2006年12月の記事


「仏塔」
--ウブド--


タマン・アユン寺院の建ち並ぶ仏塔群の光景。

バリ島の数ある寺院の中でもその美しさがひときわ目立つ寺院である。
1634年に建立されたメングウィ王国の国寺。

此処の庭内には観光客は入れないと言うから、ワヤン君ならではの写真だろう。

サトウキビの黒い茎で葺いた10基の塔が建ち並ぶ光景は、ヒンズー建築の粋を感じさせる。

下の方をカットした構図は、中々彼も絵心が有ると感心したものである。

携帯のデジカメでなかったら、さぞ綺麗な写真であった事だろう。
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「沐浴�A」
--ウブド--


寺院の中の沐浴場で聖なる水で沐浴をする善男善女の光景。

祭りの日に此処で沐浴をするのには人数制限が有り、かなりの時間行列を作って待たなければならないと、ワヤン君の解説が有った。

こうして身も心も邪悪を洗い落として、綺麗な体で祭りに参加するのだという。

村の大半が敬虔なバリヒンズーの信奉者達は、我々外部の人間に対しても、とても優しく親切に対応してくれる。

自然神が対象のこの宗教は、天の神々に対して、自然の恵みを感謝する事から端を発しているから、人に敵対したり、害を及ぼすことを良しとしない事を、小さい時から親によって教育されているので、穏やかな人が多いのだろう。

日本も親が子供の育児に付いて、他人に対する慈恵の念や感謝の気持ちを植え付ける事を、日頃から徹底すれば、最近のいじめや攻撃的な行動などの傾向も、少なくなるのではないかと痛感する次第である。
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「祭礼の日�A」
--ウブド--


アユン寺院の祭礼に詣でる経験な地元の信者達の祈りの光景。

私もプリアタン宮殿の祭礼に参加した時、このような村の人達の正装して祈りに参加する人達の光景を見学したが、この場には我々観光客は参加出来ない。

この祈りの場に入れるのは、地元の人達だけであり、観光客は縄の外からこの儀式を眺めるだけである。
だからこの光景を撮れるのはワヤン君だけである。

アユン寺院と言うから、ウブドの渓谷を流れるアユン川の傍に有るのではないかと勝手に解釈した。

オダランは満月の日に寺院で行われる、神を敬うウブドのお祭りである。

こうした催し物が絶えず行われるウブドは、正に古来の伝統と芸術を重んじるゆかしき村なのである。
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「祭礼の日」
--ウブド--


ウブドに有るアユン寺院の入口の光景。

アユン寺院と言うから、ウブドの渓谷を流れるアユン川の傍に有るのではないかと勝手に解釈した。

オダランは満月の日に寺院で行われる、神を敬うウブドのお祭りである。

この祭礼には、ガイドの案内で一般観光客も、寺院内の祭礼の模様を見学出来るが、神聖な儀式なので腰布を巻かなくてはならない。

私も訪れた時が、偶然にも丁度満月の日であったので、プリアタン寺院のオダランに参加出来たが、腰布を巻いたのが何とも照れくさかった事を思い出した。

こうした催し物が絶えず行われるウブドは、正に古来の伝統と芸術を重んじるゆかしき村なのである。
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「バロン」
--ウブド--


昨日ワヤン君が訪問したアユン寺院のバロンの姿。

オダランは満月の日に寺院で行われる神を敬うウブドのお祭りである。
この日に使用される奉納の舞に、このバロンが使用される。

このバロン(獅子)は今まで掲載していたものと色が違う。
二人の人間が入り、この巨大な獅子をガムランの演奏に合わせて踊る舞踊はバロンダンスとして有名である。

私もこの踊りを寺院の境内で見たが、踊りはストーリーになっており、このバロンが、悪い魂を持った人間を駆逐すると言ったものであった。

アユン寺院と言うから、ウブドの渓谷を流れるアユン川の傍に有るのではないかと推測してみた。

ウブドは正に伝統芸能と芸術の村なのである。
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「ウブドの家」
--ウブド--


典型的なウブドの家の庭の光景。

一般の民家なのか寺院の中なのかワヤン君の解説が無かったので分からないが、このような庭と家がウブドには多い。

マンゴなのだろうか、たわわに稔った果実を枝が支え切れないで、支柱や縄が張ってある。

自然な恵みが豊富にある此処では、寺院のお祭りの時には、これらの果実を山盛りに綺麗に飾り付けて、女性達が頭に載せて寺院に奉納に行くのだ。

私もウブドでは日本で味わえない、様々な果実を味わったものだが、自然に稔った果実の甘さが今でも思い出されるのである。
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「ワヤン君�A」
--ウブド--


チルタ・エムプル寺院のお祭りに正装で参加したワヤン君の姿。

彼が案内をしたお客さんに撮って貰った写真のようである。
日付が12月9日10:30分となっていた。

撮影を頼んだのは良いが、慣れなかったと見え、画像がちょっとぶれている。
きっと日本のネットフレンドに送るのだからと話しながら、撮影を頼んでいる彼の姿が見えるようである。

この写真では、まだ多少童顔の残る彼の素顔だが、自分の仕事に誇りを持って、どんなネットでの質問にも直ぐに返事をする彼の姿は、見上げたものだと感心している。

近い将来自分の個人ページを造りたいと言っていたが、乞うご期待と行こう。
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「クニンガンのお祭り」
--ウブド--


たった今ワヤン君から送られて来た、チルタ・エムプル寺院で行われたお祭りの光景。

9〜10日はこのお祭りで、ワヤン君もお客さんを案内するので忙しかったとの事。

早速その時の模様を、携帯で撮って何枚か送って来てくれたので、出来立ての写真を載せてみた。

私もウブドを訪れた時、腰布を巻いてお祭りに参加させて貰ったものだが、その時の事を憶えている方は居るだろうか。

女性達が正装して、寺院に寄贈する沢山のお供え物を、頭に載せてやってくる姿が今でも目に浮かぶ。

この写真を見ながら、また何時かこの土地を訪れてみたいものだと、強く思ったものである。
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「寺院の見える光景」
昨日ワヤン君から懐かしい写真を送ってもらった。

この写真を撮った場所はロータス・カフェと言う名前の場所である事を彼のメールで知った。

実は此処が初めて彼と会話を交わした場所なのだ。
相棒と二人で、夜のバリ舞踊を見に行く途中、妙なるガムランの響きが聞こえてくる場所があったので、裏口から入ってみた。

寺院の一角で、ガムランの体験学習が出来る所らしい。
私は蓮の花の咲く池の夜景が綺麗なので写真を撮っていたら、ワヤン君から声が掛かったのだ。

APA?に朝来ていましたね、私貴方達を覚えています、と。
彼はお客さんを連れて此処に来ている所だとの事だった。
たまたまインターネットの話になり、彼も好きでやっているとの事で、私のURLを教えたのが交流のきっかけであった。

その出会いの場所を彼が覚えていて、この写真を送ってくれたのだ。
私のアルバムのバリ・シリーズにもこの寺院の夜景が載っている。
もう二年半も前の事である。
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「沐浴」
--ウブド--


寺院の中の池で沐浴をする人々の光景。
この写真もワヤン君が送ってくれたものである。

寺院だと分かるのは、入口の門が割れ門になっているからだ。
この門のいわれは、左右対称になっている門が、悪人が入ろうとすると、自動的に閉まるようになっていると言う所から来ている。

バリ島は綺麗な水の豊富に有る土地である。
特にウブドは高地に有るにも拘らず、アユン川を源流とした清流があちこちを流れており、こうした光景が見られるのである。

バリ・ヒンズー教を今でも主流とした人々の信仰心は強く、神々の住む島と言われるに相応しく、優しい気持ちの人々がのどかに暮らす楽天地である。
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「ワヤン君の勇姿」
--ウブド--


お祭りに参加するためにバリ島の正装をしたワヤン君の姿。

楽しい事に彼からバリの珍しい写真を次々に送ってくれる。
全くの異文化の国バリは我々日本人にとって珍しい光景ばかりだ。

携帯電話のデジカメで撮っているので、画像は今一だが来年は日本人のバリ島リピーターの人から、デジカメをプレゼントしてもらえるとの事なので、綺麗な写真が送られてくる事だろう。

忙しい仕事の合間を見て、メールを送ってくれる彼の熱意が嬉しい。
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「火葬式」
--ウブド--


バリ島ウブドに住むワヤン君から送られて来た国の行事、火葬式の光景。

彼からは時々、バリ島で行われる大きな行事の写真が送られてくる。
これは国の王様が亡くなった時の葬式の模様である。

この塔の上の方の人の居る所に、王様の亡骸が安置されていて、街中を引き回しの後、寺院の前でこの塔全てに火を付けて荼毘に付すのだ。

この火葬式の時には、その他にもその年に死んだ名家の人達の亡骸も同じように、この日に火葬されると言う。

縦位置の写真なので、画面に収まらないが、スクロールしてご覧頂きたいと思う。
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「メヴラーナ博物館」
--コンヤ--


コンヤのシンボル的存在のメヴラーナ教団の総本山である。

今は博物館として、一般公開されているが、美しい青タイルのとんがり屋根の塔がこの教会のシンボルなのだ。

メプラーナとは「我が師」と言う意味であり、教団創始者ジュラルディン・ルーミーの事を言う。

独特の先回舞踊で有名になったトルコ独特のこの教団は、今まで掲載していた壁画の信者達の動作でもお分かり頂けただろう。

6000平方メートルの広大な敷地には、様々なこの教団の様子をうかがい知る物があり、順次紹介していこうと思う。

左手に有る手や口を清める聖水場の屋根の柱が、一つおきに抜けているのも、不思議な眺めだ。
きっと何か意味が有るのであろう。
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