船曳建夫『「日本人論」再考』
 船曳建夫『「日本人論」再考』。『菊と刀』、『ジャパン アズ ナムバーワン』、『日本人とユダヤ人』、『タテ社会の人間関係』。

 このように書き並べるまでもなく、ここに並べた本が広く読まれた時期がある。いま、回想するに1970年前後と言う年代が、どういう時期であったか。国論を二分した安保闘争があって、高度経済成長をまっしぐら、オリンピックもあったが日韓条約、大学管路法案、安保再改定、沖縄返還。戦後かわった日本が、再び変化した局面であったように、おもえる。

 多くの日本人論、日本文化論が数え切れないほど提示されたが(7p)、いままた新たな「日本人たち論」が必要だ(140p)との立場をとる。

 「臣民」「有衆」。天皇の側近、その周辺に勅任官や親任官と国民(30p)。

「世間とは個人、個人をむすぶ関係の環」(56p)

「古典というのは、読まれずにその名だけが流布する段階に至った著作」(60p)。

1960年代を境に、前を「宮本民俗学」、後ろを「テレビ民俗学=プロジェクトX」がうけもつ。1950年代までの農民が、それ以降は職人となって、巨大プロジェクトの中に現れる」(79p)。

江戸期に造り上げられた社会=持続可能な循環型社会は日本の歴史の中でも傑作の一つ」(121p)。

「日本人論」というものがまっとうな議論を呼び起こすには、歴史学が一番重要なディシプリン(学問体系)となると思います(134p)。

「慣行にしたがわないわけにはいかない状況」を、どちら向きに生きているか、で問題は大きく違います8138p)。

さてさて、本書で取り上げられたそれぞれの日本人論、日本文化論を丁寧に読んでみたいと、読後には考えた。理解はそこからかも。

編集 freehand2007 : 江戸時代が循環型社会であったとの評価は定着してきたようですね。「過去を否定していては未来はない」に一票を投じさせていただきます。
編集 ペン : 江戸の町は究極のエコ社会だったようです。パリではトイレも無く庭でひょいと用を足していた頃に早くもトイレが設置され排出物はお金で買われてやがて作物になる。その作物がまた人の口に入る・・切った髪の毛もお金で買われ鬘になって行く・・・過去を否定していては日本の未来派ないなぁって思います