小田野直武 秋田蘭画
 小田野直武という人、秋田蘭画の確立者。

 平賀源内との出会いと推挙、杉田玄白・前野良沢とともに『解体新書』の解剖図を担当。陰影法と遠近法を駆使する西洋画の銅版画的受容によって、精密な解剖図を描きあげた。

 藩主のなかにも陰影法と遠近法を駆使する雅号を曙山とする絵師を輩出しており、ともに秋田蘭画の成立に与したとする。

 解剖学者は原著にある精密画を、多くの文献や挿入画に目を通しつつ、日本的に翻訳したのではと、解説する。

 「絶学源信信士」。絶学は、学問を中途で絶ったとする意味なのか、それとも「絶景」に示された「なみ優れた学問」たるの意味か。なぞを残して安永8年、32歳でこの世を去る。

 下級藩士の家に生まれ、江戸に派遣されて画に没頭。家内の反発が高まっていたものか。謎が多いとされる。