2011年03月の記事


「カテドラル」
<<スペイン>>--クエンカ--


クエンカが誇る世界遺産の大聖堂の正面風景。

右端に居る人物と比較して、如何にこの教会が大きなものか、推測する事が出来るだろう。

この教会の内部を見学するのには、右端の小さなドアから入り、ぐるりと一回りする事になる。

但しこの教会に入るのは有料で、一通りクエンカの街を見学した後、自由時間に希望者だけが入ることとなる。

なので、時間を追って内部の状況を載せる事とし、今は外観だけをご紹介したい。
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「銅版画」
<<スペイン>>--クエンカ--


前出した銅像の下の、台座の所に貼られている、街の様子を現した銅版画である。

イタリアなどに貼られている銅版画は、戦争の様子を現したものが多いが、此処クエンカのこの絵は、街の楽しい様子が描かれているので好感が持てる。

多分これは、街で年に一度行われる、牛追い祭りの光景を描いたものだろう。

大聖堂の前に集まる沢山の人々、牛を追い掛ける人、その様子を見る観衆など、実に活き活きと祭りの様子や、街の情景が表現されていて、思わずカメラを向けてしまった。

この大聖堂はかなり歴史が古く、街の中心的存在なのである。
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「マリオ君」
<<スペイン>>--クエンカ--


前出した銅像の前で、説明をする現地ガイドのマリオ君。

ちょっと渋みがかったフェースの彼は、顔に似ず結構ジョークも言うし、中々のイケ面である。

このクエンカの街で生まれ、ずっと此処で育った彼は、英語は話せるが日本語はしゃべれない。

だから英語でガイドをする内容を、添乗員の日本女性が通訳をして皆に解説するのだが、スペイン人の英語はとても分かり易く、私には通訳無しでもほとんど理解する事が出来た。

彼はクエンカの街だけを案内する現地ガイドなので、ガイドが終わった後、彼に話しかけて一緒に写真を撮ったりした。

大聖堂の前で、彼とツーショットで撮った写真は、後日載せる事としよう。
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「銅像」
<<スペイン>>--クエンカ--


クエンカの街を統治したと言われる王様の雄姿。

街の中に入り、ちょっとした広場の中央に、この銅像は鎮座していた。

馬に跨った王の銅像は、堂々としていて立派なので、かなりの年代を経ているの物だろうと思った。

しかし、現地ガイドのマリオ君の話だと、この銅像は5年前に設立されたばかりだと言うので、皆で何だと、大笑いしてしまった。

この銅像も、後数十年もすれば、それなりの歴史と重みを感じるようになるのかもしれないが、今はまだ出来立てのほやほやなのである。

彼の話だと、町の住民の希望と熱意による寄付によって、やっと実現した街の誇りの一つなのだと言う。
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「売店」
<<スペイン>>--クエンカ--


二階の窓に国旗を飾っているのはお店だった。

入り口の看板には、kiosco y reposteriaとスペイン語で書いてあるから、小売店そしてお菓子屋さんと言う事になる。

きっと地元の人や、子供達がやってくるお店なのだであろう。

店の中はうす暗く、何となく懐かしさが漂う駄菓子屋さんといった所だろうか。

このお店の右側には、ちょっとした広場が有り、広場の真ん中には馬に乗った王様のような銅像が有った。

その銅像を、次にご紹介することとしよう。
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「窓」
<<スペイン>>--クエンカ--


共同住宅のビルの窓は大小さまざまで、窓際の光景も変化に富んでいる。

いよいよクエンカの街の中に入ってきた。

窓にはまだ一昨日優勝した、W杯スペインチームの優勝を祝して、スペイン国旗を掲揚している窓が有る。

国を挙げての応援は、何処の都市に行っても、嘗て無いチームの壮挙だっただけに盛大である。

人々の喜びが、こちらまで伝わってくるような光景であった。

それにしても、パラボラアンテナの取り付けや、電気の配線がかなり乱雑であり、日本の雑居ビルとあまり変わらないな、と感じたものである。

ビルの外壁も、でこぼこであり、バルセロナとはかなり様子が違うなと思った。
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「斜光」
<<スペイン>>--クエンカ--


細い街の中の坂道を登る途中で見上げた街の光景。

午後の太陽が石壁に当り、窓の先に干した洗濯物が揺れ、この街の穏やかな生活が垣間見られる。

建物の間には、スペインの真っ青な空が広がっている。

屋根の上から等間隔に下がっている細い紐は一体何に使われるのであろうか。

暑い西日を遮るのに、葦ずが用いられているのは、日本と同じである。

そろそろこの石段の坂道も、終わりに近付いたようである。

この先には、どんな街の光景が展開するのか、最後の力を振り絞って家の間を登っていった。
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「街への入り口②」
<<スペイン>>--クエンカ--


宙吊りの家のトンネルを潜った後は、ご覧のような家に囲まれた狭い道を登っていく事になる。

流石城壁都市と言われるだけあって、この街を攻めようと思っても、こんな細い道に、兵がひしめき合っても、待ち構えた守備兵に狙い撃ちに会うだけであろう。

今は一般の石造りの住居であるが、昔はどんな建造物が有ったのかと考えながら、ひたすら石段を登って行ったのであった。

この路地の先には、一体どんな街が開けているのだろうかと、興味津々であった。

こんな岩山の上に築かれた街には、果たして水などが出るのだろうかと、余計な事が気になったものである。

この写真を見ていて、此処で地震に会ったら一溜りも無いであろうと思うのは、現在の事である。
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「街への入り口」
<<スペイン>>--クエンカ--


橋を渡り終わって街の中への入り口は、こんな所に有った。

何と家の下部の一部を刳り貫いたトンネルを潜って、街の中に入って行くのだ。

この家が、例の宙吊りの家の一部である事は、家の壁に貼り付けてある看板で知ることが出来る。

CASAS COLGADASとは、casaが家、colgadaがぶら下がった、と言うスペイン語だから、日本語訳が、宙吊りの家となるのだろう。

この家の造りを見る限り、かなり確りした岩盤の上に、基礎が出来ているようだから、少し位の地震では大丈夫なのだろうと、納得した次第である。

それにしても、家の下に有るトンネルを潜って街に入るとは、如何にもスペインらしい発想だと、感心したものである。
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「橋の上からの眺望②」
<<スペイン>>--クエンカ--


クエンカの街の入り口に架かる橋の上から、上流方面を眺めた光景。

東北関東大震災から、はや10日が経過した。

未だに余震や、原発対策、災害復興に苦労の日々が続いているが、電力、電車、テレビ番組なども徐々に元に戻りつつある。

大震災による未曾有の困難、試練を余儀なくされた東北地方の被災者の方々の、忍耐力の強さと、不屈の精神には、心から敬意を表すると共に、今後の復興に向けての心身のご健勝を強く祈りたい。

しばらく中断していた、写真とキャプションのメンテを、今日から再開したいと思う。

前回は橋の上から下流方向の景色を載せたが、今回は反対方向の山側の光景である。

右手の岩の上に立つ、教会の偉容が興味を引く。
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「ステンドグラス」
<<ポルトガル>>--リスボン--


ポルトガルのリスボンに有る、ジェロニモス修道院の聖母マリア像のステンドグラス。

今回の東北関東大震災のテレビ映像を見るに付け、どうしても楽しい旅行の写真を載せる気にならず、今回の旅行写真の中から、選んでこの写真を載せた。

日本が過去に経験した事の無い、巨大地震と大津波による甚大な被害が、時を経るに連れて明らかに成りつつある。

被害に会われた方々のご健勝を願い、不幸にして亡くなられた方々のご冥福を祈りたいと思う。

大震災の余波は、徐々に我々の実生活にも及んでおり、我が街周辺でも停電、食料や生活必需品、ガソリン等が不足し、パニック状態が発生しており、余震も未だに続いている。
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「宙吊りの家③」
<<スペイン>>--クエンカ--


再びスペインシリーズに戻った。

前に載せたクエンカの、宙吊りの家と呼ばれる、断崖の上にせり出した家を、橋の上からアップで撮った。

どうしてこんな危険な場所に、この家を建てたのか、建て主の気持ちが知れないが、この街の名所になっていることは事実である。

日本を襲ったマグニチュード9の大地震の映像を見るにつけ、もしこの場所に地震が来たら、この建物は一溜りも無く、渓谷の中に崩れ落ちるのではないかと、想像するのに難くない。

相棒とこの辺には地震は無いのだろうかと、この様子を見て話し合ったのであった。

此処に家を建てた人の、リスクと冒険心には、常人では計り知れないものが有ると感じたものである。
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「朝帰り」
<<日本>>--東京--


大地震が有った翌朝の、東横線学芸大学の駅ホームから撮った街の光景。

時刻は朝の7:20分頃であった。

雲一つ無い快晴で、街は何事も無かったかのような佇まいである。

しかし毎度見る光景だが、良く見ると大きな布のような物が、ビルの横に突き出た棒にぶら下がっている。

これは一体何なのか、地震の影響で、横断幕が破れてしまったのか、事情は分からない。

地震の当日は、自宅の状況が気になりほとんど眠れずに、早朝から娘のマンションの寝床から起き出して、テレビの電車の開通状況を見続けていた。

東武東上線が、間引き運転を開始したとのテレップが流れたので、早速娘の家を出た。

朝帰りをするのは、現役時代以来であった。

夜通し飲み明かしての朝帰りは、たまに有ったが、こんな形での朝帰りは始めてである。

しかし家に帰れず、駅や避難場所で夜を明かした人たちから見れば、身内の家の布団の中で寝られただけでも幸いであったと言えるだろう。

まだ路線はずたずたであったが、あちこち経由してやっと帰宅することが出来た。

この時も、首都の地震に対する脆さを痛感したものだが、特に山手線など首都を巡るJRの復旧の遅さは、目に余るものが有った。
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「大地震の日」
<<日本>>--東京--


地震の発生する30分前の、中目黒の駅から見る街の光景。

過去に経験した事の無い、大きな揺れの地震であった。

今でも時々余震が続いている。

ほぼ日本全国に亘って、揺れを感じたこの地震は、改めて日本が地震国である事の恐さを実感したものであった。

私はこの日、腰の治療のために六本木に行き、その後孫の顔を見るために、東京メトロ日比谷線に乗り、中目黒駅で東横線に乗り換えるために、偶然駅からこの写真を携帯で撮った。

孫の所に付いて、遅い昼食を摂っていた時地震が来た。

咄嗟に、先ず孫の安全を第一に考えた対処をしたが、執拗に襲う余震のため、ずっと家が揺れているような感覚であった。

電車が全て止まってしまったため、止む無く娘の家に泊まった。

地震到来がもう少し遅かったら、帰宅難民になってしまったことだろう。

メールやレスで、ご心配いただいた皆様には、心から感謝申し上げます。

帰宅した家の中は、物が散乱していたが、大した被害が無かったのは幸いであったが、被災した皆様には、心からお見舞を申し上げる次第である。
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「橋の上からの眺望」
<<スペイン>>--クエンカ--


橋の中央から下を眺めてみた。

渓流は右の鬱蒼とした木々に遮られて、見ることが出来ない。

中央の渓流沿いに伸びる道は、岩山をグルグル回りながら、街の中へと通じる道のようである。

我々が歩いて橋に辿り着いた道は、左端に伸びる坂道であり、スタートしたのは、建物の見える辺りからであった。

この頃は、まだ私の腰は悪くなっていなかったから、大して苦労もせずに橋まで来られたが、今ではちょっと無理であろう。

はるか彼方に、山裾まで開けたクエンカの街が遠望出来る。
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「街に架かる橋④」
<<スペイン>>--クエンカ--


いよいよ街に入るための、渓谷に架かる橋を渡り始めた。

吊り橋ではないので、意外と揺れも少なく、安定して渡る事が出来る。

勿論この橋は歩行者専用で、車は通ることが出来ない。

しかし街の中には結構車が有るのだが、車が街に入るのには、車専用道路を山裾をぐるぐる廻りながら、入って行く事になるのだ。

だから人間は、この橋をショートカットして渡り、約30分くらいで街の中央に辿り着く事が出来るのだ。

橋の行く手には、大きな岩が有り、その脇を左に迂回して街に入る事になるのである。
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「橋の袂で」
<<スペイン>>--クエンカ--


やっと街に入る、鉄の橋の袂に辿り着いた。

橋を渡る前に、相棒とお互いの記念写真を撮り合った。

背景には、あの宙吊りの家が見える。

更に、はるか彼方の岩山の裾には、新たに城壁都市の麓に広がった、クエンカの街が見える。

街は進化を続けるものである、岩山の上だけでなく、過去に起きた戦国の世が無くなった現代、住み易い麓へと街が広がって行ったのであろう。
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「街に架かる橋③」
<<スペイン>>--クエンカ--


坂道を歩くにつれ、更に橋が目前に迫って来た。

どうやらこの橋は、人が通れるだけの強度と幅しかないようである。

人が通る場所は、橋の下の部分ではなく、上の太い部分で、その他の鉄骨部分は、橋を支える補強用に必要な鉄材のようである。

こんな渓谷に架けるのであれば、通常は吊り橋にするのであろうが、そうでないのが特徴と言えるだろう。

沢山の鉄骨を組み合わせて溶接止めした橋は、メンテナンスも大変だろうし、やがては老朽化して、崩れ落ちるのではないかと気になったものである。
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「大聖堂」
<<スペイン>>--クエンカ--


橋を渡った街の中には、このようなちょっと変わった聖堂が有るのが確認出来た。

早く橋を渡って、クエンカの街の中に入ってみたいものだと、心がはやった。

この橋が渡る時に、一体どんな物なのかということも、気になっていた。

まさかこんな高い所に、街がの中心が有るとは、思ってもいなかったのである。

此処で暮らす人たちが、どんな様子で生活しているのかと言う事も、興味津々であった。
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「街に架かる橋②」
<<スペイン>>--クエンカ--


この鉄の橋を正面から撮った光景。

気が付かなかったが、どうやらこの橋の袂には、岩の上に教会らしきものが建っている。

この橋と、この教会はどちらが先に建設された物なのだろうか。

ヨーロッパでは、どうしてこのような建築物を、敢えてこんな立地条件の悪い所に建設するのかと、妙な疑問が湧いてきたものである。

今でもこの教会でミサを行う信者が居るのかと、様々な疑問が次々と湧いてくるのであった。
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「街に架かる橋」
<<スペイン>>--クエンカ--


更に坂道を登る事15分、前方に高い鉄の橋が見えてきた。

橋の先には、クエンカの街が遠望出来る。

街に入るのには、この渓谷に架かる古い橋を渡って行かなければならないのだ。

今にも朽ち果てそうなこの橋を渡るのは、かなりスリリングな感じがしそうである。

この橋を渡らなければ、街に入れないとすると、矢張り歴史的城壁都市と言われる理由が分かりそうな気がする。
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「宙吊りの家②」
<<スペイン>>--クエンカ--


遠景で見たこの家を、アップで撮った写真第二弾。

一体どんな構築法で、この家を建てたのだろうかと、気になるところである。

自然の岩山の上に、巧みに人工の石を継ぎ合わせて、その上に家を建てているようである。

建築には素人の私には、こんな工法で岩の上にせり出した家を建てて、地震でも来て岩が崩れたらどうなるのだろうかと、ハラハラしてしまうのである。

ヨーロッパには、信じられない絶壁の上に城を築いている世界遺産なども有るが、常人には考えられない驚きである。
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「宙吊りの家」
<<スペイン>>--クエンカ--


渓流沿いの坂道を登る事約15分、岩山の上にこんな住家が見えて来た。

この家は、今でも住民が住んでいるとの事だが、宙吊りの家として有名で、クエンカの名所にもなっているという。

宙吊りは大げさにしても、岩山からせり出した様子は、良くもこんな断崖絶壁の前面に、ここまでして家を建てたものだと驚きである。

確かにこのベランダに出て、下界を眺めれば見晴らしは良いだろうが、余程肝が据わっていないと恐いのではないかと、肝が縮むようである。

またこの木造の支柱を老朽化で新しい物に変えるには、かなりの苦労が伴うのではないだろうか。

次の写真では、この家のアップを載せてみようと思う。
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