畑中浩美著『樺太の戦争とその悲劇』
 畑中浩美著『樺太の戦争とその悲劇』。樺太の戦争。昭和20年8月9日から23日までの15日間。ソ連軍の国境侵攻にはじまり、停戦交渉までを参考文献・参考資料を引用しながら「参考にまとめたもの」とされているが、内容は重い。

本書は「序説」「樺太の戦争」「戦争による悲劇」「樺太年表」の四部作。

「序説」で日露戦争後から8月8日の「対日宣戦布告」までを示し、「樺太の戦争」で九地点に及ぶ戦闘状況を詳説する。

 「戦争による悲劇」では、北海道内でも知られてきた「真岡郵便局電話交換手殉職」は当然、「殉職の悲劇」に「太平炭鉱病院看護婦殉職」、「流言飛語」(誤報)、「軍使射殺」「緊急疎開」にくわえ、特に「避難の悲劇」として「非人道的行為」「(敗戦後の)心中・殺害」に、「避難民の悲劇」にも目配りされている。

 「真岡郵便局電話交換手殉職」は確か稚内市に碑文があって、その前に立った。ほかにもいろいろな形で。伝えられてはきている。急な侵攻を耳にして、急遽避難を開始した方の命かけた困難さを、炭鉱住宅街の一隅で聞いたこともある。

  しかしそれは、北海道民がおぼろげながらに記憶してきた事柄のほんの一部のことであり、実際には実にすそ野の広い、流血と落涙の回想が拾われている。それとても、これまでに記録されているものを中心としており、実は記憶のままに記録になりえなかった、関係者の深い、厳しくもせつなく無念の思いの多くを、実感することになる。

  著者と同年代ながら、樺太の地理にはきわめて疎い。

  挿入図を拡大して戦闘の九地点を確認しつつ、そこに戦闘期間を記載してみた。戦闘は国境線にはじまり西海岸を真岡にむけて拡大し、その最終局面で「真岡郵便局電話交換手殉職」が発生していることを知る。

  恵須取は、この地域でも炭鉱企業名としてその名を残し、8月11日から17日にかけて戦闘のあった場所である。

  そこには、「対米戦の場合は、北地区唯一の背後との連絡線」、「日ソ戦の場合は、ソ連軍にとって中央軍道を南下する部隊を側面から援護するために重要な地域」と、整理している。そのうえで、「方面軍の方針が対米重点であるため(師団組織の配置を)実現できなかった」と、位置づける。要地は皮肉なことに、想定外の事態となった。

  著者は「関係者が年々高齢化し、『樺太』を知る人が少なくなっていくのは止むをえない」としつつも、「無念の思いで亡くなった人たちを追悼する気持ちを込めてまとめた」とし、「(平和に取り組み、取り組もうとする人たちに)幾らかでも役立つこと」を切望しておられる。2010年12月発行の『[改訂版]緊急疎開:樺太からの引き揚げ三船(小笠原丸・第二新興丸・泰東丸)』と、一体をなすとされている。(下北半島研究所 非売品 B5判134p  2012年)(釧路地方の地名を考える会 H.Sato 121018)。

編集 ペン : 戦争は決して起こしては成らないと思いますが実際の話は殆ど聞いたことがありません。実感を伴わない記憶はいつか風化されてしまうのではないか?と心配になります