2012年01月の記事


「街の入口」
<<スペイン>>--グラナダ--


いよいよバスはグラナダの街の入り口へと差し掛かった。

当初予想していた、グラナダの街とはかなり予想が外れて、近代的な建物が立ち並んでいる。

右に見える大きな建物は、一体何なのであろうか。

屋上にぐるりと四方が見渡せるラウンド・ビューが有る所を見ると、ホテルのような気もするが、それにしては、付随するビルがホテルらしくない感じもする。

この展望ルームは、良く見掛ける回転するレストランのような気もするが、定かではない。

このガラス張りの展望ルームから眺める街の様子や、遠くの山々の光景は、さぞ見応えのする光景であろう。
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「街近し」
<<スペイン>>--グラナダ--


ラ・マンチャ地方から、グラナダへの4.5時間のバスの旅も、やっと終わろうとしている。

山岳地帯有り、丘陵地帯有りの長旅も、風景の中に家が見えるようになり、街の郊外に近付いて来た。

とは言えまだ郊外なので、街の様子は新家屋や工場、ガソリン・スタンドなどが多く、旧市街に入るのには、かなり距離が有りそうである。

グラナダは盆地の中に有るのだろうか、遠くの山々には夏だと言うのに、雪が残っているのが遠望出来る。

田園風景も良いが、ずっと見続けていると、街並みが見えてくると、ほっとするものである。
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「玩具のような家並み」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


何気なく車窓から風景を眺めていても、面白い場面が次々と現れる。

この丘の上に、行儀良く一列に建てられた家々は、まるで玩具の積木のようである。

同じような赤い屋根の家々は、新興住宅地なのであろうか。

手前に建つ家は、昔から有る街なのであろうが、丘陵地帯を宅地造成して新たな街を作ったような感が有る。

スペインの郊外も、こうして増え続ける人口に対処して、新たな家が造られるようである。
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「豊かな大地」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


何とも心地良い眺めである。

緩やかな大地に広がるオリーブ畑、遠くには岩山が聳えている。

オリーブ畑の無い、土が剥き出しの土地は、これから他の野菜や果物などを育てるための畑であろうか。

こんな地方でも、道路は完備されているようで、立体交差の石橋が掛けられている。

此処でも丘の彼方には、農家であろうか、ポツンと白い家が点在している。

絵心が有れば、この光景を描いてみたい気持ちになったのであった。
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「懐かしい光景」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


此処の農場を通り過ぎる時、何となく懐かしさを覚えて、シャッターを切った。

一面に耕されて、何も無い農地にポツンと囲いが有るのは、肥料を蓄えるための物であろうか。

右側にずっと連なる柵は、農地と家を区切る境界であろう。

懐かしさを覚えたのは、嘗てマカロニ・ウェスタンに夢中になった頃の、牧場のシーンのように感じたからだ。

はるか彼方の球形の陸の先から、砂塵を巻き上げて近付く、カウボーイの騎馬姿が現れるような感じである。

そんな光景を、想像力豊かに思い描いたのであった。
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「オリーブ畑」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


山岳地帯を通り抜けると、再び景色は緩やかな丘陵地帯に広がる、オリーブ畑が出現する。

燦々と降り注ぐ太陽を浴びて、整然と並ぶオリーブの木々の様子は、スペイン独特の光景であろう。

スペイン料理には、サフランの香りと、オリーブが欠かせない素材なのであろう。

オリーブオイルには全く関心の無かった私も、スペイン旅行以来、その効能も合わせて、食卓に欠かせない一品となったのであった。

ラ・マンチャ地方に限らず、スペインの農村地帯には、このようなオリーブ畑が至る所で見受けられるのである。
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「道路建設」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


バスが山岳地帯を抜ける頃、高架橋の建設現場を通り過ぎた。

こんな高い橋を建設中と言う事は、この橋が完成したら、山岳地帯を通り過ぎるのもかなり便利になる事だろうと推測した。

それにしても、こんな高速道路を走るのは、ちょっと勇気が要るのではないかと思ったものである。

橋桁が一本だけのようであるが、これで地震が来ても大丈夫なのかと、余計な心配が頭をよぎった。

ギリシャの経済破綻に端を発した、ヨーロッパの経済不安は、スペインも他山の石ではないようだが、この高架橋も、果たして無事に完成するのであろうか。
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「岩山②」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


同じ岩山でも、前出のものとはかなり様子が違う。

峻険な人を寄せ付けないような有様は同じだが、所々に黄色い岩肌を見ることが出来る。

これはどうやら、硫黄のようであり、嘗ては岩の隙間から硫黄が吹き出ていたのではないだろうか。

とても人が登れるような場所ではなく、さりとて登山を試みるような山でもないから、そのままの状態で存在しているのであろう。

スペインも日本同様火山国だから、こんな場所があっても不思議ではないのであろう。
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「岩山」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


ラ・マンチャ地方からグラナダへ向かう道は、平坦な丘陵地帯だけではない。

バスが山岳地帯に差し掛かると、周囲は一変し、突然こんな風景に変わる。

青い空が無ければ、まるで中国の桂林のような眺めだ。

此処は嘗ては海の中だったのであろうか、長年の侵食と風化によって、こんな岩山が出現し、岩の隙間に堆積した土に、木々が根付いたのであろう。

変わり行く光景を、車窓から眺めるのも楽しく、うたた寝をしているのも勿体無いと思いながら、カメラを向けたりしていたのであった。
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「オリーブ畑と青い空」
<<スペイン>>--ラ・マンチャ地方--


ラ・マンチャ地方の農家レストランを離れ、バスは一路グラナダへと向かう。

正月以来暫く続けていた中国シリーズから、区切りの良い所で、再びスペインシリーズへと移った。

毎日寒い日が続くと、暖かく澄み切った空が続く、太陽の国スペインが恋しくなった。

農家のレストランで、カスティリャ風ニンニクスープのランチを楽しんだ後、約4時間半掛けて、かの有名なグラナダへと向かう。

その間、バスの車窓からは、延々と続くオリーブ畑と青い空の光景を堪能出来る。

オリーブ畑の丘の上には、農家が一軒ポツリと点在する。

まるで絵のような爽やかな風景に相応しく、BGMはシェリト・リンド(青い空)を選んだ。
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「兵馬俑の発見者」
<<中国>>--西安--


1974年、畑の井戸掘りをしていて、偶然兵馬俑を発見した楊志発さんの姿。

今まで掲載してきた、兵馬俑の発見者である、楊さんが実在している事に驚きを覚えた。

しかもこの楊さんは、我々が二階で昼食を摂った、土産物店の階段を上る上り口で、この様に彼の書いた書物や書を販売していて、それらを買うと一緒に写真を撮ったり、サインをしたりして生計を立てているのである。

当時世紀の世界遺産の大発見者として、ニュースで騒がれた人物も、この有様なのである。

発見当時は、兵馬俑博物館の館長として、従事していたが、今は土産物店の片隅で、こんな生活をしているのである。

発見当時中国政府から、兵馬俑発見者として恩賞として与えられた金額は、僅か数百円であったと言う。

彼にそれで満足しているのかと、記者がインタビューしたら、私は名誉を与えられただけで満足していると答えたそうである。

それが中国政府の当時の処遇だと聞いて、唖然としたのであった。

日本なら、この世紀の大発見者に対して、どんな処遇をしただろうかと、しみじみ考えてみたのであった。
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「兵士の顔」
<<中国>>--西安--


1号坑兵馬俑に整列している兵士達のアップ。

こうしてズームアップして一人一人の顔や容姿を良く見てみると、それぞれが異なっている事が分かるであろう。

遠くから沢山の像を見る限りでは、あまり変わり映えがしないが、大写しの兵士達は微妙にその容姿が違う。

一説によると、これらの兵士のモデルが居て、俑を造った制作者はそれらの兵士達を見ながら、人形を作ったのだとされている。

それぞれの兵士の髭の蓄え方や、襟巻きの結び方などが、微妙に異なっているのも興味深い。

西安と言えども、日本よりは寒いだろうから、兵士達が全て襟巻きをしているのも、日本の戦国武将たちとは違うなと感じる。

背の高さが一応に平均して高いのは、兵士の採用基準が、戦闘に耐えられる体躯を持っている事が必要だったのだとされている。
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「発掘現場」
<<中国>>--西安--


これは二号坑兵馬俑の、発掘現場の状況である。

丁度昼食時であったので作業員は居らず、発掘の状況を観察している女性と、それを説明している監督らしき男性だけが、この場に居るのが目にとまった。

彼女は発掘に携わる調査員なのかどうか分からぬが、こうして間近でその様子を観察出来るのは、一般観光客では不可能な事である。

この様子を見る限り、兵馬俑は等間隔で整然と土中に埋められているらしく、それを破損することなく、一体一体丁寧に土を削って、発掘する作業は、気の遠くなるような歳月を掛けて行われるのであろうと、推測した。

こうして紀元前の世界が、現代の世に蘇るのだから、いにしえの帝国がかく有ったと言う事を、現代人が知る事が出来る貴重な遺産であることは間違いないであろう。
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「1号坑兵馬俑③」
<<中国>>--西安--


再び兵馬俑の光景に戻った。

此処の1号坑には、発掘されたおびただしい人馬が、並べられている。

全て等身大の俑(人形)だから、後ろから見ると、まるで映画に出てくるゾンビの集団のように見える。

こんな像が畑の土の中から、続々と現れてくる様は、一体どんな状況だったのだろうか。

日本でも縄文時代や、弥生時代には、埴輪などが発掘されているが、時を同じくして、中国ではこんな俑が沢山作られていたのだから、驚かざるを得ない。
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「1号坑兵馬俑②」
<<中国>>--西安--


1号坑に並べられた兵馬俑を、最前列横から見た光景。

この位置からの撮影は、観光客が押すな押すなの状況で、この場所を確保するまで、かなりの時間が掛かったのであった。

最前列で、整然と整列している兵士達の姿は、正に圧巻である。

一見同じように見える兵士達の顔は、全てが異なり整然と直立する様は、戦場に赴く兵士達の緊迫感を髣髴とさせる。

紀元前の世界で、中国を統一するために出征する軍の隊列を前にして、始皇帝が檄を飛ばす様子が、目に見えるようで、その有様を想像し、不思議な迫力を感じたものである。
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「始皇帝の馬車」
<<中国>>--西安--
「始皇帝の馬車」


これも兵馬俑から出土した、始皇帝が乗ったのと同じ青銅の四頭立ての馬車である。

青銅で作られているため、朽ち果てることなく、見事に再現されたのであろう。

秦の時代になり、始皇帝が中国全土を掌握し、統一国家にしたのが、紀元前250年だから、如何にその精力と能力が卓抜していたかが窺い知れる。

統一国家が、始皇帝の死によって、殉死する高級兵士達が多数になることで、兵力の低下を防ぐために、生前から皇帝の命により、兵馬俑を造らせたとの事であるが、僅か20年足らずで、また戦国時代に突入するとは思いもよらないことであっただろう。

国は巨大になればなるほど、統治が難しいのは、今の中国でも変わらない事実なのであろう
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「1号坑兵馬俑」
<<中国>>--西安--


遂に1号坑の兵馬俑博物館に到着した。

館内に入った途端に、この巨大な館内の広さと、そこにびっしりと並べられた兵士達の像に、圧倒された。

1号坑で発掘された像だけでも、2000体有るといい、まだ発掘されていない物を合わせると、此処だけで6000体も有るという。

館内の規模は、東西幅230メートル、南北幅62メートル有るというから半端ではない。

深さ約5メートルの地下に、始皇帝の眠る西陵墓を、主力右軍の兵士達が守るように、一斉に東方を向いている光景は実に圧巻である。

周囲から、この兵馬俑を見る観客の姿からも、この坑が如何に巨大であるかが窺い知れよう。
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「明の十三稜」
<<中国>>--北京--


今年の干支、辰年にちなんでこの写真を載せた。

これは明代の皇帝を祀った陵墓で有名な、明の十三稜が有る場所の石段に彫られた、龍の彫刻である。

永楽帝で始まった明代の十三人の皇帝を祀った地下に有る墓であるが、この地下の墓に辿り着くまでの上り下りは、エスカレーターなど無く、足腰の悪い私には万里の長城と同じく、極めて苛酷であった。

石段が急であるだけに、厳しかったのを今でも覚えているが、苦労した割には、内部はがらんとしていて、あまり面白くなかった。

中国の歴代皇帝のシンボルは龍であり、龍が玉を咥えている姿は紫禁城を始め、あちこちで見ることが出来る。
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「万里の長城」
<<中国>>--北京--


新年明けましておめでとうございます。

旧年中は拙いページに、いつもお付き合い頂き有難うございました。

今年も宜しくご交誼のほど、お願いいたします。

さてこの情景は、北京郊外の万里の長城、八達嶺の雄大な光景である。

此処を訪れたのは夕刻間近な時間であり、反対側の山の稜線には、真っ赤な夕日が掛り、幻想的な情景を醸していた。

此処での行動は自由行動となり、相棒を始めとした健脚を誇る人たちは、前方に見える第5の見晴台まで行った人も居るが、足腰の悪い私は、掛け声を掛けながら、どうにか此処の第4の見晴台に到達するのがやっとであった。

しかし、一年前の歩く事さえ困難な状態から、此処まで登る事の出来るほどに回復したのだから、天に感謝したい気持ちで一杯である。

今年はどんな年になるかは不明だが、皆が健康で平穏な日々を送れる年になる事を、祈らずには居られない。
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