2009年04月の記事


「天国への階段」
<<インド>>--ヴァラナシ--


これは火葬場の脇にある寺院である。

死者を弔うための寺院かどうか良くわからないが、此処までは撮影出来たが此処から先は撮影禁止である。

細い石段を登り右手に曲がると、屋上に出、そこでたくさんの遺体が焼かれている。

梯子状の上に載せられて、布を被せて遺族によって運ばれてきた遺体は、此処で薪の上に置かれ、火を点けられるのだ。

本来荼毘に付すとは、こういう事を言うのだろうと、実感したものである。

しかも此処では一体だけ燃やすのではなく、纏めてたくさんの遺体を焼くのだから、その煙はかなり強烈である。

我々観光客は、何の囲いも無いこの火葬場の脇をぐるりと見学するのである。

我々が此処を訪れた時は、既に荼毘が終わりに近付いた時であり、薪の燃え滓に混じり、あちこちに白骨化した遺体が散らばっていたものである。

その場所を一巡りするのに、残り火の暑さで、体から汗が滲み出てきたのを今でも思い出すのである。
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「路地裏⑩」
<<インド>>--ヴァラナシ--


長いトンネルのような路地裏も、ようやく先が見えて来た。

商店などが増えて来て、さながら日本の昔の市場みたいな感じがする。

路地の脇で野菜などを売る露天商もいるが、物を売っているのか行き来している人々を眺めているのか、分からない感じだ。

何かを食べているこの裸のおじさん、朝食を食べながら商いをしているのだろうか。

前方の明るく開けた所に石段が有り、そこを登ると火葬場が有るのだが、そこから先は撮影禁止である。

荷車にうず高く積まれた薪は、死者を火葬に附す時に使われる薪のようである。

火葬場は無蓋の高い所に有り、何十体という遺体が、一斉に火葬に付されていて、何とも言えない光景であった。
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「歩け歩け」
<<インド>>--ヴァラナシ--


火葬場に向かう路地は相変わらず細いが、人通りが徐々に多くなってきた。

迷路のように入り組んだ脇道から、人が増えてくるのである。

朝の路地脇で、座り込んで往来する観光客を眺める人、何処へ行くのかこちらに向かって歩いて来る地元の人などが目に付く。

上り下りの多くて暗い路地では、歩きながらの撮影は困難を極め、ご覧のようなぶれ写真になってしまった。

道路脇には、何に使うのか分からない、不思議なサイロみたいなものが有り、此処でゴミなどを焼却したら、さぞ煙い事だろうと思ったりもした。
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「兄妹」
<<インド>>--ヴァラナシ--


長い街中の路地の交差点で、一休みしていたらこの兄妹が近付いて来た。

どうやら二人で観光客に絵葉書を売っているらしい。

妹もおにいちゃんに倣って、5ルピーと言って絵葉書を差し出す。

日本円で一枚僅か15円くらいだから、買ってあげたが、その絵葉書は手垢で擦り切れて、反り返っていた。

この兄妹の屈託が無く逞しい生命力に、我々は感動したものである。

カメラを向けても、別にピースサインを出すわけでもなく、ごく自然に応じてくれる。

この妹にとって、お兄ちゃんは、掛け替えの無い存在であり、この世で一番頼りになる人間であるに違いない。
妹の肩に手を置く、お兄ちゃんの優しさは、確り妹を守り抜く愛情に溢れているように思えたものである。
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「水を汲む女」
<<インド>>--ヴァラナシ--


路地の角にある共同井戸の所で、水を汲んでいる女性の姿。

火葬場に向かう狭い路地の交差する場所に、共同の水汲み場が有った。

勿体無い話だが、水道には蛇口が無く、絶えず水が出っ放しである。

脇には手漕ぎの井戸が有るが、そちらを利用する人は、水道の水が出なくなった時以外は居ないであろう。

女性は大きな水桶に水を汲んでいるが、これをどうやって持って行くのか気になったが、一つは頭に載せもう一つは手に持って運んで行った。

インドの女性は逞しい、一家を支えて、家内と言う言葉がぴったりである。

それにしても2つも水桶を運んでいくのだから、これだけの体格が必要だろうと、感心して眺めていたものである。
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「復活」
<<日本>>--川越--


戦後川越で唯一のデパートだった建物の再建した姿。

この建物は、蔵造り通りが始まる所に有った、当時としては珍しい鉄筋コンクリートでバロック調の三階建てのデパートであった。

店の名前は忘れてしまったが、私が子供の頃は、色々な商品が並べられていたのが珍しく、時々店に入ったものである。

しかし世の流れと共に廃業し、長年外観だけを残す廃墟と化していた。

それが先日川越を訪れた時に、見事にリニューアルされて店として復活していた。

どんな店になったのかと入り口の所に行ってみたら、何と歯医者なのである。
こんな大きな構えの開業医の歯医者を私は今まで見たことがない。

よほど資産家で、懐古趣味の医者でなければ、この建物を再建する事は出来ないであろうと感心した。

いずれにせよ、蔵造り通りの美観を損なう廃墟のままでなくなったのが嬉しい。

しばらく続けた春の川越シリーズも、ここで終了とし、また明日からはインドシリーズに戻ろうと思う。
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「珈琲店」
<<日本>>--川越--


一昔前の店の佇まいを残す珈琲店である。

豆を売るのが主な商いのようであるが、店でコーヒーを飲むことも出来るらしい。

今はほとんど見られなくなった、板壁や格子の桟が入った二階の窓が懐かしい。

現代的な建物にせず、あえて昔のままの家を利用している所が、最近の懐古趣味に合っているようである。

こうしてこの店を眺めていると、普通の喫茶店より、コーヒーが美味いような感じがしてくるから不思議である。

この店ではないが、嘗て川越銀座と言われた裏通りの喫茶店では、大正時代のカフェを思わせる紺のワンピースに、白い前掛けをしたウェイトレスが、コーヒーを運んでくる店があるから愉快である。
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「店番」
<<日本>>--川越--


人けの無い昼下がりの乾物屋、犬が一匹店番をしていた。

何とものどかな情景である。

犬の好物である干物などが並べられているこの店で、それらに見向きもせず、この利口そうなコリー犬が大人しく店を守っている。

家人はお客が来ると犬が知らせて、家の中から出て来るのだろうか。
生き馬の目を抜く東京では、考えられない光景ではないだろうか。

川越は静かな城下町である。

春の真昼の日差しを受けて、眠くなるような店先の傍に来た時、正午を知らせる時の鐘の音が聞こえてきた。

それにしてもこのお店、店を閉める時にどうやって戸を閉めるのか、気になってしまった。
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「鰻屋」
<<日本>>--川越--


この一昔前の面影を残す二階家は、鰻料理の店である。

蔵造り通りから一歩入ったこの店は、私の母方の実家の菩提寺である養寿院の正面に有る。

だから法事などの際は、お清めにこの店を良く利用させてもらっている。

店の周りに張り巡らされた堀には、錦鯉などが泳いでいて、ちょっと萩の町を思わせる風情が有る。
葦などで太陽を遮る様子は、日本の良き時代の名残りが有り、今また見直されているようである。

店の前の道を50メートル行った先の左側に、今は有名になった菓子屋横丁が有るのである。

養寿院は、鎌倉時代に源義経の正室になった娘の父親で、鎌倉幕府の御家人として活躍した川越太郎重頼の墓などが有る名刹である。
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「つばさの街②」
<<日本>>--川越--


春の昼下がりの空の下、白く輝く蔵造り通りの甍の連なり。

電信柱と電線の無い街並みは、実に広々としていて気持ちの良いものである。

将来の計画では、この通りも前面自動車の通行が禁止される案が出ているというから、人間だけが往来する、本来の昔の道が再現されるかもしれない。

そうなれば信号機や道路標識なども撤去され、車の運行に必要な車線なども消えて、江戸から大正頃の街並みが再現される事であろう。

高度な文明の発展は、時として原点回帰を可能にする能力を持っているのかもしれない。
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「つばさの街」
<<日本>>--川越--


天保年間から続く芋菓子屋、亀屋の店先の広告。

朝ドラ「つばさ」の店内の様子は、この亀屋の店の中を舞台として利用されたようである。

店先のガラスには、店の商品と一緒に、テレビの広告が貼られていた。

ドラマの内容は、どたばた要素が強く、川越の静かな街の佇まいと、違和感が感じられなくもないが、街の情景がふんだんに出てくるので良しとしよう。

お恥ずかしい次第だが、主人公のつばさが、私の長女の若い頃と似ているのも、このドラマを見逃せない理由の一つでもある。

朝ドラのお陰で、東京から電車で30分という近さにある川越の街が、更に観光客で賑わう事であろう。
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「つばさの街」
<<日本>>--川越--


天保年間から続く芋菓子屋、亀屋の店先の広告。

朝ドラ「つばさ」の店内の様子は、この亀屋の店の中を舞台として利用されたようである。

店先のガラスには、店の商品と一緒に、テレビの広告が貼られていた。

ドラマの内容は、どたばた要素が強く、川越の静かな街の佇まいと、違和感が感じられなくもないが、街の情景がふんだんに出てくるので良しとしよう。

お恥ずかしい次第だが、主人公のつばさが、私の長女の若い頃と似ているのも、このドラマを見逃せない理由の一つでもある。

朝ドラのお陰で、東京から電車で30分という近さにある川越の街が、更に観光客で賑わう事であろう。
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「昼下がり⑥」
<<日本>>--川越--


様々な時代物が置かれている骨董品店の店先。

今は使われなくなった道具などが並べられていて、何だか懐かしい感じがする。

荷車の轍など、果たしてこんなものが商品になるのかと思われるが、田舎屋を改造した蕎麦屋などに置いたら、懐古趣味で結構様になるかもしれない。

川越には結構骨董品店が多く、毎月30日には川越不動尊で、蚤の市が開かれている。

我々の年代になると、嘗ては生活の中心になっていて、今は使われなくなったものを眺めるのは、結構楽しいものである。

こうした品々を見ていると、時代の変化をしみじみと感じるのである。
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「昼下がり⑤」
<<日本>>--川越--


昼下がりの街中を、先生に連れられて遠足をする幼稚園児の光景。

おそろいの帽子を被って、仲良く手を繋いで一列に並んで歩く子供達の姿は、実に微笑ましい。

この子供達は、菓子屋横丁で団子を買う時に集合している姿を見掛けたが、市内を一回りする遠足のようである。

子供達が担いでいるリュックの中には、一体何が入っているのだろう。

川越城址公園辺りで、楽しいお弁当を食べるのだろうか。

のどかな春の日差しの中を行く、子供達の姿は、静かな川越の街に溶け込んでいるようだった。
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「昼下がり④」
<<日本>>--川越--


初回の「つばさ」で甘玉堂のモデルとなった老舗の和菓子屋である。

この店も、評判の和菓子「蔵づくり最中」など芋菓子を中心に、首都圏のデパ地下などで店を張る店で知られている。

屋根の鬼瓦に、髭のような魔除けが有るのが面白い。

背景の大正ロマンを髣髴とさせる英国調のレンガ造りの建物は、大正時代に建てられた銀行であるが、今でもりそな銀行の川越支店として、現役で使用されている。

川越の街は、江戸時代の蔵造りの家と、大正時代のロマンを掻き立てる建物が、ほど良い調和を保って存在しているのである。
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「昼下がり③」
<<日本>>--川越--


時の鐘を撮っていたら、こんな市内循環バスがやって来た。

一昔前のボンネットバスは、観光の街、川越を巡るのには似合っているかもしれない。

この近くに、嘗ては店をやっていた蔵造りの家があるが、今は市が買収して歴史資料館になっている。

その家の裏庭には幾つかの土蔵が有り、そこと店を結ぶ所に、材料運搬用のトロッコがあるのだ。

NHKの朝ドラでは、庭を人間が乗って行き来する場面が良く出てきた。

歴史の街川越には、このドラマはちょっとドタバタし過ぎるが、肩が凝らずに楽しめるから、これはこれで良いのかもしれない。
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「昼下がり②」
<<日本>>--川越--


春の日を浴びて、どっしりと建ち並ぶ蔵造りの街並み。

向かって左端の店が、NHKの朝ドラ「つばさ」で移転前の甘玉堂の舞台になった店構えである。

実際にこの家屋に住んで、店を維持するのは大変な努力であると聞いた。

しかしこの重厚な蔵造りの家は、此処の家の住人に聞くと、外気の寒暖に左右されず、夏涼しく、冬暖かいとのことであった。

これだけ重量のある屋根瓦と、火災を防ぐ厚い漆喰の壁を支える柱などは、見ても分かるとおり、太くて強靭な物が使用されている事に、驚ろきを禁じえない。

この家並みを守る努力は、街ぐるみで支援されているのである。
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「昼下がり」
<<日本>>--川越--


正午前の「時の鐘」通りの光景。

NHKの朝ドラ「つばさ」では何時も出てくる光景である。

つばさと幼馴染の翔太が、川越祭りの夜に待ち合わせをしたのも、この「時の鐘」の前だった。

間もなく正午、鐘が街に鳴り響く頃である。

昔は鐘付き男が、時刻になると鐘楼に登り鐘を付いたものだが、今は電動で時を告げるのである。

江戸時代から残るこの鐘楼は、川越の街のシンボルである。
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「春爛漫」
<<日本>>--川越--


今を盛りと咲き誇る川辺の桜。

満開の桜を堪能したのは、久し振りのような気がする。

この日は平日だったので、人も少なく、河舟の花見観光サービスも行われていなかった。

静かな川面には花弁が浮かび、一組の男女だけが撮影に余念が無かった。

賑やかな花見の宴も悪くは無いが、こんな静かな満開の桜を眺めることの出来る、このひと時は正に至福の時のような気がしたものである。

日本に住む喜びを全身で受け止めたような、春うららの昼下がりであった。
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「花に誘われて」
<<日本>>--川越--


ラフな格好で日本の春を楽しむ外人たち。

日本に住んでいる若者たちだろうか、露店で買った何かを齧りながら散策を楽しんでいる。

日本人と違うのは、欧米人は何時も薄着である事だ。

季節に拘らず、その時の陽気でTシャツ一枚に、短パンといった出で立ちは、中々この時期日本人には真似出来ないことだろう。

NOVAの講師たちが言っていたが、母国では学校で先生もラフなスタイルで授業をするが、日本ではNOVAと言えどもスーツにネクタイ着用で無ければいけないのだという。

生真面目な日本人の生活は、欧米人にはどう映っているのだろうか。
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「陽明門」
<<日本>>--川越--


川越喜多院の陽明門を彩る満開の桜。

昨日午前中の寸暇を利用して、川越の春を撮りに行ってきた。

家から僅か車で15分の故郷とは言え、何かチャンスが無いと中々行く機会が無いものである。

川越は今、NHKの朝ドラ「つばさ」で、東京から近いとあって、ワンデー・トリップの観光客で賑わっている。

この陽明門は、家康を祀った川越東照宮の裏門に位置する所にある。

春の日を浴びて映える桜と新芽が吹き出した銀杏の葉、その中間に光る唐門の瓦との対象で、画像に立体感を出してみた。
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「春うらら」
<<日本>>--大宮--


昨日のゴルフの帰り、途中の桜堤みの土手で車を止めて携帯で撮った光景。

満開の桜を見ると、そのまま通り過ぎる事が出来ずに、一時停止をして、のんびりと糸を垂れる初老の人を手前に、穏やかな春のひと時を撮ってみた。

魚が釣れても釣れなくても、この人にとっては、穏やかな春の川の流れと、堰堤の桜と菜の花の眺めは、それだけで春を満喫していることであろう。

私には釣りと言う趣味は無い、何時掛かるか分からぬ浮の先を眺めながら、のんびりと時間を過ごす事が出来ない性分だからだ。

多分こんな情景の中に身を置いていたら、居眠りをするのが関の山に思われる。

ゴルフの帰りとは言え、カメラを持っていないのが残念に思われたひと時であった。
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「路地裏⑨」
<<インド>>--ヴァラナシ--


今度は路地裏の一角に、羊が寝そべっていた。

牛、犬と続いたが、羊まで居るとは驚きである。
しかもこの羊、異常に耳が長いのも不思議である。

当然これらの動物は、飼い主が居るのであろうが、鎖で繋がれている状態を見たことが無い。

彼等は自由に歩き廻って、何処かにいなくなってしまうと言う事は無いのだろうか。

歩けども何時までも続く、こんな迷路のような路地は一体何処まで続いているのかと、異次元の世界に迷い込んだような感がある。

次々に現われるこれらの動物たちが、そんな不思議さを余計に助長しているのかもしれない。

羊の脇に置いてある、死者の遺体を運ぶための梯子も不気味である。
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「コースの桜」
<<日本>>--大宮--


インドシリーズの途中だが、桜の時期のホーム・コースの写真を載せてみた。

一昨日は昭和13年生まれのメンバーだけのゴルフ競技会だった。

桜の時期にこのコースを廻るのは久々の事である。

一ヶ月前の予想では、この日では既に桜が散ってしまっているのではないかと、メンバーと話し合ったものだが、予想に反して連日の寒さで逆に桜はまだ平均三分咲きと言った所であった。

コースをプレーしながら、比較的良く咲いている木の前で、バックに入れていた携帯電話のカメラで撮ってみた。

携帯のカメラ機能なので、余り画像は綺麗ではないが、それでもコースの雰囲気は分かると思う。

後一ヶ月もすれば、コースの芝生もすっかり緑に変わり、ゴルフシーズンになることだろう。

最近は専ら健康のためと思い、週一のペースでプレーしている。
明日はまたコースをラウンドする予定である。

そして明々後日は月に一回の月例競技会である、どうせプレーするなら、良い成績を収めたいものだが、果たしてどうなるであろうか。
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「路地裏⑧」
<<インド>>--ヴァラナシ--


こんな薄暗い路地裏で、葉タバコを作っているタバコ屋の光景。

狭い店先で、葉タバコを加工して見せている店が有った。

このタバコを売っているのかどうか分からないが、その行程を見ている客が数人居た。

こんな日の当たらない、狭い路地の一角で、一日中こんな作業をしていたら、健康に良くないだろうと余計な事を想像してしまった。

それでも店のショーケースの中には、世界のブランド銘柄のタバコが売られている。

日本でもJRの各駅を始め、ほとんどの所で全面禁煙になりつつあるのが現状だが、タバコ販売が消える事は無いのが不思議である。

昨日行ったゴルフ場のレストランも、今までは分煙であったが、4月から全面禁煙になってしまった。

禁煙が世界に広まりつつあるのに、タバコの販売が無くならないのは矛盾した事のように思えるが…
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「路地裏⑦」
<<インド>>--ヴァラナシ--


突然視界が開けこんな光景が飛び込んで来た。

此処も路地の一角なのだが、空を遮るものが無いから明るいのだ。

この建物は寺院なのである。

こんな路地の真ん中に、寺院が有るのが不思議な気がする。

と言うより、昔から有った寺院の周りに、どんどん家が建ち、寺院を取り囲んでしまったと言うのが事実のようである。

インドでは、人口の急増に行政が追い付かないと言った所が、現実の世界のようである。

生きるためには、神も仏も無いものだ、と言った感じがしてしまった。
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「路地裏⑥」
<<インド>>--ヴァラナシ--


路地裏は動物たちの天国だ。

この牛君こちらに向かってやって来たが、攻撃のためではなく、何かくれるかと思って近付いて来たのだ。

私の傍まで来て、何も食べるものを持っていないと分かると、通り過ぎて行ってしまった。

此処にも犬が寝転んでいるが、何が起きても我関せずで、惰眠を貪っている。

まだ朝の7時頃だから、この狭い路地も人通りはほとんど無いが、昼間はどんな感じなのだろうかと思いながら、歩を進めていったものである。

暗い路地だからストロボを炊いたが、牛の目が光っているのが不気味である。
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「路地裏⑤」
<<インド>>--ヴァラナシ--


今度は犬が家のドアの前で陣取っている。

放し飼いの動物があちこちにたむろしているのは、日本では見掛けなくなった光景であろう。

文明国では、動物のペットとしての存在が当たり前となり、放し飼いは禁止になってしまったが、私が子供の頃は、動物も仕事をする一員として共存していたものであった。

それが人間の孤独な心を癒すペットとして、人間同様の愛情の対象となったのは何時頃からだろうか。

インドに限らず後進国ではほとんどの動物たちは、今でも放し飼いである。

こんな犬の姿を見ると懐かしく感じるのは、私が年を取ったという事だろうか。
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