立ち並ぶ店を見ていると、どうやら昔を懐かしむ高齢者から、欧米かぶれの若者まで、散策しながら楽しむことが出来る街、と言えるのだろう。


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