2013年07月の記事


「聖域を後に」
<<ベトナム>>--ミーソン--


森の中のミーソン遺跡群を探訪した後、いよいよこの地を後にして、次の目的地に向かう事になる。

恐らく自分の人生で、再度此処を訪れる事は無いであろうと思うと、果たしてこの後、ずっと此処にこれらの遺跡が存続するのだろうかと思うと、ちょっと名残惜しい気もする。

ベトナム戦争の傷跡も残るこの聖域は、ある意味でベトナムの歴史を知る上で、重要な場所なのであろう。

さてこれから、私がこのベトナム旅行で一番楽しみにしていた、日本とも歴史的関係の深い歴史の街、ホイアンへと向かうのである。
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「静寂」
<<ベトナム>>--ミーソン--


人影の無いミーソン聖域の遺跡群は、強い日差しの中で、ひっそりと静まり返っていた。

夏草の生い茂る古の館や、それを守る門廟は、今は昔の物の哀れを現している様であった。

これらの建造物を構成している赤レンガは、軽くて強く、10世紀以上も経過している現在でも、風化することが無く、今日の技術を持ってしても、再現出来ないという。

これらのレンガは、苔やカビが蔓延っても侵食されない特徴があり、一説によると、米の籾殻を混ぜて造っているからではないかとの説があるのである。

けだし、現代に生きる我々は、太古の人間の知恵の深さと技術の高さを、これらの遺跡群を通して知ることが出来るのである。
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「遺跡の内部」
<<ベトナム>>--ミーソン--


数ある遺跡の中の一つに入って見た。

遺跡の中に入るのには、数段高くなった入口の石段を上り、更に外部からの雨水や土砂を防ぐための高梁を跨いで入らなければならない。

遺跡の内部は、さほど涼しさは感じられず、ちょっとした博物館のようになっており、このミーソン聖域から発掘された様々な遺物が展示されている。

この彫像はヒンズー教の神の一人である、シバ神を表したもののようである。

沢山の手を持つシバが、様々な災難や悪霊をこの手で追い払っている姿であろうか。

彼の両脇では、シバ神を敬う弟子達が、畏敬の念を抱きながら、手を合わせている姿を見ることが出来る。
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「太古の踊り②」
<<ベトナム>>--ミーソン--


ミーソン遺跡の入口脇で踊られている王宮舞踊その2。

踊りの最後は、女性4名、男性3名での乱舞となるが、全員の踊りを撮るのは難しい。

舞台の背景には、美しき山を意味する、ミーソンの山の巨大な写真が映し出されている。

この山の形が、何かの動物の頭に似ていると説明があったが、それが何であったか忘れてしまった。

踊りの最後は、男性が女性を片手で高々と担ぎ上げるのだが、そのシーンはビデオで撮ったが、写真では撮り損なってしまった。
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「太古の踊り」
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ミーソン遺跡の入口脇で踊られている民族舞踊。

恐らく12世紀に栄えたチャンバ王国の王宮では、こんな踊りが踊られていたであろうと思われる、ヒンズー教の踊りを再現したものである。

女性の衣装はまだ良いとして、男性の被り物と衣装は、何とも言えない妙な感じがする。

いっその事、腰巻だけのハワイアンスタイルの方が、まだ男性の逞しさが表現出来るのではないかと思われるが、それはこちらの主観である。

ちょっとエロチックな、こんな踊りの方が、太古のヒンズー教の踊りとしては、適当なのかもしれない。

怪しげな赤い照明も、この場の雰囲気を盛り上げているようである。
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「廃墟の館」
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遺跡の一つを正面から撮った光景。

中央に入り口が有り、その両脇に嘗ては左右2態づつ、計4態の仏像がこの館を守っていたようである。

今はその後も定かでは無いが、微かにその形跡を見て取る事が出来る。

きっと、これだけのレンガを積み上げて造った館なので、中はかなり涼しかった事であろう。

つい毎日こう暑いと、いにしえの館に住む先人達は、果たしてどんな生活をしていたのかと、気になってしまうのである。

水や火を確保するのにも、さぞ大変だった事であろう。

現在より数百年後に生きる人々は、我々の使用したメディアにより、現在の生活がどんなものであったかを、人類が滅亡しない限り、将来知ることが出来るであろう。
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「遺跡の中」
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朽ち果てた遺跡の中から、窓越しに外の光を撮った。

石で作られた館の中は、多少涼しいが、かび臭さが充満している。

窓の格子や石壁には、無数のカビが蔓延っている。

白かび、青かび、赤かび、黒かびなどだが、黒かびが一番古いカビであり、これが蔓延すると、石と言えども崩れ落ちるほどの強力さが有ると、カンボジアの遺跡群を訪れた時に聞いたことがある。

同じカビでも、様々な種類が有り、年代により異なると言うから、興味深い。

それにしても、嘗ての王宮の生活は、現代から見ると、さぞかし暮らし難くかったと、思わざるを得ないのである。
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「顔の無い仏像」
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朽ち果てた遺跡の入り口脇に鎮座する顔の無い仏像の姿。

この仏像の顔は、一体何処に行ったのであろうか。

いつの世にも、こうした先人の遺物を、剥ぎ取ったり、宗教間の争いで、異教徒が破壊したりする事の絶えないのは、残念な事である。

この顔の無い仏像を見た時、何故だか「千と千尋の神隠し」のアニメ映画に出てくる、「顔無し」を思い出したのである。

男性とも女性とも分からぬこの仏像の顔が、何故剥ぎ取られているのかを、ガイド氏は説明しなかったし、私も聞こうとしなかったのである。
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「苔むす館」
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夏草や苔に覆われた、嘗ての王宮館であった、ミーソンノ朽ち果てた遺跡。

どんなに立派な建築物でも、数百年を経て王族が滅亡し、人が住まなくなると廃墟と化す。

様々な遺跡に遭遇する度に、私はタイムスリップして、当時の世界がどんな風であったかを推測してみる事がある。

そして今の世界が、人類にとってどんなに快適な世界なのかを、有難く感謝するのである。

さてこれから数百年後は、果たしてどんな人類社会になっているのであろうか。

日進月歩で半年前まで、二つ折りの携帯が主流であったのが、スマホやタブレット端末の出現で、通信機器類の進化が著しい昨今である。

とても数百年後の世界など想像出来ないが、出来ればタイムスリップして、覗いてみたいものである。
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「記念撮影」
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ミーソン遺跡の前で、現地ガイド氏に撮って貰った我々3人の記念写真。

撮ってくれた写真を見て、あれっと思い、その後思わず噴出してしまった。

矢張りベトナム人のガイドにとっては、我々旅行者を主体に撮るよりは、ベトナムの誇る世界遺産の遺跡を中心に撮りたいのであろう。

撮られた写真のモニターを見て、一瞬3人が写っていないと思ったが、下の方に申し訳程度に写っていたのには笑えた。

これはこれで、遺跡の巨大さが分かって良しとしようと、話し合ったのである。
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「聖域入口」
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ミーソン遺跡の点在する、聖域の入り口の光景。

この看板地図によると、此処の遺跡を一巡するには、かなりの歩行を必要とするらしい。

現地ガイド氏に、此処を全て見て廻るのかと聞いたら、暑いからメインの所だけにしましょうかとの事で、ほっとしたのであった。

考古学に興味のある人なら、此処だけに一日を費やしても良い所だろうが、凡人の私には、一通り遺跡を見れば結構と言ったところが本音である。

この遺跡を巡り歩くのは、丁度今の日本の猛暑日の中を歩くのと同じ状況であった。
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「夏草や」
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この光景を見た時、松尾芭蕉の「夏草や、つわものどもが、夢の跡」の句が思い出された。

廃墟の館の先には、夏草の先に、朽ち果てた小館の跡が有った。

此処にはリンガ(女陰)の遺跡が置かれていると言う。

それは石で象られた女性器の遺跡であり、ヒンズー教の教えに従って象られた生命の源なのだと言う。

太古の昔から、人類が滅亡せずに現代まで存続しているのは、こうした自然崇拝信仰にも、起因しているようにも思えるのである。
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「草生す廃墟」
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1400年前の遺跡と言えば、このように廃墟に近い形になるのは当然であろう。

7世紀頃に栄えたこの地は、一体どのような建造物が林立していたのであろうか。

赤レンガを積み重ねた、森林の中に埋もれたこの館は、一体どんな人間が活用していたのだろうか。

当時の生活は知る由も無いが、このような立派な館が、現在に至るまで存在している事自体が驚きである。

それは太古の昔から、此処に王国が有った証であるし、そして此処に生活していた先人達が存在した名残りなのである。
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「ミーソンダンス」
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アプサラダンスに似ているが、踊り手が半裸なので、ミーソン独特のダンスと言えようか。

さしあたり、チャンバ王国の王様と王女と言う所だろうか。

2人とも、頭には立派な冠を被っているが、衣服らしき物を纏っていないのは、暑い国だからであろうか。

何ともエロチックな踊りではあるが、男性のこの姿はちょっといただけないなと感じたのであった。
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「美しき山」
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文字通り此処の地名を、ミーソン(美しき山)と名付けられた由来の山。

7~14世紀に栄えたチャンバ王国が支配したこの地は、この山の麓に街が存在した。

今は大小70以上の遺跡が存在するだけであるが、インド・ヒンズー教の影響を受けた建築様式や、シバ神を祀った石像群やリンがは、今でも存在し見学する事が出来る。

遺跡の中の一室が、様々の遺跡の展示室にもなっており、自由に見学する事が出来る。
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「木陰の中を」
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バスの停留所から、森を抜けてミーソン聖域に向かうツアーメンバー達。

遺跡群の有る聖域までは、かなりの道程が有る。

幸い木陰の中の小道を、森林浴をしながら汗を掻き掻き歩き続ける。

向かって左端のカメラを構えながら歩く男性は、私の旅友の一人である。

こうして旅の様子をビデオやカメラに収めて、帰国後にそれらを持ち寄って、旅談義をするのがまた楽しみなのである。
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「到着」
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順序が逆になってしまったが、ミーソン聖域に着いた時のスナップ。

実際に遺跡群の有る所へは、バスが入ることが出来ず、かなり手前の休憩所に停車し、そこから森の中を暫く歩いて行かなければならない。

この時は10月半ばとは言え、常夏の国ベトナムの昼間は、雨季と言う事もあり、晴れていてもかなり蒸し暑い。

快適なエアコンの効いたバスを降りると、周囲の暑さがむっとして、暑さの中を歩くのが億劫になる。

それにしても日本の旅行会社は大したものである、このバスは我々が乗ってきたものだが、現地でもこのような大型バスを使用しており、車体に書かれたロゴは、良い宣伝になるのではないだろうか。
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「アトラクション③」
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頭の上に壷を載せて、神に祈る姿をする踊り子達。

若い女性が、頭の上に壷を載せて水汲みをする姿は、ベトナムに限らず、東南アジアでは良く見掛ける光景であろう。

彼女達の踊りには、ハワイのフラダンスと同じで、一つ一つの動作に意味が有るのであろう。

今まで様々な形で、ベトナム女性の姿を載せてきたが、何か感ずる事はないだろうか。

私はベトナムに行く前から、テレビなどで紹介されるベトナム女性の顔かたちが、実に日本女性と良く似ているということである。

どちらかと言うと、細面の顔より、丸ポチャのふっくりした顔立ちの女性が多いのである、しかも背の高さも、日本女性と同じくらいではないだろうか。
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「アトラクション②」
<<ベトナム>>--ミーソン--


鉦や太鼓に合わせて、静々と踊る優雅な踊り子の姿。

舞台の背景には、ミーソンの名の如く、この近くの聖なる美しき山の姿や遺跡群が、描かれている。

このアトラクションを見るために、陣取った場所が後ろの方だったので、どうしても最前列に座っている観光客の頭が画面に入ってしまい、それを避けるために、撮影に苦労したものである。

踊りは優雅な踊りから、次第に激しい踊りへと変って行き、最後にはヒンズー教の女神のように、半裸となって艶かしい踊りを披露するのだ。

インドに端を発したヒンズー教は、男女の自然な悦楽の場面が多く見られるのが、キリスト教や、仏教と違う所だろう。

自然崇拝が中心のヒンズー教には、唯一神は存在しないのである。
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