2016年11月の記事


「可愛い山伏さん」
<<日本>>--川越--


28人居る山伏の中に混じって、2人の少女が山伏に扮して参加していた。

彼女達は、大僧正に従って彼を補佐しているのである。

更に火渡り式が開始されて、一般人が火渡りを終了するまでの約2時間、ずっと彼女達に与えられた役割をこなすのである。

樹木に火が点火されるまでの間、様々な山伏達が行う儀式をサポートし、その後火渡りが開始され一般人が火渡りを終了すると、記念品を渡す役目まで担当している。

火渡りを終えた一般人に、一人一人丁寧に規則正しくお辞儀をして記念品を渡す姿に、今の若者にはもっとも必要な礼儀正しいマナーを見た様な思いがして、感心したのであった。

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「大僧正」
<<日本>>--川越--


山伏の中では、一番格上と思われる大僧正の姿。

我々は山伏達や、一般の火渡り儀式に参加する観客が入場する、入り口の前に陣取っていた。

そんな訳で、目の前で境内に入場する山伏達の姿を、目の前で見ることが出来た。

どうやらこの大僧正の指揮の元に、様々な儀式が行われるようである。

私はこの川越成田山別院のある場所の直ぐ近くに実家が有る事から、良く此処へは訪れていた。

毎月28日に境内で行われる蚤の市も、何度か見学に来ていた。

しかし、こんな火渡りの儀式が28年間も、毎年行われている事は知らなかった。

今回は、たまたまこんな催しが行われる事を知り、貴重な体験をする事が出来た。

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「火渡り儀式②」
<<日本>>--川越--


火渡り式開催前の、山伏による祭りの開始を告げる最初の儀式。

先ずは総勢28名の山伏達が、不動尊の本殿に安全祈願をし、境内を法螺貝を吹き鳴らしながら一巡し、所定の場所に居並んだ。

次に若い山伏が、ご覧のように境内に設置された祭壇に向かって、祭文を読み上げてそれを奉納した。

それを機に、これから様々な儀式が山伏達により披露されるのである。

先ず日本刀を持った山伏が、抜き身で積み上げられた樹木の四隅を、邪気を払うために空を切り裂き、後に奉剣の儀を行った。

最後に弓を持った山伏が、これも樹木の四隅に矢を射込み、呪文を唱えた。

いよいよこれから、火渡り式を行うために積み上げられた樹木に、点火をするのである。

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「火渡り儀式」
<<日本>>--川越--


川越不動尊で行われた火渡りの儀式の光景。

11月23日は、年に1回川越成田山別院で行われる、火渡り式の日である。

午後1時から行われるこの儀式を見るために、出掛けてみた。

今回で既に23年目と言う事であるが、この儀式を見るチャンスに恵まれたのは、今回が始めてであった。

山伏に扮した僧侶達が、法螺貝を吹きながら行うこの祭りは、火渡りを行うために積み上げられた樹木に点火するまでには、様々な儀式が催行され、実に興味深いものであった。

点火後は強い北風に煽られて、ご覧のような凄まじい火勢となり、とても熱く煙い思いをした。

まして風下で見学していた私達は、もろに火の粉を被ってしまい、首に軽いやけどをしたり、衣服に焼け焦げを作ったり散々であったが、これも何かのご利益が有ると思い、笑い飛ばしたのであった。

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「夜の池袋」
<<日本>>--池袋--


池袋駅東口付近の夜のビル街の光景。

旧友と飲み明かし、駅に向かう途中で酔眼で撮った一枚。

どうやら、酔った勢いで撮った光景だが、スローシャッターとは言え、ちょっと画像がブレているような感じである。

学生時代、このあたりは良くさ迷い歩いたものだが、当時とはすっかり街の様子も変り、ビル街に変貌してしまった。

しかし大手町などのオフィス・ビル街と、ビルの外観は変らぬものの、このビルに入居している企業は、かなり業種が異なるようである。

矢張り一流企業のビル群が立ち並ぶ大手町と、消費者相手の雑居ビルが多い池袋との違いが有るようである。

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「飲み屋街」
<<日本>>--池袋--


夜の池袋の裏通りに軒を連ねる飲み屋街の光景。

久々に学生時代の親友と池袋で落ち合い、飲み屋のハシゴをした。

共に80才を目前にして、最初は昼の1時に会って昼食を共にしようと言う事にしていた。

けれど食事をしながら一杯飲むにつれ、学生時代の雰囲気に戻ってしまい、何とそれから飲み屋を4軒もハシゴをしてしまった。

延々と7時間も、共にそれぞれ今まで歩んで来た、過去の栄光の道程や苦労話から、今後の世界情勢の予測まで、夜の8時まて話が尽きる事がなかった。

おざなりに相手に話を合わせるのでなく、本音で持論をぶつけ合う事の出来る相手だから、話が留まる事がないのである。

しかし最後には歩行もおぼつかなくなり、年を考えずに暴飲暴食をするのは体に良い筈がないと、翌朝になり反省仕切りであった。

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「黄金の小道」
<<日本>>--自宅付近--


黄金の色一色に彩られた秋爛漫の銀杏並木。

所用で家を出て、近くのスーパーまで出掛けたが、自宅近くの公園を横切る時、ご覧のような光景に出会い、慌てて持っていた携帯電話のカメラ機能でシャッターを押した。

カメラを取りに家まで戻ろうと思ったが、時間の制約も有り、この携帯映像で我慢した。

この児童公園が出来たのは、そんなに古くは無い。

従来の公団住宅が都市開発で、高層マンション郡が出現し、この公園もその時に生まれたものだが、当時植えられた銀杏の木々がこんな大木となり、見事な黄金色の銀杏並木が生まれたのである。

年年歳歳人が変わるのに連れて、自宅周辺の景色も見事に新しく生まれ変わった事に、感慨ひとしおであった。

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「菊花展」
<<日本>>--川越--


川越喜多院の境内で開催されている菊花展に行って見た。

新聞の地方版で11月末まで、菊花展が開催されている事を知り、秋日和の日にぶらりと鑑賞に行った。

見学は無料と言う事もあり、沢山の花を愛する人たちで賑わっていた。

会場の入り口では、ご覧のように綺麗な小菊たちが売られていたが、我が家にも毎年この時期自然に咲く菊があるので、買うことはしなかった。

植物は実に不思議で、何も手入れをしていなくても、この時期になると花を咲かせるから、植物の季節のサイクルには驚かされる。

うっかりして根本から雑草と一緒に、除草してしまわないように、気を付けなければいけないだろう。

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「所沢神明社」
<<日本>>--所沢--


人形供養してくれる所沢神明社の全景。

この桧皮葺の屋根を持つ堂々たる本殿の様子に、初めて訪問して圧倒された。

長年家に飾られていた人形を、そのまま廃棄処分してしまうのは忍びなく、埼玉県で人形供養してくれる神社が無いかをネットで検索した。

結果は埼玉県では2つの神社だけが、人形供養をしてくれる事が分かった。

一つは人形の街、岩槻の岩槻大師であったが、電話で問い合わせると、神社内で人形供養のお炊き上げをするのではなく、岩槻公園で使い古した人形達を合同で炊き上げるのだと言う事で、場所も遠く二の足を踏んだ。

そして幸い、我が家からもあまり遠くない、所沢神明社が年に一度6月に人形供養の炊き上げ祭礼をしてくれるとの事で、此処を訪ねた次第である。

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「人形供養②」
<<日本>>--所沢--


使い古した人形を供養してくれる、所沢の人形供養殿の光景。

この人形供養殿は、所沢神明社の本殿前の石段を降りた左側に有った。

古い社である人形供養殿の中には、毎年6月に行われる大々的な人形お炊き上げの儀式をするまで、人形達が納められている社である。

我が家にずっと飾られた人形達を、社務所で提供された人型のお札と共に、この社殿の前の祭壇に納めて長年の感謝を込めて祈り、此処を後にした。

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「人形供養」
<<日本>>--所沢--


使い古した人形を供養する、人形供養殿の光景。

我が家の子供達が誕生した時から、ずっと共に部屋の中に飾られ、子供達の成長を見守ってくれた人形達を、供養してくれる神社を訪ねて納めてきた。

50年近く部屋に飾られていた人形達を、焼却ゴミとして処理をするのは忍びなく、ネット検索して我が家から近くの人形供養をしてくれる神社を検索し、人形達を車で持参した。

その神社では丁度七五三の時期であり、多忙を極めていたが、神官が丁寧に対応してくれた。

人型のお札を人形と共に供養殿に奉納し、子供達が無事成人し、それぞれが家庭を築いている事に感謝をし、手を合わせて祈りを奉げた。

来年6月には、この神社の境内で゛大々的に人形供養祭を行って、お炊き上げの儀式を催行するという。

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「去り行く山車」
<<日本>>--川越--


市役所前の出陣式を終えて、街に繰り出した山車の光景。

札の辻を過ぎ、蔵造りの街並みを行く山車を追って、観衆が後を付いて行く。

私も観衆の流れと共に、駐車している車に向かって帰宅の途に着くために、山車の後を歩いて行った。

川越祭りはこれからが本番なのに、女房とはぐれてしまった私は、第二の待ち合わせ場所である駐車場へと向かったのである。

しかし余りに混雑した人ごみのために、早く歩くことが出来ず、途中から横道にそれ、人通りの少ない勝手知ったる裏道へと歩を進めた。

これで今年の川越祭りも見納めだと思い、去り行く山車を横目で眺めながら、蔵造りの街を後にしたのであった。

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「いざ出陣」
<<日本>>--川越--


市役所前に勢揃いした山車が、それぞれの順路を目指して出発して行く光景。

川越市長の祭り開催の挨拶の後、10台の山車が1台ずつ徐々に市内引き回しを目指して曳かれていく。

山車を牽引するのは、それぞれの町内の祭り衣装を纏った子若衆から大人衆である。

午後3時頃から夜の9時まで、これらの山車は休むことなく市内を曳き回されるのである。

特に夜となると、山車にも灯が入り、町内の若衆たちが持つ提灯の明かりが輝き、祭りは一層の華やかさを増す。

23台の山車が街の随所で鉢合わせする毎に、曳っ交わせと称するそれぞれの山車の囃子と踊りの競演となり、若衆たちの歓声が響き渡り、祭りは最高調を迎えるのである。

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「勢揃い」
<<日本>>--川越--


市内引き回しの前に市役所前に勢揃いした山車の光景。

今年の川越祭りには、29台の市内各町が所有する山車の内、23台がが出場した。

この山車の内、10台が市役所前に勢揃いし、市長の川越祭り開催の挨拶の後、それぞれが決められた順路に沿って出陣となる。

手前の喜多町の俵藤太の人形が乗る秀郷の山車に続いて、次々と市内の引き回しに出走して行くのである。

今回は市役所の駐車場の中に、勢揃いした山車を一望出来る大きな観覧席が設けられたが、身動き出来ない観衆のために、とてもその観覧席には到達出来ず、交差点の中からの見学となった。

限られた角度から、どんなアングルで撮影したら、その様子が捉えられるか苦労したのであった。

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「去り行く行列」
<<日本>>--川越--


幸神祭のしんがりを勤める巫女さんの姿。

行列の最後を締め括るのは、氷川神社の巫女さんの姿である。

京都の祇園祭の八坂神社の行列のように、この行進の後には矛が続くのとはちょっと趣が異なる。

この幸神祭の行進は、飽く迄も氷川神社の例大祭を告げる神事であるとの主旨から、山車などは伴わない。

街のあちこちに点在する山車の行列も、この行進が近付くと道を空けて譲り、敬意を表してお囃子などの歌舞音曲を潜めるのである。

私はこの行列の後を追い掛けて、市役所前まで歩いて行き、観衆に揉みくちゃにされながら、市役所前に勢揃いする山車の見学に行ったのであった。

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