2008年10月の記事


「川越祭り⑫」
<<日本>>--川越--


県の重要文化財に指定されている蕎麦屋の店先。

この店の主と私は知り合いである。

彼は貿易商社に勤めていたが、脱サラをしてこの店を買い取り、蕎麦屋を始めたのだ。

退社後、東北の手打ち蕎麦屋で修行を積んで、川越でこの店を開業し、11年経った。

市役所前にあるこの店は、大正時代の銅版葺きの建築物として、重文になってしまい、建替える事が出来ないとこぼしていたが、それが今では逆に評判を呼んでいるようである。

世の中、何が幸せを呼ぶか分からないとは、この事だろう。

しかし8年前にこの店を訪れた時から見ると、随分あちこちが痛んできたようであるが、これからどうするのだろう。
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「川越祭り⑪」
<<日本>>--川越--


小さな山車の先導者達の姿。

この日ばかりは普通の街の少女たちも晴れ舞台である。

アマチュアカメラマン達が、彼女らを撮ろうと行列の前に立ちはだかる。

中にはお目当ての稚児さんの前でポーズを要求する、行き過ぎたカメラマンも居るから困ったものである。
それでも彼女たちも、親御さんも晴れがましい気持ちで、応じるのが祭りだろう。

逆光だったので、日中シンクロを炊いて彼女たちの姿が、シルエットにならないように撮影した。
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「川越祭り⑩」
<<日本>>--川越--


これから市内引き回しの準備に向かう山車の光景。

私が市内に着いたのは、まだ山車の巡行前であった。

まだ人通りもまばらな横道を、祭り関係者に押されながら、山車がやって来た。

山車の後ろには、江戸時代に建てられた「時の鐘」が聳えている。
この鐘は今でも一時間毎に時を告げている。

数年前までは、鐘楼を守る人が櫓に登り鐘を突いていたが、今では電動式で鐘棒を突いているのだ。

これも時代の流れで止むを得ない事であろう。
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「川越祭り⑨」
<<日本>>--川越--


斎姫の輿を担ぐ、外人の若者の力行振り。

一生懸命輿を曳くこの若者の姿をアップで狙ってみた。

腰の上の斎姫に扮した女性と、背景の山車の人形が揃った所でシャッターを切った。
山車の上の人形は牛若丸である。

舌をちょっと出した若者の顔が、真剣にこの役割をこなしている事が伺えて、面白い。
この彼の出で立ちに、あまり違和感が感じられないのが不思議である。

世の中は正に国際化時代、彼にこの時の感想を聞けなかったのが残念である。
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「川越祭り⑧」
<<日本>>--川越--


栗毛の馬に跨る氷川神社の宮司の勇姿。

この時ばかりは、祭の主役である山車も行列の妨げにならぬよう、脇に避けて対峙している。

神社の宮司がこの人で、意外と若いのを始めて知った。

最近は宮司も馬に乗れなければ、勤まらないと言った所であろうか。
宮司に大きな天傘を掲げるのも、屈強な外人のようである。

嘗て戦国時代の覇者、織田信長も西洋の甲冑を着て、天傘を黒人に掲げさせた事を彷彿とさせた。

重そうな幟旗を持って行進する神官も、若くなくては勤まらないであろう。

この長い行進は、市内を一巡して神社に戻るのだから、かなりの重労働である事だろう。
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「川越祭り⑦」
<<日本>>--川越--


斎姫の輿を担ぐ二人の外人の姿。

斎姫(いつきひめ)は平安時代の物語の藤原道長の妃である。
しかし自らを神の子と称し、年老いた陰陽師、阿部晴明を翻弄する。

それにしても、日本古来の伝説の姫の輿を、欧米人の若者が担ぐのだから世の中は変わったものである。

彼等の前に出て、写真を撮るよと言ったら、二人がこちらに目線をくれた。

彼等を祭のメンバーに加えた氷川神社も、粋な計らいをするものだと感心した。
二人にとっても、日本の良い思い出になることだろう。

こんな国際交流なら大いに結構と言った所だろうか。
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「川越祭り⑥」
<<日本>>--川越--


次は白い神馬の登場である。

男女二人の神主に曳かれてやってきた。

昔から神馬というと、白馬に決まっているようだが、何か謂れが有るのだろうか。

それにしても随分長い手綱のようだが、この手綱は通常はどんな風に使うのだろう。

矢張り神馬と言われるだけに、馬の表情もおとなしそうで気品がある。

後ろからは栗毛の駒に跨った、氷川神社の宮司がやって来るようである。
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「川越祭り⑤」
<<日本>>--川越--


神主さんを先頭に神輿がやって来た。

矢張り神官だけあって、歩く姿も神妙である。

尺を持ち、うつむき加減に歩くのも、日頃の習慣なのであろうか。

超重量級の二基の神輿にはそれぞれ名前が付いているようである。

前に行くのは「彦神」と付いているが、後ろは何なんだろう。

こんな巨大な神輿をこれだけの少人数の神官たちで、担げるのかと思ったら、車の付いた台車の上に乗せて、引っ張っているのであった。
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「川越祭り④」
<<日本>>--川越--


これも神社の三種の神器の一つであろうか。

うやうやしく担ぐ箱の中には一体何が入っているのだろう。

その後に続くのは神主さんに巫女さん。

更にその後には、超重量級の神輿である。

全てこれらは、古くから氷川神社が所有する名品で、日頃は見ることが出来ない品々である。

年に一回のお披露目と言う所であろうか。
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「川越祭り③」
<<日本>>--川越--


次にやって来たのは、つがいの獅子頭である。

この獅子頭も歴史が古く、価値が有るもののようである。

本来はこの男衆が前足、後足になって獅子舞をするのだが、行進の際にはご披露のみである。

道端で見学する女の子に、口を開いて挨拶するのも、ご愛嬌である。

更に後には、笙などで雅楽を奏でる演奏者が続くが、彼等は皆氷川神社の神官であり、神社の祭礼や神前結婚などで雅楽を奏でる面々である。

日頃は神社内でのみ活躍する彼等も、この時ばかりは晴れ舞台と言ったところだろうか。
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「川越祭り②」
<<日本>>--川越--


氷川神社の例大祭の行列は次々と続く。

三種の神器を担ぐ後には天狗が来るが、面白いのは去年までは一本歯の高下駄を履いていたのに、今年は二本歯である。

爺の流れで、矢張り一本歯では、市中を行進するのに疲れるからであろうか。

川越祭りは、360年前江戸時代徳川幕府の北の守りとして、川越城に松平伊豆守が城主となった時に、幕府の安全祈願を願って催行されたとされる。

天狗の後には、つがいの獅子の頭や、笙などで雅楽を奏でる演奏者が続く。

この雅楽の音色は、日本人なら誰でも心に沁みる優雅な調べではないのだろうか。
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「川越祭り」
<<日本>>--川越--


昨日と今日は、年に一度の川越祭りの日である。

インド特集の途中だが、我が故郷川越の例大祭の模様を暫く載せてみたい。

市内に29台有る山車が主体のように思えるこの祭りは、本来は川越氷川神社の例大祭が起源である。

江戸時代、徳川幕府の北の守りとして川越城に松平伊豆守が城主となった時に、幕府の安全祈願を願って催行されたとされる。

今年はこの祭りの最初に行われる、360年の歴史を持つ氷川祭の行列に焦点を当ててみた。

午後1時に、この行列は此処氷川神社の山門をスタートした。

打ち鳴らす太鼓の音と、雅楽の演奏によって始まった行列は、まるで時代絵巻のようであり、京都の葵祭を思わせる。

毎年この時期、この祭りの模様をページに載せ始めて何年になるだろうか。
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「狭いながらも」
<<インド>>--ヴァラナシ(ベナレス)--


ヴァラナシの街に到着し、ホテルに向かう途中の光景。

再び地上の人となった我々の眼前には、デリーとは違う光景が待ち構えていた。

子供を抱いた鮮やかなサリーの女性、その前には、これが家なのかと思う四畳半一間のような家の中で寛ぐ男性の姿があった。

戦後の日本の、焼け野原に建ったあばら家も、これほどではなかったような気がする。

しかし、この家に住む男性にとっては、狭いながらも楽しい我が家、と言った所なのだろうか。

インド第三の規模を誇る、ガンジス川の聖地が有るこのヴァラナシの街は、一段と貧しさを増した感が有るのを否めなかった。
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「離陸②」
<<インド>>--デリー--


眼下に広がるデリーの街並みの光景。

飛行機はまだ上昇中だが、あっと言う間にデリーの上空に差し掛かった。

我々が宿泊したホテルから、インディラ・ガンジー国際空港までは、車で1時間くらいだったから、ジェット機ではほんの数分である。

矢張り流石に大都会だけあって、住宅が密集している。

しかし、ニューヨークのような摩天楼の林立は無く、高層ビルが少ないのが特徴だろう。

それに道路はあまり広くないが、日本の獣道のようにくねくねと曲がりくねった道が少ない。
と言う事は、先に道路が出来て、後から建物が建ったと言う事だろうか。

こうして機上から、各国の都市の状況を比較するのも、興味深いものである。
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「離陸」
<<インド>>--デリー--


インディラ・ガンジー国際空港を飛び立った時の地上の光景。

日本の成田と同じで、空港の有る場所はやはり郊外で、周辺には田畑が多く家はまばらである。

私は離陸した直後が一番感動する。

こんな大きな鉄の塊である機体が、空に舞い上がるのだから、人間の頭脳の偉大さを感じるからだ。

矢張り上から見ても、インドの地上の光景は日本の光景と違い、レンガ造りの家が大半だから、茶色い建物が多いことに気付く。

それに道路も舗装されていない道が多いから、何となく埃っぽい感じがする。

次はデリーの市街地の光景を載せて見たいと思う。
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「機上からの光景」
<<インド>>--デリー--


飛行機の窓から見る空港の光景である。

キングフィッシャーと言う国内線旅客機は、インドではかなり幅を利かせている企業のようで、ビールの名前も、ほとんどがキングフィッシャーである。

TATA社同様、インド国内の大企業の一つなのであろう。

空港内の施設の有る所に紅白幕が張られているのは、この日此処で何かの祭典が有るからなのであろうか。

日本でもおなじみの紅白幕に、ちょっと懐かしさを憶えたが、これは万国共通なのかなという、妙な疑問が湧いた。

それにしてもこの施設、屋根が無いように見えるのが、不思議であった。
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「搭乗」
<<インド>>--デリー--


国内線の旅客機に乗り込む我々一行や乗客の光景。

国内線だから、さぞかし小さくておんぼろな飛行機だろうと想像していたが、意外に綺麗なジェット機だった。

ヴァラナシまで僅か1時間ちょっとのフライトだから、サービスも無いかと思ったが、ちょっとしたジュースやスナックが出た。

サリーを着たフライトアテンダントの容姿が郷土色を醸していた。

アメリカなどの国内線は、何かを注文すると、全て有料だが、インドではかなり乗客サービスに力を入れているようであった。

向かう先のヴァラナシは、ガンジス川の沐浴で有名な、インド第三の都市である。
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「チェックインカウンターの人」
<<インド>>--デリー--


インド国内線の搭乗手続きをしてくれた女性。

何とも可愛らしく素敵な笑顔である。

早速彼女の許可を得て一枚撮らせてもらった。

こんな所で、写真を撮る人は恐らく居ないのではないかと思うが、彼女は嫌な顔一つせず、にこやかにカメラに応じてくれた。

空港の登場窓口に居る受付嬢や、フライトアテンダントの女性は、その航空会社の顔だから、眉目秀麗な女性が多いのだろうが、彼女は白い制服が実に良く似合う素敵な女性であった。

こうした美女に会えるのも、旅の楽しみの一つである。

(謹告)
ネットで長年お付き合いさせて頂いた、ネフレの一人がまた逝去された。
高齢にも拘らず、ウイットに富み、女性好きだった彼のために、この写真をもう一日載せる事にする。
一度はバリ島にでも行って見たいと言っていた方だったが、実現せずに終わってしまった。
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「搭乗を待つ人々②」
<<インド>>--デリー--


空港内の待合室は比較的空いていた。

何時もこんな具合なのだろうか。

日本の空港と違って、どうやら椅子は移動出来る物のようである。
乗客の多少で、配置を換えるのだろうか。

トム・ハンクス主演の映画「ターミナル」に出てくるニューヨークのケネディ空港も、移動可能な椅子であった。

その点、固定式の分厚い椅子を使用している日本の国際線の空港は、何処も立派だなと、改めて感じたものである。

インド女性は老若にかかわらず、派手なサリーを着ることがお分かりいただけると思う。
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「アラムさんと」
<<インド>>--デリー--


搭乗を待つ間に撮ったガイドのアラムさんとの記念写真。

ちょっと強面の彼は、実にてきぱきと物事をこなす、優秀な現地ガイドである。

彼の正式名は、ザヒール・アラームと言うが、警報のアラームと憶えてくれれば良いと言っていた。
更に我々はアラムさんと短縮して呼んだが、彼は大学出で来日暦もある親日派である。

面白いのは、嘗て日本の中古車連合会のトップと、インドに日本の中古車を輸入して販売しようと話を進めたが、インド政府が海外からの中古車輸入を許可せず、破談になってしまったとの事であった。

どうやら、彼はガイドだけで終わろうとしない、野心家のようである。
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「搭乗を待つ人々」
<<インド>>--デリー--


空港内の待合室の様子である。

インド女性のサリー姿の鮮やかさは、何処でもひときわ目を引く。

搭乗口のチェックは特に厳しい。
航空会社の従業員だけでなく、警官がチェックしているのだ。

私はジャケット内部の金物を全てトレーに出したが、ついうっかり、ごくスリムなシャープペンシルを出すのを忘れてしまい、ボディチェックで引っ掛かってしまった。

本当にシャープペンシルなのか、書いてみろと言われたが、何とそんな時に限って、芯が内部で折れてしまったようで、ノックを押しても芯が出てこない。

挙句の果てに、シャープペンをばらばらに分解して、やっと無罪放免になった次第。

しかしテロ事件が多発しているインドでは、これくらいの細かいチェックが、乗客の安全を守る上で必要なのだろう。

私をチェックした若い警官は、手間を取らせてしまってすまなかったと、丁寧に挨拶をしてくれたのだった。
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「旅仲間」
<<インド>>--デリー--


インディラ・ガンジー国際空港で、搭乗時間の来るのを待つ我等3人。

今回のインド旅行の参加者はこの3人であった。

いつもの旅行仲間は5人であるが、その時の都合で参加不参加は自由にしている。

こうして1年に最低1回は海外研修をしようという、気の合う仲間が居て、ずっと続いているのは有難い事である。

ご覧のように、我々3人の服装もばらばら。
私は移動時間の時だけは、ジャケットを着ることにしている。

財布やパスポート、手帳や搭乗券など、大切な物を全て身に着ける事が出来るからだ。

現地に着いたら、ジャケットはホテルの部屋に置いて、大切な物は全て膝の上のベネトンのショルダー・バックに収納する。

このバックは優れものて゜、ビデオカメラ、デジカメ、バッテリーパックやビデオテープ、傘やペットボトルまで、個別に収納出来、ワンタッチで取り出せるようになっている。

今まで幾多の海外旅行で、活躍した優れ物であり、これも私には欠かす事の出来ない旅仲間である。
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「フライトを待つ人」
<<インド>>--デリー--


インディラ・ガンジー国際空港内でのスナップ。

若くて綺麗な女性たちの穿いているパンツに目が行った。

どうやら彼女たちは欧米系の女性のようだが、このモンペのようなパンツは流行なのだろうか。

暑い国の服装は軽装なので、荷物も少なくて済むから有り難いものである。
それにしても、空港でサンダル履きとは何とも気楽なものである。

様々な国の人々が、一堂に会して、出発を待つ光景は、実に興味深いものである。

後ろの方には、空港内にも、機関銃を持った警官が居るが、テロを警戒しての配備のようで、あちこちで目を光らせているのが気になった。

周りに日本人らしき人が居るかと思って見渡したが、見当たらなかった。
インドはまだ日本からの旅行先としては、マイナーなようである。
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「インド国際空港」
<<インド>>--デリー--


正式名称をインディラ・ガンジー国際空港という。

嘗て人民のために活躍した、インドの女性大統領の名を記念して、この名が付けられたと言う。

デリーの朝の喧騒を抜けて、やっと空港に到着した。
此処からドメスティク(国内便)でガンジス川のあるヴァラナシ(ベナレス)に向かうのだ。

これが昨日の夕、インドに着いてまだ2日目の朝である。
ヴァラナシまでの飛行時間は、僅か一時間である。

流石にインドと言えども、世界の人々が行き来する空港は綺麗である。

しかし最近多発するテロ事件のために、空港の中に入るにも、厳重な見張りが居て、パスポートと航空チケットの提示が求められるのである。

暫くは空港の中の様子を、載せて見たいと思う。
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「祭りの会場」
<<インド>>--デリー--


フェスティバルをやっている会場の光景。

アラムさんの話だと、此処で何かのお祭りをやっているとの事であった。
面白いのはこの建物である。

一見堂々とした建築物のようだが、実は張りぼてなのである。

映画の撮影所のセットのように、裏側には何も無く、たくさんの支柱でこのセットを支えているのだ。

それにしても実に良く出来たセットだと、感心したものである。
何も言われなければ、最近出来たインド風建築物と言われても、表から見る限り、気付かないであろう。

なるほど通り過ぎてこの建物を横から見たら、たくさんの支柱が確認出来た。
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「鈴なり」
<<インド>>--デリー--


このオート・リキシャ(タクシー)には何と9人が乗車している。

大男のインド人が9人も乗るのだから驚きである。
これで乗車違反にならないのだから、何事も大雑把な如何にもインドらしい光景である。

正に車体に書かれた、マジックそのものである。

このリキシャはまだ新しいから、今でもこの小回りの効くタクシーは、どんどん生産されているのだろう。

果たして日本製なのか、それとも国産のTATA社製なのか、確認するのを忘れてしまった。

アラムさんの話だと、11人くらいはこんな小さな車に乗ると言うから極めて効率的で、経済的である。
ただし、我々から見ると危険と隣り合わせのような気がする。
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「オート力車(リキシャ)」
<<インド>>--デリー--


何とも可愛らしい、愛すべき乗り物である。

オートリキシャはそのまま、インドで通じるインド語だ。
日本の人力車に語源を発し、ジンリキシャとオートリキシャの愛称はインドで定着したのだ。

これがもっとも代表的な、インドのタクシーだから愉快だ。

勿論メーターなど無いから、全て値段は直談判である。

日本の一般的なバイクと同じ位の250ccの排気量という小さなエンジンだ。
この三輪車に座席が何と、7人分付いているから驚きである。

だから運転手も入れて、8人は乗れると言う事だ。 事実我々がファテープル・シークリー城に向かう時には、我々5人が乗ったものだが、お世辞にも狭くて窮屈で、乗り心地が良いとは言えなかった。

それでも結構なスピードで走るから恐ろしい。
そういえば、インドの道路には、スピード制限を示す標識が無かったような気がする。
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「仕事場へ」
<<インド>>--デリー--


朝の仕事場へ出発する労働者のたまり場の光景。

この男達は、トラックの荷台に乗って、作業場へ向かうようである。

此処には臨時の床屋まで出店しているようで、髪をカットしてもらっている姿まで写っている。
タオルを持ってこちらを見ているのは、床屋の一人だろうか。

車から降りようとしているサリーの女性は、一体誰なのだろう。

デリーでは、見慣れた朝の光景なのであろうが、始めてこの光景を見る私の目には、興味深いものであった。
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「積乱雲」
<<インド>>--デリー上空--


高度を下げ始めた目の前に現われた雄大な雲の眺め。

間もなく飛行機はデリーへの着陸態勢に入るので、座席ベルトをお閉めください、と言うアナウンスが入った。

高度は巡行高度の12000メートルから、8000メートルまで下がってきた。
此処まで来ると、今まで眼下に見えた積乱雲も真横に見えてくる。

それにしても、ふわふわとまるで綿菓子のようで、思わず手ですくいたくなるような光景だ。

この積乱雲の中に飛行機が入ると、様相は一変し、飛行機はがたがたと揺れ、上下動を繰り返すが、上手く雲を避け、飛行しているのが伺える。

いよいよ未知への国への到着だ。

これからどんな旅が始まるのだろうかと、わくわくしながら、窓外のこの雄大な景観に見入っているのだった。
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「飛行経路」
<<インド>>--デリー--


座席の前に据えられたテレビ画面に映し出された、飛行経路図。

話は前後するが、最近の航空機には、座席前部に、このようなテレビ画面が設置されているものが多い。

座席の肘掛に埋め込まれたリモコンを引っ張り出して、それを操作する事で、映画やニュース、音楽など様々な番組を楽しむ事が出来る。

私は今どの辺を飛行しているのかを、モニターで時々眺める。
この他にも飛行高度、外気温、飛行速度、現地時間、到着予定時間、現地の温度や天候が表示される。

今回の旅行では、飛行時間が極力少ない場所で、異文化体験の出来る所としてインドを選んだが、それでも8.5時間は掛かる。
これで見ると、中国、グァム、マニラ、バンコク、ベトナムなどが、如何に近いかが分かる。

太平洋で無い、インド洋に位置するインドは矢張りちょっと遠い。
オーストラリアと同じ飛行時間であろうか。
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