2012年06月の記事


「屋上からの眺め②」
<<スペイン>>--ミハス--


ミハスのレストランで、イカ墨料理を食べた後、屋上に出て街の景色を眺めた。

このレストランは、丘の中腹に有り、食堂のガラス戸を開けると、この見晴らしの良い屋上に出られる。

早くランチを済ませた我々は、この屋上で街の様子を眺めたり、写真を撮ったりしていた。

ミハスでも、このレストランは山側に位置しているから、街の光景も、山が険しくなった所で途切れている。

これから我々は、此処から更に下った白い街並みが続く、ミハスの街の入口へと向かうのだ。
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「居酒屋にて」
<<日本>>--池袋--


あまり載せたくない写真だな、と思いながら載せてしまった。

友の写真だけ載せて、彼が撮った写真を載せないと、クレームが付きそうだったからである。

それにしても、だらしなく酔った自分のにやけ顔と、我が友のカメラセンスの無い撮影振りにいささか嫌気が差す。

何枚撮っても、人物を端の方に写してしまい、ストロボの反射光を中に入れてしまう。

こちらも酔った勢いで、全くお前は写真を撮るのが下手だなと言うと、何を言うか、嘗ては一眼レフを持っていて、良く写真を撮り歩いたものだとの、のたまわく。

彼はゴルフにしても同じで、どうしても理論先行型で、実力は今一クェッションマークである。

しかしこうして、友を目の前にして、お互い悪口を言い合えるのも、気心の知れた旧友だからであろうか。
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「友との談笑」
<<日本>>--池袋--


昨晩は池袋で、学生時代の友との一杯会であった。

夕方彼から突然電話が有り、池袋のゴルフショップでドライバーの購入を検討しているので、付き合って欲しいと言う。

別に夜の予定は無かったので、出掛けた次第である。

先日の彼等とのゴルフで、私のドライバーを彼が使用して打ったら、とても良く飛んだので、今使っているものが、嫌になったとの事。

幾つになっても、ボールをより遠くに飛ばしたい欲望は消えないものらしい。

その後はお定まりの、ちょっと一杯と言う事になるが、一杯どころかこの店で、何と4時間も話に花が咲いてしまった。

彼は努力家で、就職と同時に、米軍将校宅のメイドとして夜バイトをしながら英語を習得、それが会社で認められ、初代ロスアンゼルス駐在員、そして香港支店の支店長を経歴し、今は私とゴルフをするのが楽しみといった具合である。

若い仲居さんに、肌がとても白く綺麗だねと、誉めたら、升酒を並々と溢れさせてサービスしてくれた。

お神酒も入って悪乗りし、孫のような仲居さんとのツーショットとなった次第である。
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「イカ墨ライス」
<<スペイン>>--ミハス--


ミハスでの最初のランチは、メインデッシュに、イカ墨のライスが出た。

海に近いミハスの名物との事で有るが、見た目は如何にも不味そうな風体である。

しかし食べてみて、意外と美味しいのに驚かされた。

単純なイカと、その墨にライスが添えられているだけなのだが、たれが秘伝のようで、ライスとの相性が極めて良く、こってりとした風味が食欲をそそる。

日本に帰国して、もう一度この味を味わいたいものだと思っているが、身近な所でイカ墨ライスを食べられる所に、未だ遭遇していない。

この料理はカタルーニャ料理の一種だそうだが、アロス・ネグロスと呼ばれているが、ネグロスとは「黒い」の意味である。
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「屋上からの眺め」
<<スペイン>>--ミハス--


ミハスの街中に入る前に、昼食を摂るために寄ったレストランの屋上からの眺め。

赤い瓦屋根と、白い建物が、如何にも太陽の国スペインらしさを醸している光景である。

目の前の立派な家は、まだ新築中なのか人が住んでいる気配はないし、下には工事中に出たゴミなどを収納する大きな箱のような物などが置いてある。

それにしても随分立派な家で、屋上にガゼホのような見晴らし台が有るのが目に付く。

日本の民家の屋根が、黒基調なのが多いのに比べ、西欧では圧倒的にオレンジの瓦屋根が多いのは、何故なのであろうか。
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「ロータリー」
<<スペイン>>--ミハス--


ミハスの街が近付くと、住宅も多くなり、車のロータリーもあちこちに見受けられるようになる。

土地の豊かな国だから、交差点も日本のように四つ角ではなく、中央に広場や池、噴水などが有るロータリー形式の物が多い。

当然信号などは無く、右側通行だから、左から車の来ないことを確認して、ロータリーに入ることになる。

統計によると、信号機の有る交差点より、左右から来る車の出会いがしらの事故などが起きないから、事故率は少ないのだという。

日本でもこんなロータリー式の交差点が増えれば良いが、土地の少ない国だから、無理なのであろうか。
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「道端のオブジェ」
<<スペイン>>--ミハス--


グラナダからミハスに向かうバスの車窓から見た、道端の不思議な光景。

この白い女性像が、何故此処に有るのか、通りすがりのバスの中から見たので、皆目見当が付かない。

この地方に住む人にとっては、何か意味が有るのだろうが、ガイドも含め皆、バスの心地良い揺れに眠っているから、此処がどの辺で何が主要な生活源なのか、皆目見当が付かない。

また石像の後ろには、画一的な小屋が立ち並んでいるが、これは一体何の目的の小屋なのか。

遠くの山の尾根には、沢山の風力発電用の風車が林立しているのが、遠望出来る。

私はバスでの移動中でも、眠ってしまうのが勿体無く、その土地特有の色々な風景を見るのが楽しいのである。
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「オリーブ畑」
<<スペイン>>--ミハス--


車窓から見る青い空と、何処までも続くオリーブ畑の丘陵地帯。

久々に再びスペインシリーズへと戻った。

グラナダのアルハンブラ宮殿を後にして、バスは一路、白い街で有名なミハスへと向かう。

グラナダからミハスまでは約152キロ、2時間半の道程である。

スペイン独特の青い空と、丘陵一帯に綺麗に植えられたオリーブ畑は、バレンシアオレンジと合わせて、太陽の国、スペインの主要な農産物である。

恵まれた風土の中に住むスペインの人々は、性格まで明るく陽気な人間になるのだろうと、ふと思ったものである。

しかし、ギリシャの経済破綻に始まったヨーロッパの不況は、スペインにまで飛び火し、深刻な事態に陥っている事を、スペインの人々はどう感じているのだろうか。
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「夜景」
<<中国>>--西安--


鐘鼓楼広場から見る、西安の夜最後の夜景。

広場と街の間には、前方に見える石垣がある。

しかしこちら方面は、公園と街の高低差が無く、中庭から街に通じる道路が有り、容易に街に出ることが出来る。

前方に見える、綺麗に電飾でライトアップされた巨大な建物は、一体何であろうか。

ホテルなのか、それともレストランなのか、中国建築の屋根に沿って、実に見事にその輪郭が電飾で飾られている。

長く続いた西安探訪も、この夜景と共に終わりとなり、明日からは北京へと飛行機で移動することになるが、区切りの良い所で、またスペインシリーズに移ろうと思う。
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「鼓楼」
<<中国>>--西安--


ライトアップされた鼓楼の雄姿。

撮影した鐘鼓楼公園のこの場所から、前方の鼓楼までは約100メートル有る。

如何にこの建物が荘厳であるかは、この夜景で知る事が出来るだろう。

建物は三層構造に見えるが、中に入ると二層になっているとの事であった。

正面の左右には、巨大な太鼓が据え付けられているのが、お分かりいただけるであろう。

この光景を見て、此処から他国へ出兵する際など、この巨大な太鼓が打ち鳴らされて、軍隊が戦列を整えて西安の門を潜って出陣する様を想像してみたものである。
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「店の夜景」
<<中国>>--西安--


鐘鼓楼広場に隣接する、大きな店のライトアップされた光景。

文寶斎と書かれた大きな看板は、西安きっての筆や硯、書に関する様々な道具を扱うお店である。

数ある部屋の中には、商品だけでなく、展示室なども設けられており、著名人が描いた書画などが展示されているという。

商店とはいっても、個人の企業が経営しているのではなく、れっきとした西安市が運営する公営の店舗なのである。

中国には、こうした公営の店が沢山有り、流暢な日本語を喋る公務員が、工芸品を観光客に売るのだから、不思議である。
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「夜の公園」
<<中国>>--西安--


鐘鼓楼広場の園内の様子である。

周りの煌びやかなビルの電飾に比べ、かなり公園の中は暗い。

不思議な公園で、園内には石灯籠などの有る庭園も有れば、ピラミッド状のガラス張りの明り取りなども有る。

と言う事は地下にも広場などが有り、地下街などが有るのだろうか。

兎に角、周りの見事な夜景に見惚れて、写真を撮り歩いて、迷子にならないように、グループメンバーを見失わないようにするのに、必死であった。
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「夜の鐘楼②」
<<中国>>--西安--


鐘鼓楼広場から見る、鐘楼周辺の夜景。

東西南北に走る大通りの中心に、この鐘楼は有り、周りはロータリーになっていて、沢山の車が鐘楼の周りを走っている。

その様は、建物は違うが、まるでパリの凱旋門の周辺のような様子である。

更に鐘楼を囲むロータリーの周辺には、大きなホテルやショッピングセンターが建ち並んでおり、巨大な液晶パネルの広告からは、鐘楼とは対照的な現代の広告が映し出されている。

どうやら鐘楼の上には昇る事が出来、そこからは活況を呈する西安の夜景を見ることが出来ようである。
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「夜の鐘楼」
<<中国>>--西安--


西安の鐘鼓楼広場の夜景に再び戻った。

この広場の名前の通り、公園を挟んで、鼓楼(前出)と鐘楼が相対峙している。

こちらは鐘楼であるが、西安の旧市街の中心、東西南北の大通りの交差点に位置しており、西安のシンボル的存在である。

建立は1384年であり、基壇の高さは8メートル、その上に建てられた鐘楼は38メートルも有る。

建立当時は、城門を開ける時の合図として、この鐘楼の鐘が鳴らされ、その回数は70回だったという。

鳴り終わると同時に、全ての城門が開けられたというから、その有様は壮大なことであったろう。

13世紀中半といえば、日本は鎌倉時代であり、歴史的に見ても中国の文化の発展振りが、如何に進んでいたかを髣髴とさせる。
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「小さな虹」
<<日本>>--代々木公園--


梅雨の合間の、良く晴れた代々木公園の午後のひと時。

静けさが辺りを包み、池の噴水の水が、風に煽られて霧となり、小さな虹を作っている。

黒くシルエットになった手前の木々の葉の先には、初夏を思わせる強い日差しが園内に満ちている。

恥ずかしい話だが、東京の会社に勤務して40年、学生時代から換算すると、もっと多くの年月を東京で過ごした事になるが、此処代々木公園に来たのは、この時が始めてであった。

孫の運動にと、娘の案内で、此処に家族で訪れたのが最初とは、情けない限りである。

眠くなるような午後のひと時を、ベンチに腰を掛けて、過ぎ去った年月の経過を、孫の顔を眺めながら、ぼんやりと思い出している自分が居た。

何と人生の長いようで短い事であろうか。
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「お散歩③」
<<日本>>--代々木公園--


母親の手を払い除けて、自分一人で歩く孫の姿。

兎に角、歩けるようになって、嬉しくてしょうがない孫だが、傍で見ていると何時ひっくり返るかと、ハラハラするのである。

孫はミユと言う名だが、通常はミーちゃんと呼んでいるので、「歩き始めたミーちゃんが…」の童謡がぴったり当て嵌まる感じだ。

孫が指差している先には、公園を犬を連れて散歩する様子の人を見つけ「ワンワン、ワンワン…」と声を出してはしゃいでいる所である。

こうして公園内は危なくないから、一人で歩かせることが出来るが、公園を出て渋谷の繁華街に入ると、危険なので、ベビーカーに乗せるのだが、それを嫌がって大騒ぎをするので、乗せるのに一苦労である。

一人の孫でも大変なのに、自分達の3人の子供をどうやって育てたのか、遥か昔の事なので、記憶も薄れてしまっているのが不思議である。
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「お散歩②」
<<日本>>--代々木公園--


歩くのを覚え、自分で歩くのが嬉しくて堪らない孫娘のお散歩風景。

渋谷の道玄坂で誕生パーティのランチを摂った後、代々木公園まで歩いた。

ゴルフでは、さほど歩くのが苦にならない私だが、都会の道を歩くと、とても疲れてしまう。

現役時代は、都内のあちこちを仕事で歩き廻ったものだが、一度引退して郊外に安住してしまうと、都会の喧騒が苦痛に感じてしまうのだ。

しかし流石に代々木公園などの大きな公園内では、気持ちが良く、孫も靴を履かしてもらって、あどけない足取りでチョコチョコと歩く。

私が前に廻ってカメラを向けると、必ずこちらを指差して「ジイジ」と声を出す。

小3になった孫娘には、グランパと呼ばせて板に付いたが、1才半になったこの孫には、今更ながらジイジでも良いなと思っている。
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「お散歩」
<<日本>>--代々木公園--


昨日の夏日を思わせる代々木公園での、孫娘の散歩風景。

ここ数日、ちょっとページのメンテが滞ってしまった言い訳に、証拠写真を載せた。

私の誕生祝いを頂いたネフレの方には、レスも出来ずに大変失礼してしまった。

今年は子供達が別々の日に、それぞれ東京のレストランで誕生祝いをしてくれたので、その都度出掛けて行き、孫たちを相手に遊び疲れてしまい、ネットも儘ならずに失礼してしまった。

特に昨日は渋谷の権八(ブッシュ大統領が来日時に接待をした和食レストラン)で昼食をご馳走になった後、家族で代々木公園まで歩き、歩き始めた孫を遊ばせながら、帰宅したので、すっかり草臥れてしまった。

公園で、路上ライブをしていた青年たちの脇を、ママに手を引かれた孫が、こちらを指差しながら歩く姿が絵になると思い、載せた次第である。
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「鐘鼓楼広場③」
<<中国>>--西安--


徳発長餃子飯店から通じるゲートを過ぎると、広場に出る。

この広場は実に広大で、広場のあちこちに池を配した庭園などが有り、照明も周りの街の灯りに比べると、あまり明るくない。

周囲の街の景観に見惚れて迷子にならないように、ガイドの高さんが注意を促した。

にも拘らず、自由行動で周りの景色を鑑賞した後の、最後の集合場所である出発点であったゲートの所に、女性が一人戻って来ない。

あちこち手分けして探す事40分、結局見付からずバスに戻ろうとした時に、ガイドの幸さんの携帯が鳴り、やっと全員が集合した。

若い女性だったので、海外でも使える携帯を持っていた事が幸いしたのであるが、自分だったらどうしただろうかと、気になるところであった。
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「鐘鼓楼広場②」
<<中国>>--西安--


前出の広場に通じるゲートの上から、反対方向を見た光景。

こうしてみると、この広場が高台に有り、店の脇の地下通路から外の街の中心部に出る事が出来、そこが道路や交差点のある交通の要衝であるようである。

遠方には、ホテルやビルが林立する街の様子が見て取れる。

この複雑な構造の地形は、西安の街が決して平坦な場所に有るのではないと言う事が理解出来る。

それともこの鐘鼓楼広場の部分だけ、土を盛り上げて、市民の憩いの場として、見晴らしの良い高台にしたのであろうか。
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「鐘鼓楼広場」
<<中国>>--西安--


千年の味と称される、徳発長の餃子専門店で食事をした後、店を出たらこのような光景が開けていた。

鐘鼓楼広場は、西安の街の中心部に有り、名前の如く、前方に見える堂々たる鼓楼と、広場の先のロータリーの中央に位置する鐘楼の双方が見渡せる、西安きってのビュースポットである。

この鼓楼は高さ33メートルの三層構造になっており、写真でも見える大太鼓は、今でも夕方には太鼓が打ち鳴らされるが、嘗てはその太鼓の音に合わせて、城門が閉じられる事になっていたと言う。

創建は13世紀後半であり、今でもこうして堂々たる建物の様子は、ライトアップされて見応えがある。

我々が食事をした徳発長の餃子店は、右側のランタンが下がった店であり、その大きさを窺い知ることが出来るだろう。

店の地下の脇は、地下通路になっており、この道を通じて、鼓楼に行く事が出来るようである。
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「餃子専門店」
<<中国>>--西安--


我々が夕食を摂った、餃子専門のレストランである。

先ず店に入る前に、入口の上に掲げられているこの店の、由緒有りげな看板が目に付いた。

この店は、西安の城門を潜った所に位置していて、店の中は驚くほど広いのである。

丁度夕食時ということもあり、広い店内は、世界中の人種が集まっていると言った感じの、様々な国の人たちの食事風景でごった返していた。

店には舞台があり、そこでチャイナドレスなどを着た演奏家が、胡弓や笛の中国音楽を演奏していた。

餃子は、実に様々な酒類のものが次々と出てきて、皆がお腹が一杯になって箸を付けなくなるまで、運んでくるのだが、いくら食べても、苦しくならないのが不思議であった。
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