釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』
  釧路&越後むすび目の象徴 釧路市立博物館「改良型川崎船」000422『新潟日報』

 越後国新潟と釧路の結節は深い。
 農業・漁業・商業・宮大工など技術者。
 特に農業業の移住が基礎になって、商業、船大工・宮大工の技術者が渡道した。
 そのシンボルが、見出しにある「川崎船」。

 沖合4-5里=16-20キロメートル先を後場に、水深200メートルに達する大陸棚をめざし操業した。
 通年生息するタラ、カレイ、おひょうなど付加価値の高い惣菜魚種を対象とする漁業。
 船底を斜めにして水切りが良く、側板の高い大型船で積載容量を高め、風邪を帆にうけて操船する風帆船。

 明治20年ころから越後漁業者が釧路に持ち込んで操業する。
 明治30年代、船大工技術者が移転して操業地の海況にあわせ建造する故に「改良型川崎」の名が。
 初代・平岩初太郎、二代目・平岩一、三代目にして木造船建造に終止符。プラスチック船建造に切り替えた二代目弟一家が、桂恋で造船する。

 「川崎船」。「川崎」の由来。
 長く北見俊夫氏が『海事史研究』No10に記載の、越後国国府=現在の柏崎市の地先にある川崎で発祥としてきたとおもう。
 昨今は福井市川崎を発祥地とする説がネットで流布。その根拠、筆者は承知していない。
 紹介の記事は2000年4月22日に『新潟日報』に掲載。先立ち遠藤孝夫・論説委員を取材案内したのだが。