給食
 こちらからのメッセージに、校長経験の長かった従妹の返答。
 教育者ならではの第一感。評論家にも指摘の様子は乏しかった、かも。
 「噛むことのできない障害を持っていたお子さんなのでしょうか」

 「それとも急いでいたのでしょうか」「早食い競争をしていたとか・・・・」。
 2006年頃だがマチの識者に水産の話をしてもらった。「魚を食べるには骨があって」。
 若者女性の質問に識者は答えた。「そうだねー、舌先で魚身と魚骨を選り分けると良い」。

 聞いた若者は不満げな表情。 
 思うに「今ね、業者が骨を付けないようにして販売しているの」。そんな感じを表情から筆者は読み取った。

 当時、同僚に「幼児、児童の箸の持ち方」を調べている女性がおられた。
 思うに「本家のおバアさんが孫に教える伝統」の消滅。そうしたことがあったのかと、これも推測。
 「よく咀嚼」「シッカリ歩く」「深呼吸する」。これって脳内の「セレトニン」なる物質の「分泌をうながす妙法」と、聞いてきた。

 「ずら卵 給食 児童 死亡」のキーワードにからめ手、「年寄りのなかには正月、餅をノドに詰まらせて」。
 家人は、話をその奉公に。「あなたも、気をつかなさい」のサインなのだろう、ネ。
 通学している学校の教頭先生。「のどのつまりに関しての想定というのは不十分だっだかも」。

 「よく噛んで」。それは大人にとって当然でも、子どもの「日常生活にあっては縁遠い点」であったのか、なと。