2006年10月の記事


「車窓から�A」
--コンヤ--


ひた走るバスの車窓から眺める雄大な光景。

石灰棚のパムッカレから遺跡の町コンヤまでは5.5時間の道程である。
途中休憩所でのトイレタイムの他は、バスは片側一斜線の道路をかなりのスピードで飛ばす。

道は段々と高所に差し掛かり、雄大な光景が現れるようになった。
まだこの辺はなだらかな山間で、比較的平地の部分には畑が開けている。

しかし人里離れたこんな山間の土地を耕すのは大変な労力を要するのではないかと、この景色を見ながら思ったものだ。

日本と同じ農業国であるトルコは、至る所に田畑が点在するが、不思議と農作業に従事する農夫を見掛けなかったのは何故だろうかと、不思議に思ったものである。
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「遥かな道」
--コンヤ--


「遥かな道」

ひた走るバスの車窓から眺める果てしない遥かな道の光景。

石灰棚のパムッカレから遺跡の町コンヤまでは5.5時間の道程である。
途中休憩所でのトイレタイムの他は、バスは片側一斜線の道路を100キロ以上のスピードで飛ばす。

遥か彼方に、街らしい光景が現れた所で、この写真は撮った。
きっとこんな場所で先日のトルコバスツアーの横転事故は起きたのだろう。

雨中の夜間高速走行では、単純な一本道だけに、急ブレーキを掛ければスリップは免れないだろう。

こんな道でも所々に悪路が有ったり、道の脇に馬車が停まっていたりする。
我々の乗っていたバスも、晴天の昼間走行ではあったが、はらはらする場面が何度か有った。
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「白い大地�B」
--パムッカレ--


パムッカレの石灰棚の見学を終えて、帰路に付いた時の光景。

先日のNHK「探検ロマン世界遺産」でも紹介されたこのユネスコ世界遺産は、数千年に亘り流れ続けた鉱泉が作り上げた鍾乳洞の兄弟とも言える天然の芸術作品だ。

パムッカレとは「綿の城」と言う意味だが、文字通り真っ白い炭酸カルシウムの塊が、城壁のように盛り上がり、朝な夕なに幻想的な光景を作り出している。

この壮大な自然が作り出した景観を目の当たりに見る事の出来た事は、何物にも替え難い貴重な体験であった。
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「白い大地」
--パムッカレ--


眩いばかりの白一色の石灰岩の光景である。

先日のNHK「探検ロマン世界遺産」でも紹介されたこのユネスコ世界遺産は、数千年に亘り流れ続けた鉱泉が作り上げた鍾乳洞の兄弟とも言える天然の芸術作品だ。

パムッカレとは「綿の城」と言う意味だが、文字通り真っ白い炭酸カルシウムの塊が、城壁のように盛り上がり、朝な夕なに幻想的な光景を作り出している。

私は裸足で此処の光景の中に足を踏み出した時、余りの眩しさに複視症状は極限に達し、足元をふらつかせながら、辛うじて滑る足を注意して歩いたものだが、照り返す太陽で汗が吹き出るのを押さえようがなかった。

今にして思えば、このトルコ旅行を通じて最大の危機状態であったように思える。

しかしこの壮大な自然が作り出した景観を目の当たりに見る事の出来た事は、何物にも替え難い貴重な体験であった事に違いは無い。
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「ローマ門」(ドミティアヌス門)
--ヒエラポリス--


ローマ時代の古代遺跡ヒエラポリスの入口に位置するローマ門の景観。

先日のNHK探検ロマン世界遺産でも紹介された、紀元一世紀に造られた堂々たるアーチ型の守衛門である。

古代ローマ全盛時代、この門の反対側に広がるアルカディア通り(今で言う歩行者天国)の北を守る門として、当時の元老院副議長フロンティニウスが、ローマ皇帝ドミティアヌスのために建設したものである。

美しい3つのアーチ部分と力強い円筒形の塔が印象的であったが、大理石の塔は左側の一部を残すのみで、地震で倒壊してしまった。

ローマ人たちの理想郷として栄えたこのヒエラポリスの都市は、近くに石灰棚のパムッカレや、大温泉浴場を有する、一大遊興都市であったが、大地震と共に滅亡した。

何時の世も、人間は自然の猛威には逆らう事が出来ないのであろうか。
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