2010年04月の記事


「戦艦ミズーリ号⑱」
<<ハワイ>>--オアフ島--


こちらは一般乗組員兵士の寝室である。

三段ベットがずらりと並んでいるが、大きなアメリカ兵士にとっては、さぞ窮屈な事であろうと、インドの寝台車に乗った経験から、実感として思ったものである。

それでも潜水艦などの閉塞感の有るベットよりは、まだ増しなような感じがする。

いずれにせよ戦闘時には、ゆっくりと寝る事の出来ない戦闘員にとっては、こんなベットで寝られるのは天国なのではないだろうか。

硫黄島や沖縄などの地下壕で、想像を絶する生活を余儀なくされていた日本兵から比べれば、雲泥の差の環境であった事だろう。

戦争は戦闘員のみならず一般国民にも、苛酷な生き方を強要することから言っても、決して二度としてはならない行為であろう。
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「戦艦ミズーリ号⑰」
<<ハワイ>>--オアフ島--


司令塔のかなり上部にある操舵室の様子。

分厚い鉄鋼板に覆われた操舵室は通常の船舶より、かなり様子が異なる。

此処が攻撃されては船の航行が不可能になり、致命的な打撃を受けるから、こんなに鉄の塊のような部屋で覆われているのだろう。

その厚さは30センチ位有りそうである。

微かに外部を目視出来るスリットが二箇所有るが、通常は目視による操舵ではなく、司令室からのレーダーによる指示で運行するようである。

どう見てもこの操舵室は、快適な環境ではないような感じがしたものである。

内部がかなり暗いので、ストロボを炊いて撮影したが、実際はもっと暗い部屋なのである。
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「戦艦ミズーリ号⑯」
<<ハワイ>>--オアフ島--


熱心に戦艦の司令室の内部を説明するガイドさん。

こちらの司令官の座席のレーダーは、はっきりと湾岸周辺の地図を表示している。

矢張りARABIAN GULFは、検索の結果ペルシャ湾を指すようであった。

第二次世界大戦当時、日本でもレーダーはいち早く研究されていたようであるが、残念ながら、実用化はアメリカに先を越されたようである。

アメリカ留学の経験が有った、山本五十六日本海軍総司令官は、アメリカを相手に戦争をしても、とても勝てる相手ではないことを、十分認識していたようであるが、大本営の命により、総司令官となった時に、短期決戦で初戦の奇襲攻撃により相手の出鼻を挫き、即座に講和条約に持ち込んで戦争を終わらせる事を提唱していたようである。

しかし初戦の勝ち戦で奢った大本営は、戦争の長期化により、次第に敗戦へと追い込まれていくのである。

敗戦へのターニング・ポイントは、ミッドウェー海戦であった。

当時レーダーの実用化に成功したアメリカは、暗号解読と合わせて、日本海軍の行動を全て事前に察知して、待ち構えていたのである。

この海戦で日本海軍は決定的なダメージを受け、以降敗戦への道を転げ落ちるように進んで行くのである。

大鑑巨砲主義を頑なに固持し続けた日本海軍は、アメリカの近代戦における戦闘機攻撃を中心にした科学技術の裏付けの元に、敗退を余儀なくされて行った事は、周知の事実である。
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「戦艦ミズーリ号⑮」
<<ハワイ>>--オアフ島--


近代戦におけるミズーリ号の作戦司令室第三弾。

まるで大型旅客機のコックピットのようである。

違うのは、このような座席がたくさん有る事である。

それぞれの司令官が、自分の席でレーダーの監視画面を見ながらアナウンスし合い、自分の職務を果たすのであろう。

恐らくこれらの機器を操るのには、かなりの技術や知識が必要と思われる。

一歩間違えれば、ミサイルの誤爆や戦艦の運命を左右する事態になりかねないからである。

一体この司令室には何人くらいの指揮官が存在したのであろう。

ざっと数えても、こんな椅子が25席くらい有ったように記憶している。
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「戦艦ミズーリ号⑭」
<<ハワイ>>--オアフ島--


近代戦におけるミズーリ号の作戦司令室第二弾。

このアングルから指令室内を眺めると、実際に湾岸戦争に出撃した事が良く分かる。

透明で大きなガラスの中には、湾岸戦争で必要な地図が書き込まれている。

ARABIAN GULFとは、直訳するとアラビア湾となるが、これはペルシャ湾の事ではないだろうか。

地図を見てもアラビア湾と言うのが見付からないから、作戦上このような名前が付けられているような気がする。

赤い受話器やボタン類は、戦闘時のミサイルや砲撃の発射装置のようである。

こんな密室の司令室で、戦闘体制が組まれるのだから、近代戦は第二次世界大戦当時とは大きく異なると言う事が出来るだろう。
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「戦艦ミズーリ号⑬」
<<ハワイ>>--オアフ島--


近代戦におけるミズーリ号の作戦司令室である。

厚い鉄鋼で遮蔽された部屋は、まるで潜水艦の中のようである。

ガイドの説明に、ずらりと並んだテレビモニターや機器類を見るに付け、閉じ込められた閉塞感に包まれる。

確かに、此処なら外敵の攻撃には安全な場所なのであろうが、彼我の位置を確かめるのに、レーダーによるテレビモニターだけで攻撃態勢を取るのに、不安が無いのだろうかという気持ちになってしまう。

巨大戦艦の作戦指令が、こんな部屋の一室で行われる、近代戦の味気なさを感じる我々アナログ時代の人間には、科学の進歩が、恨めしくさえ感じるのである。
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「戦艦ミズーリ号⑫」
<<ハワイ>>--オアフ島--


嘗て、第二次世界大戦当時に使われていた司令室である。

当時は司令室も、ガラス張りで、望遠鏡などを使用した、目視による作戦指令であった。

従ってこのように四方が見渡せる高所に、司令室も設置されていた。

しかし現代の戦闘は、レーダーの著しい発達により、このように敵からも攻撃し易い、危険な場所に司令室を置くのはリスクが大きくなり、周りを厚く装甲された密室へと移行するのである。

我々素人目には、何も見えない密室より、こうした開けた司令室の方が、如何にも戦闘指揮には向いているように思うが、近代戦ではそうも行かないのであろう。

次の写真では、近代戦を指揮する司令室の様子を載せてみようと思う。
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「戦艦ミズーリ号⑪」
<<ハワイ>>--オアフ島--


戦艦の司令塔を昇る途中の、カタパルトに設置されているトマホーク・ミサイル。

現在使用されているミサイルから比べると、随分小型でシンプルな感じがする。

それでも来襲する敵からの攻撃ミサイルや、砲弾を撃ち落すには十分であるとの事であった。

この写真では見えないが、それらを撃ち落した数が、このミサイルの脇の壁に描いてあるのだ。

その数は8個位であったが、アメリカインディアンが使用した、トマホークの絵であったのが、ちょっとユーモラスであった。

アメリカの面白い所は、戦争という非常時の中でも、戦闘機などに敵機を撃退した数などが、女性の顔などで、描かれていることであろう。
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「戦艦ミズーリ号⑩」
<<ハワイ>>--オアフ島--


桜の時期も過ぎて、再びハワイ特集に戻った。

強い日差しが照り付けるミズーリ号の甲板の上の光景。

巨大な砲身の下で、説明を聞いている外人にガイドをしているのは、現地スタッフの男性だろうか。

我々の仲間は左隅の方にいる。

これから我々は砲身の後ろに有る戦艦の心臓部、司令塔へと向かうのである。
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「陽明門」
<<日本>>--川越--


喜多院の中にある仙波東照宮の陽明門のアップ。

喜多院は徳川家康の重臣であった、天海僧正の居城で知られている。

家康が死去した時、日光東照宮と合わせてこの仙波東照宮も建造されたのである。

私が子供の頃、この陽明門を、息をせずに3回廻ると、竜が現れるといわれ、試してみたが現れなかった。

仙波東照宮は、高い小山の上に建てられており、中学生の頃体育の時間に、長い石段の上り下りで体力を鍛えさせられたものである。
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「多宝塔」
<<日本>>--川越--


喜多院参道右手に有る多宝塔の佇まい。

此処は江戸ではないが、満開の桜に囲まれたこの光景は、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」の句を彷彿とさせるような景色である。

この写真は4/11日に撮ったものであるが、今でも葉桜になったとは言え、桜の花が残っている。

寒暖の差が激しかったせいか、今年の春の桜が三週間以上持った状態は、嘗て記憶に無い。

やっと今日は暖かくなったが、また来週の週末には寒波がやって来るという。

今年の春の異常気温は、一体どうしたというのであろうか。
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「少年」
<<日本>>--川越--


舟遊びの様子を見た後、喜多院によって見たときの光景。

本殿の手前に、手洗い場が有るが、此処に一人の少年が駆け寄って来て、柄杓で水を掬い飲み始めた。

彼の他に、付近に身内の人間らしき人が居ないようだから、この辺を遊び場にしている少年のようである。

私も彼と同じ年頃の頃、この喜多院の参道にある実家に預けられていた事があるので、専らこの境内は遊び場であった。

この少年の様子を見て、思わず子供の頃を思い出してしまい、カメラを向けたのであった。
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「花より…②」
<<日本>>--川越--


焼きソバや焼き鳥、ソーセージなどの売店に群がる人々の姿。

此処で即席販売しているこれらの食べ物は、一般の露天商では無く、この桜祭りを支援している団体が運営販売しているので、安いからたくさんの花見客が次々と買いに来る。

正に花より団子の光景だろう。

丁度昼時と言う事もあり、匂いに釣られて私もソーセージを頬張りながら、撮影をして歩いたものである。

それにしても、この売店の盛況振りには目を見張るものがあった。

この仕事に従事する男女も、嬉しい悲鳴と言った所であろうか。
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「花より…」
<<日本>>--川越--


花の宴をよそに、ひたすら焼きソバを頬張る若いカップルの様子。

彼等の背後では、おばさん達がコーラスで美声を披露している。

赤い大きな日傘の下で、毛氈の敷かれた縁台に腰掛けて、食欲旺盛な女性である。

彼の方はもう食べてしまったのか、それとも食べる方は彼女に任せているといった所だろうか。

何とも微笑ましい、カップルのありの侭の姿ではある。

隣に座っているおじさんは、桜見物に疲れてちょっと一休みと言った風情である。

老いも若きも、共に春を楽しめる現代の平和日本の姿であろうか。
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「パフォーマンス」
<<日本>>--川越--


ふたたび川越の桜祭りの時の様子。

何と「時の鐘マン」の登場と相成った。

市の観光協会の職員も、此処までやるかと言った感じだが、こんな被り物をして、祭りを盛り上げるのは大変だなと同情してしまう。

しかし本人は愛嬌たっぷりで、子供と握手したり、一緒に記念写真を撮ったりで、結構楽しんでいるようであった。

時の鐘は、江戸時代に建てられた時を告げる鐘楼で、今でも時間が来ると、余韻のある鐘の音で、時を告げている川越の名物である。

去年までは見られなかった、パフォーマンスで、川越の宣伝に一役買っているといった所だろうか。
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「川面に映える」
<<日本>>--自宅付近--


そろそろ夕暮れが迫りつつある桜堤の光景。

桜の時期には何処のページでも桜の写真で一杯なので、差別化を計るのが難しい。

静かな川面に釣り人達が停めた車が写っていて、微かに夕空の茜色が色付き始めた頃、桜との対比を写してみたくなった。

そのまま撮ったのでは、桜がシルエットになってしまうので、日中シンクロを炊いた。

のどかな春の午後の様子が、表現出来ていれば幸いである。
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「二度目の花見」
<<日本>>--自宅付近--


昨日の日曜日、再度近くの桜堤を娘と訪れた。

おばあちゃん子だった長女が昨日やって来て、去年母を連れて行った桜堤に行って見たいというので、再度の花見となった。

娘がアメリカ、イギリスで10年間の留学・仕事を通じて、絶えず心の支えになったのは、母の頑張り精神であったとの事である。

驚いたことに、先週の土曜日に満開だった桜が、未だに満開であった。

しかも菜の花まで同じように咲いていた。

今年は寒暖の差が激しいから、花々も長持ちするようである。

母の遺影を持つ長女は、此処の桜堤を訪れたのは始めてであったようで、去年この桜をおばあちゃんが見れただけでも、良い供養になっただろうと満足していたようだ。

生きている者の、心の癒しであると思うが、思いもかけず2回も花見が出来たのは、有難い事である。
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トラの会
<<日本>>--大宮--


「トラの会」

今日行われた同年代のゴルフ競技会の記念写真である。

トラの会とは、昭和13年生まれの、クラブメンバーだけによるゴルフ・コンペなのである。

所属ゴルフ場の粋な計らいで誕生したこの会も、今日で16回を数える。

コースの桜が満開の今日、競技会に参加したメンバーは14人、大会運営者のR課長撮影の恒例のスタート前の記念写真である。

コース途中の茶屋では桜餅を振舞ってくれ、赤い毛氈の敷かれた椅子の前で、同伴競技者の記念撮影をしてくれるといった、特別サービスなども有る。

私はゴルフ場に行く前に、今日から始まったPGAメジャー・トーナメント、マスターズのテレビを見ていた効果もあり、準優勝とニアピン賞を獲得することが出来た。

今夜は商品に貰った沢山のハマグリを焼いて、これも賞品の高級ワインを飲みながら、舌鼓を打ったのであった。

今年の桜は、寒い日が続いたせいか、今でも満開が続いており、桜吹雪の中をプレーするのは、何とも心地良い事であった。
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「花の宴」
<<日本>>--川越--


対岸の仮設舞台で、艶やかに日本舞踊を踊る女性の姿。

咲き誇る桜の木の下でのピンクの衣装が良く似合う。

乗船上の前に、この舞台は有るから、2時間待ちの舟遊びを待つ人々も、次々に出演者が替わるこの舞台を見ていれば、退屈する事はないであろう。

桜が満開の時期の、たった二日だけの市の観光協会の催事であるが、それを実行するためには、かなりの準備が必要なのではないだろうか。

舟遊びにしても、小江戸川越ならではの催事であるが、こんな粋な催しがある事を、マスコミなどを通じて何も宣伝しないのが却って川越らしくて、奥ゆかしさを感じる。

それにしても、この舞台に登場するのが、子育てを終え自分の時間を、趣味の踊りや歌に使うことが出来るようになった女性たちが多いのは良いことだが、もう少し若い女性が艶やかに踊る姿も見たいものだと思うのは、私の我侭であろうか。

余談はさて置き、長閑な春のひと時を、こうして優雅に過ごす事の出来る平和を、しみじみと感じるのは私だけではないであろう。
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「大正ロマン」
<<日本>>--川越--


小船に乗って、桜を愛でる人々の様子を見て驚いた。

男女11名が全員和服姿なのである、船頭さんの様子も然り。

川岸でこの様子を撮影している人が居なければ、まるで大正時代に逆戻りした感がある。

この写真では分からないが、後で下船する様子を見たら、何と先頭に鎮座している男性は、大小の刀を持っていたのである。

最初は映画の撮影風景かと思ったが、そうでも無さそうである。

和服姿で、目出し帽を被っている男性は、まるで明智小五郎風の出で立ちである。

一体この人たちは、どんな団体の人たちなのだろうかと、最後まで疑問の残った光景であった。

矢張り舟遊びの和船には、着物姿が似合うようである。
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「乗船待ち」
<<日本>>--川越--


舟遊びを待つ長蛇の列の最後尾。

年々、小船の上から眺める桜のトンネルは評判を呼ぶようで、長い列が出来ていた。

船も新しくなり、無料で乗れるとあって、乗船待ちの人たちが我慢強く列をなしていた。

市の無料行事だから、この時とばかり列を作るのだろうが、並んでいる人を見ると圧倒的に女性が多いようである。

それだけ女性の方が、花と縁が深いのであろう。

この看板を持っている市の職員に、どの位待つようなのかと聞いたら、約2時間待ちだと言う。

それを承知で、次々と列に加わる人が多いのだから、何事も根気が必要だなと思った。

矢張り男性は、花より団子ならぬ、お酒といった所だろうか。
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「舟遊び」
<<日本>>--川越--


今年も、満開の桜の時期の土日だけ運行される、川越市による舟遊びの場面を見ることが出来た。

しかし、去年と大きく違うのは、新河岸川の護岸工事が施された事で、危険性は無くなったが、緑の川岸が剥ぎ取られてしまい、ピンクの桜と緑の川岸の対比が見られず、ちょっと物足りない感じであった。

船も新しくなり、無料で乗れるとあって、乗船待ちの人たちが長蛇の列をなしていた。

乗船上の正面では、臨時に作られた舞台で、様々な団体の女性たちが、この日のために訓練した踊りや歌を披露していた。

花曇りの、春爛漫の長閑なお昼時であった。
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「太公望」
<<日本>>--自宅付近--


桜が咲き誇る川辺で、釣り糸を垂れる太公望たちの、のどかな光景。

まるで自分の領分を計ったような等間隔で場所決めをし、釣り人達がのんびりと春のひと時を満喫している。

釣れても釣れなくても、春を楽しむには最高の時間の過ごし方であろう。

残念ながら私には釣の趣味は無い、自分でもせっかちな性格のようで、いつ掛るとも分からない釣り糸の先をのんびり見詰めている事が出来ないのだ。

桜の花や提灯をシルエットにしたくなかったので、日中シンクロを炊いて、遠方の景色とのバランスを取ってみた。

短い桜の時期の、春爛漫の貴重な光景のような気がする。
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「春爛漫」
<<日本>>--自宅付近--


毎年桜が満開のこの時期は、海外シリーズをちょっとお休みして、我が家の近くの春の景色をお届けしている。

花曇りの今日、去年母を桜見物に連れて行った桜堤に、遺影を持って行ってみた。

母が逝去する前に、今年は桜が見られないねと、ポツリともらしたので、必ず今年も連れて行ってやるよ、と約束した事を実現するために…

こんな形での花見になってしまったが、きっと喜んでいてくれたものと思っている。

桜はまだ8分咲きと言った所であったが、穏やかな日であったので、川岸にはたくさんの太公望が、釣り糸を垂れていた。

しばらくは、毎年見慣れた光景ではあるが、今年の春の模様を載せてみたいと思う。
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「戦艦ミズーリ号⑨」
<<ハワイ>>--オアフ島--


作戦司令室から見る真珠湾の光景。

前方に見える海上に浮かぶ白い建物は、アリゾナ記念館である。

この記念艦の下には、第二次世界大戦開戦当時、アメリカの主力戦艦であるアリゾナ号が今でも海底に沈んでいるのである。

再度に亘る日本の航空母艦から飛び立った、ゼロ戦や爆撃機の攻撃により、この戦艦は火薬庫に引火して自爆し轟沈したのであった。

今でも海底からは戦艦の重油が流れ出しており、当時の戦闘の激しさを思い出させているのだと言う。

華々しい日本海軍の初戦の戦勝状態を、この記念艦で知ることが出来るのだが、残念ながら我々はバス待ちで時間が遅くなってしまったため、この記念館の見学時間に間に合わなくなってしまい、ミズーリ号から眺めるだけで終わってしまった。

次回オアフ島を訪れる時には、必ず行ってみたいと思っている記念館である。
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「戦艦ミズーリ号⑧」
<<ハワイ>>--オアフ島--


ミズーリ号の司令塔上部にある司令室の椅子に座って、その気になる自分。

此処は、司令官達が望遠鏡で海上を眺めながら、戦闘を指揮した司令室である。

その気になって、いかめしい顔をしたものの、このスタイルではむしろ滑稽で、我ながら噴出してしまった。

嘗て第二次世界大戦当時は、此処で指令を発したと言われるが、時が変わって湾岸戦争当時は、司令室も電子化が進み、こんな敵の標的に晒される場所から、一番安全な室内へと移行し、専らレーダーや映像による指令へと変わったとの事であった。

時の推移と共に、同じ戦艦でも、戦闘方式が随分異なるものだと実感したものである。

しかし我々凡人には、暗い室内で様々な電子機器に囲まれて、映像を見ながら指揮をするより、見晴らしの効くこの司令室で戦闘指揮をする方が、よりリアルに戦況を把握出来るようで、現実味が有るように感じたものである。
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「戦艦ミズーリ号⑦」
<<ハワイ>>--オアフ島--


ミズーリ号の司令塔下の甲板で行われた、降伏文書調印式の各国代表の直筆のサイン。

一番上に重光外相、次に梅津陸軍参謀総長、連合国代表でマッカーサー元帥、そして各国代表のサインが続く。

実はこの調印式の時、アメリカ代表者が一段下の欄からサインを始めたため、最後のニュージーランドの代表の記入欄が無くなってしまい、欄外に記入してしまったのだという。

ニュース映画などではその場面は出て来ないから、そんなエピソードが有ったとは、ガイドの説明を聞いて初めて知った次第である。

従って、此処に記入されているサインは、もう一度用紙を変えて、再度書き直してもらった物なのだという。

世界の歴史に残る調印式の場面でも、ミスをする人間は居るようで、その話を聞いて、思わず苦笑したものである。

しかし言われて見れば、代表者の目次の下の欄に自分の名前をサインするのが通常のようであり、我々が日頃様々な申告書にサインをする場合でも、記名捺印欄が上に有るのは紛らわしいかもしれないと感じて、同情の念を禁じえなかった。
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