遠野物語
 TVの新日本風土記で、「遠野物語」。

 1975年5月の初旬に訪問したことがあったがが、一面の田んぼで、物語そして柳田の哲学など感ずることもなかった。
 資料館のようなところに立ち寄った記憶があるが、整備されたものでなかったとの、印象がある。

 テレビをみていて、やはり「遠野」と聞いただけでは不足で、『遠野物語』を読んでいなくてはと、実感した。

 そもそも、地名の語源たる沼は田んぼにかわり、周囲の山岳にモノガタリと神宿りがあるなど、説明やマップがないと有意味性が伝わらない。

 善明寺という寺には絵馬が奉納されているらしい。写真のない時代に供養絵馬を寺に納めて、絵馬にかかれた肉親像に手をあわす。で、亡き人を追善する。
 山は水を供給する命の源。写真に撮ることで記録できる景観、記録しがたい情報や思想の表現。

 季節行事は、当該季節でないと、その実感が再生産できないなー。そうしたことを感じたのだが。